第10話 ごめん。

 新学期も数日が経ち、目新しさもなくなってきた。

 

 姫咲は今日も読モの仕事、シュンもバイトがあるらしく1人の下校だ。


 琥珀とはあのすね蹴り以降ろくに会っていない。


 元々その程度の仲なのだ。


 学校でわざわざ話すことなどないし、稀に琥珀がウチを我が物顔で徘徊するくらい。


 理由もなく朝起こしてくれる幼馴染なんてファンタジーだ。むしろもしそんなことが起こったら、警戒心を強く持つべきなのである。


 しかし、会わなくとも噂は伝わっていた。


 1年生に物凄い美少女が2人いる、と。


 1人はもちろんのこと、琥珀だった。

 その猫被りを武器に、今や天使などと言われて持て囃されているようだ。

 琥珀が「うふふ」とにっこりと天使な笑顔を浮かべているところを日常的に見ていたら俺はバグってしまうので学園では姫咲のおぱーい以外視界にいれないことにしている。


 琥珀が天使? 

 悪魔の間違いだろ。


 と思うのだが、悪魔枠はもう埋まっているらしい。

 それが1年生もう1人の美少女。

 俺は名前も知らないが、小悪魔と言われている。


 入学から数日で悪魔呼ばわりというところに好奇心が湧くのと同時に、何をしでかしたのか知らないが、少し同情した。


「……ま、一応な」


 トコトコと1人寂しく下校していたわけなのだが、向かっていたのは自宅ではなかった。

 と言っても、そこは自宅からすぐ近所の一軒家。


 琥珀の家へやって来ていた。


 春休み中はそれなりに協力してやったんだ。


 風の噂だけでなく、現状報告のひとつくらいしろってんだ。


「久しぶりだなぁ。とりあえずインターホンか?」


 でも、琥珀は自宅と変わらない様子で勝手に俺の家へ上がりこんでいるしな。


 よし、ここは勇気の突貫だ。


「お邪魔しまーす!」


 鍵は空いていたし、俺はそのまま家に入り込んだ。

 子供の頃は幾度も来ていたので、俺だってそれなりに勝手知ったるというもの。


 玄関の靴を見た感じ、琥珀はすでに帰宅しているようだ。


「灯莉さーん、琥珀いるー?」


 まずはキッチンを覗くと、琥珀のお母さんである猫村灯莉ねこむらあかりさんが晩ご飯の準備をしていた。


 こちらに振り返った灯莉さんは人懐っこい笑みを浮かべる。


「あらスズメくん。こんにちは〜」

「どもっす」

「琥珀なら部屋にいると思うわよ?」

「ありがと。じゃあちょっくら行ってくるよ」

「晩ご飯食べてくならお母さんに連絡しておくよ〜?」

「あ、じゃあお願いしようかな。灯莉さんの料理、うちの母ちゃんより美味いし」

「もうっ、そういうこと言わないの。お母さん悲しむわよ? でも、ありがと♪」


 灯莉さんは満更でもなさそうにニコッと愛想良く笑顔を咲かせた。

 猫被り時の琥珀はこの表情を真似しているのかもしれない。


 挨拶もそこそこに、2階の琥珀の部屋へ向かう。


「ふつうに入れてしまった……なぁ」


 幼馴染のチカラってスゲー!

 そして今更の罪悪感もスゲー!


 しかしこうなったらもう、俺は猫村家から全面的に歓迎されていると言っていい。

 第二の家族である。


 つまり、琥珀が俺の部屋まで無断で入って来ていたのと同じように。


 ここも——突貫じゃあ!


「琥珀ー入るぞー」


 ノックすらなく、俺は琥珀の部屋のドアを開けた。


「え……? スズ、メ……?」


 久しぶりに入ったその部屋は昔とあまり変わっていなかった。

 あまり女の子らしいとも言えない、無機質で物の少ない部屋。

 唯一女の子っぽい点と言えば、ベッドに置かれた大きなネコのぬいぐるみくらい。


 それ以外を一目見ただけでは、ここが年頃の女の子の部屋だとは誰も思わないだろう。


 あ、いや……今はわかるけどね。


 なにせ目の前には……


「な、なな……なんで……」


 着替え中の猫村琥珀がいたのだから。


 仄かな膨らみを覆い隠すライトグリーンの下着。

 脱ぎかけのスカートに、ほっそりとした線の細い身体に眩しく白い肌。


 ついこの前も、ナマで見たなぁ。


(い、いやいや。何考えてんだよ。所詮ちっぱいだろうが)


 意識してしまえばそれはもう思春期の男子学生にとって興奮材料でしかないけれど、俺はどうにかそこから気持ちを逃すように逸らした。


 平常心。


 俺は幼馴染の部屋に来ただけである!


「よっす琥珀〜。いやぁおまえの部屋久しぶりだけど全然変わってねえな————」

「出てけ……」

「…………え…………?」


 あ、いや、ちょ、待って……!?


 ギギギギギ…………と擬音でもなんでもなく明らかにヤバい音が部屋に響く。


「……ま、嘘だろ。琥珀さん!?」

「さっさと……」


 あ、やばい。俺、死んだ。


「出ていけ……!」


 猫目がギラリと暗い光を灯し、雷の如き怒号が落とされる。


「この、あんぽんたんー!!!!」


「机は投げるものじゃありませーん!?!!?」


 マジで殺されるかと思った。

 もっとぬいぐるみとか、投げるのにちょうどよくて可愛いものがあるでしょう?

 一同、幼馴染というイキモノは凶暴につき注意されたし。



 ・


 ・


 ・



「はむ。はむ」


 数分後、絶妙のタイミングで仲裁に入った灯莉さんのおかげで琥珀の暴走は収まった。


 今は大好物のツナ缶を与えられてご満悦だ。


 ……今度から俺も用意しとこうかなぁ。そしたら俺にも懐きますん……?


 そして俺の手にも、ツナ缶がひとつ。

 なぜか俺までもらってしまった。


 ————もちろん、ノンオイルよ♪


 とのことだ。それがどうした。


 貰ったものは仕方ないのでチビチビと箸で摘んで食べる。

 マヨネーズかけたいとか思うのはデブ思考ではなくカロリーを欲する男子高校生の正常な思考です。


 幼馴染の部屋の中央で向かい合って座りながらツナ缶を摘む世にも珍しい光景。


「なぁ、琥珀」

「…………はむ」

「……琥珀?」

「はむ。はむはむ」

「琥珀さーん?」

「はむはむはむはむ……!」


 ツナ缶に夢中なようだ。小動物チックで少し可愛い。

 これは決して無視されているわけではない。決して。


 しばらくして、2人ともがツナ缶を完食した。


 仕切り直しといこう。


「なぁ琥珀」

「………………」


 ぷいっ。


「無視だったよ!?」

「……なんか、ちゅんちゅん聞こえるかも」

「それはお空のスズメだ!」


 窓を見つめる琥珀。

 そこから見えるのは俺じゃなくて鳥さんなんだよなぁ。


 ツナ缶ですらどうにもならないほどご機嫌を損ねていたらしい。


 徹底した無視。無言

 

 こうなったらもう意地の張り合いといこう。

 俺は負けない。


「で、何しに来たの」

「話すんかい!」

「は……?」

「いえ、何でもないです。聞く耳を持っていただきありがとうございます」

「よろしい。で、なに」


 俺は姿勢を正す。

 と言っても何を話せばいいんだ?

 あ、まずは謝った方がいいのか。


 そうと決まればとっておきの土下座を……と思ったところであることに気づく。


「あ、琥珀。ゴミついてる」

「え、どこ」

「アタマ、ここここ」


 机なんて投げようとするから埃が舞ったのだろう。

 俺は自分のアタマを突いて、ゴミの場所を示す。


「ん……?」

「いやそっちじゃなくて。こっちこっち」


 いっそのこと取ってやろうと、琥珀の頭へ手を伸ばす。


「…………っ!?」


 しかしその瞬間、琥珀があからさまに身を縮まらせて顔を赤らめた。


「や、やめて! 触らないで!」


 バシッと、手が弾かれる。


「……は…………?」


 予想もしなかった琥珀の強い拒絶に訳もわからず声にならない声が漏れる。

 琥珀はさらに興奮した様子で立ち上がり、後ずさって距離を取った。


 心が、ざわつく。


「な、なんだよ。俺はゴミを取ってやろうとしただけだろ?」

「……し、知らないっ。人の着替えを覗くやつなんて信用できない」

「い、いやだからそれは……悪気があったわけじゃ……!」


 瞬間、導火線にボッと火が灯る。

 頭に血が昇ってしまうのを感じた。

 なんだよ、こいつ。

 たしかに俺の配慮が足りなかった。

 お互いもう子供じゃないんだ。

 俺は男で、琥珀は女だ。

 部屋に出入りすることだって、その意味の重さが異なる。


 だけど、俺は、ただ……。


「どーだか。わざとじゃないの?」

「だから、俺はオマエに興味なんかないっつーの!」

「…………抱いたくせに」


 琥珀は視線を流すように逸らして、小さくごちる。


「……っ……はぁ!? それはオマエの頼みで……! つーか、俺は今日もオマエが上手くいってるのか心配して……!」


「それこそ余計なお世話。……なに? まさか練習で一回抱いただけでカレシ気取りなの? ウザい」


「なっ……ん、なわけねえなろうが! オマエこそなんなんだよ! 最近ずっとオカシイのはオマエだろ!? 意味わっかんねえんだよ!」


 クサイと言われて近づかせてもらえない。触れば蹴り飛ばされる。頭を撫でようとすれば罵られる。よく分からない理由でスネを蹴られる。


 散々人を頼っておいて、学園生活が始まったら用無しで、連絡も寄越さない。


 あの日から、琥珀は理不尽なことばかりだ。


 一つ一つは小さなことで。

 俺は笑って許してきたし、気にしていないつもりだったけれど。


 心のどこかに、小さなフラストレーションの山は築かれていたのかもしれない。


「…………っ、それは……ワタシ、だって————」


 その先の言葉は、声が小さすぎて聞き取れなかった。


 琥珀は何かを決心したように顔を上げ、震える瞳でこちらを見つめる。


「……とにかく、スズメの心配なんていらない」

「…………!!」

「何もかも上手くいってるんだから、ワタシの邪魔しないで」

「…………っ」



 最後、それは消え入るようなか細い声だった。

 一瞬、心臓が痛むように強く鳴った。


 しかしもう、喉の奥から出てくる言葉は止められない。


「……わかったよ! オマエがそういうつもりなら俺から言うことなんて何もない。……勝手にやってろっ!」


 俺は背を向け、部屋のドアへ手を掛ける。

 

 もう琥珀のことなんて知るものか。


 そうだ、さっさと帰って姫咲や立花先輩にメッセージを送ってみよう。

 きっと楽しい。

 琥珀が新しい生活を始めたように、俺にだって新たな関係性があるのだ。


 琥珀が成り上がって理想の生活をする裏で、俺はカノジョでも作るとしようじゃないか。


 夕飯を作ってくれている灯莉さんには謝らなきゃな。

 今晩はずっと琥珀の機嫌が悪いだろうから、そのことも……


「…………っ」


 なぜか、部屋で1人うずくまって泣いている琥珀の姿が浮かんだ。


 琥珀が泣いているところなんて、記憶の中では一度しか見たことがないのに。


 でも、琥珀だって泣くんだ。


 あの時は、もう見ていられないくらいに、ボロボロになるまで泣いていた。


 強くない。


 むしろ、誰よりも怖がりで……人見知りで、緊張しいで……脆い。


「…………ふぅ」


 ドアに手をかけたまま、ひとつ、大きく息を吐き出す。

 

 そうすると、自分の中の熱が霧散してゆくのを感じた。


 俺は年上だから。

 お互い一人っ子の俺たちは兄妹のようなものでもある。

 たとえ仲良くできなくたって、喧嘩ばかりだって……最後には兄貴が、折れないとな。


「ごめん」


 背後の幼馴染へ語りかける。


「今日は帰るけど…………もしなんかあったら、すぐ言えよ」


「…………うん」


 小さく、琥珀が頷いたのがわかった。

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