第4話 なにそれ、バカ?

 校舎にたどり着くと、琥珀が向かったのは入学式の準備が進められている体育館だった。

 どうしてそんな場所に、とは思いつつも我が幼馴染は聞く耳を持たないので大人しく着いて行く。


 思えば、時間もまだ随分と早いような。


 体育館では、1人の女子生徒が迎えてくれた。


「んっ……」


 喉の調子を整えるような、小さな咳払い。

 


 鋭かった瞳の目尻は柔らかく、優しいものに。

 口角が上げられ、微笑みが浮かぶ。

 猫背気味だった背筋がピンと伸びてゆく。


 準備を終えると彼女は————琥珀は普段よりも声を張って、明るい声音で話し始めた。


「おはようございます。新入生代表の挨拶を務めさせていただく、猫村琥珀と言います」

「おはよう。あなたが猫村琥珀さんね。私は生徒会長の立花瑠璃たちばなるり。よろしくね」

「はい。よろしくお願いします!」


 立花瑠璃。

 その女生徒は俺も知っている人物————というかこの学園の生徒なら誰もが知っている生徒会長だった。

 美人で、成績優秀、運動神経抜群。

 誰にでも分け隔てなく優しく、学園内での人気はピカイチ。それはもはや崇拝の域に達しようとしているとか、いないとか。


 しかしその人望とは裏腹に、生徒会は彼女たった一人で運営されている。

 そのため本当はあまり人付き合いを好まないのではないかという噂もあるが、ひとえにその優秀さゆえ役員いらずなだけとも言われていた。


「そんなに硬くならなくていいわ。もっと気楽に。リラックス。リラックス〜」

「は、はい……!」


 畏まっている琥珀に、立花先輩は長い黒髪を揺らしながらコロコロと愛想良く微笑んだ。


「それで、そちらの男の子は? もしかしてボーイフレンドかしら。意外と手が早いのね〜」 

「はぁ……っ?」


 一瞬にして琥珀の目つきが鋭くなった。


 俺は慌てて口を挟む。


「いえ、背後霊です」

「あらそうなの? 格好いいからてっきり……」

「背後霊です」

「そ、そう……そ、それならしっかり猫村さんを守ってあげてね」

「はい。もちろんです。名前は天川スズメです。カノジョは募集中です。今後ともどうぞご贔屓によろしくお願い致します。ガールフレンド募集中です。お試しも可」

「え、ええ……。じゃ、じゃあ私はちょっと先生たちに話があるから。2人はここで待っていてね」


 そう言って柔かく笑った先輩(主観)は長い黒髪を揺らしながらこの場を後にした。


「お、おお……」


 格好いいって言われたんだが!? あの全生徒の憧れである立花先輩に!?

 お世辞か!? お世辞だとは思うけど嬉しすぎるんだが!?


 スーパーハイテンションすぎて思わずクールな自己紹介までしてしまった。

 背後霊の使命を少し逸脱しているかもしれないが、これは好印象間違いなしだろう。


 それにしても先輩、美しかったなぁ。

 初めて会話してしまったぜムフフフフ……ここから始まるラブコメか……いいじゃないかそういうのでいいんだよ。


「ふんっ!」

「いで!? 何すんだよ!?」


 足を踏みつけられて妄想から帰ってくる。


「鼻の下、伸びてる」

「いいだろべつに伸びてても。つーか、今のはおまえのフォローだったんだからな? 本性でてたぞ。しっかりしろよ」

「…………ふん」


 さすがの琥珀もバツが悪そうに視線を背ける。


 先輩と会話する時、琥珀の対応は俺に対するものと明らかに違っていた。

 そこにいたのは礼儀正しく、表情の明るい、元気な美少女新入生だ。


 そう、猫村琥珀は、まさしく猫被りの少女。

 それが、彼女の高校デビューなのである。


 故にそれはまだまだ不完全で、早くもボロが出るところだった。


 俺をボーイフレンド扱いされこと、そんなにイヤだったかなぁ。


「しかしまぁ、新入生代表ねえ……」

「入試の主席合格者は忙しいの」

「え。マジか……琥珀が主席?」

「悪い?」

「いや、べつに」


 うちの学園、けっこう偏差値高いはずなんだけど。

 琥珀が頭良かった覚えなんてないのに……。


 しかし、これで今朝の謎は解けてきた。


「だから俺を引っ張ってきたわけか」

「……ふん」

「断ればよかったのに。挨拶なんて」

「だって……いい機会でしょ。ここでビシッと決めておきたい」

「まぁ、それはそうだけどさぁ……」


 琥珀にとって、それはなかなかの試練だ。


「なあ、震えてんぞ?」


 琥珀の手を指さす。

 手だけではない。肩も、足も、小刻みな震えが見てとれた。


 何を隠そうこの幼馴染、実は人一倍緊張しいで、人見知りで、怖がりなのだ。


 慣れ親しんだ俺の前でならいざ知らず、他人の前で滅多に会話をしようとしない。

 先ほどの先輩との会話も、琥珀の高校デビューを知っていたとは言え内心かなり驚いたくらいだ。


「震えてない」

「いーや震えてるね」


 琥珀は人と群れるのを嫌っていた。

 だから、琥珀には今までまともな友人がおらず、彼氏なんて言わずもがな。


 性格は年々捻くれていくばかり。我が道をゆく、気ままなノラ猫道。

 

 しかし琥珀は高校デビューと称して、そんな自分を変えようとしている。


 友人を作って、彼氏を作って、学園生活をエンジョイしようとしているのだ。


 そのための最終段階として行ったのが、昨日の『練習』だ。


 何をするにも、練習しないと安心できないから。だから、いつかのためにあらかじめ練習をしておきたい。琥珀はそう言っていた。


 まぁ、俺にとっては美味しい話だ。


 童貞を楽に捨てられてラッキー。

 ついでに身嗜みも叩き込まれたし。

 以上。お互いウィンウィンで、もう用済み————といきたいところだ。


「……ったく、やっぱり琥珀ちゃんは手がかかるなぁ〜」

「なにウザい」

「よしよし」


 俺はポンポンと琥珀の頭を撫でる。


「……ヘンタイっ」


 逃げられたが、気にしない。

 もう一度、今度はゴシゴシと撫でる。


「ちっとは震え、止まったか?」

「うみゅ……」


 俺はべつに、琥珀のことが好きじゃない。琥珀だってそうだろう。

 だけどまぁ、無駄な時間だけは積み重ねてきているからな。

 言葉にされずとも頼られているのが分かれば、悪い気もしない。

 幼馴染のよしみがあってもいいと、そう思ってしまうのだ。


「よし。じゃあ練習しよう。俺が高速で反復横跳びするから、その分身を大勢の観客だと思ってオマエは原稿を読むんだ」

「えぇ?」


 驚く琥珀を連れて、誰もいない体育館裏へこっそりと移動する。


 待っていてと言っていた立花先輩には悪いが、俺がむりやり学校案内でもしていたことにでもすれば琥珀の心象も悪くはならないだろう。


 軽く準備運動すると、俺は反復横跳びを始めた。


 うおおおおおおおお出でよ俺の分身〜〜〜〜〜〜!??!?

 これが俺の残○拳じゃああああああああ!!!!


「ぷ。ぷふ。なにそれ。バカ? 1人だし」


 琥珀が堪えきれずに吹き出す。


「うっせえ! 笑ってんじゃねえ早くしろ! 長くはもたんぞおおおおお!!」


 うひょおおおおお足が攣りそう〜〜!


「わかった。……じゃあ、読むからね」

「おう! 完璧なオマエを見せてくれ! オマエはあの会長以上の学園のアイドルにだってなれる!」

「うん……!」

「胸はないけど!」

「……死ねヘンタイ」


 琥珀は入学式まで時間の余す限り、練習を続けたのだった。

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