第2話 (ニコッ)

「俺、もう童貞じゃねえんだよな……?」


 春休み最終日。

 俺、天川あまかわスズメは目を覚ますと、小さく呟いた。


 ————ねえ、ワタシとえっちしてくれる?


 そんな話をあいつが持ちかけて来たのは、春休みに入った直後のこと。


 それは彼女の「計画」の一部であり、「練習」だった。それに俺も一枚噛めと言うのだ。

 最初はもちろん、戸惑った。

 だけど、さっさと童貞を卒業したい俺にとっては渡りに船と言えなくもなかったので了承することにした。


 まぁ、あいつはどうせ俺の意見などろくに聞かないのだけど。

 とにもかくにも昨日、俺たちはついに……シたはずなのだ。

 好きでもない幼馴染同士で、いつかのための「練習」という名目の初体験を。


 しかし今朝になってみて、未だ実感はない。

 まるでぜんぶ、夢だったみたいな……。


「トーゼン。スズメはもう童貞じゃないの」

「そうか……そうなんだよな……うん……」


 端的で分かりやすい答えに頷く……が、


「いや誰だよ!?」


 慌てて身体を飛び起こす。

 ベッドの脇には1つ年下の幼馴染、猫村琥珀ねこむらこはくが立っていた。


「おはよ」

「…………お、おは……よう……?」

「じゃ、行くから。来て」


 琥珀は問答無用で俺の腕をとって引っ張る。


「え、なに。ちょ、待って。おいぃ!?」

「待たな————いっ?」

「…………え?」


 抵抗すると、琥珀は突然何かを思い出したかのように俺の手をパッと離した。

 それから俺の手を掴んでいた自分の手をしきりに気にして見つめた後、ゴシゴシと自身の制服に擦りつける。


 ……そんなにきちゃない? 

 幼馴染ながらその反応はさすがに泣きそうなんですが。


 琥珀の頬には赤みが差していた。


「……どうかしたか?」

「な、なんでもないっ。とにかく、行くから。ついて来て」

「え、やだ怖い。不気味。言葉足らず。そもそも今日は春休み最終日なんだ。全学生が家でグータラする日なんだ。家から一歩も出とうない」

「いいから」

「イヤです」

「………………(ニコッ)」


 固き信念をもって頑なに拒んで見せると、琥珀はどこか冷たい微笑を浮かべた。


 さっきまでの53万倍くらい怖っ。


「ね、スズメ」

「は、はい」

「言うこと聞かないと……」

「き、聞かない……と……?」


 琥珀はたっぷりと溜めを作ったのち、言う。


「ちん○ん、削っちゃうから♪」

「……ほわっつ?」

「ちん○ん、削っちゃうから♪」

「ウヒィぃぃぃぃぃ!?!?!」


 怖いっ! やっぱり怖いよぉこの女ぁ!?!?!

 宇宙の地上げ屋さんでも尻尾巻いて逃げるってぇ!!!??!


「ちん○ん、削っちゃうから♪」

「3度も言わんでよろしいいいい!?」

「ちんち————」

「冗談にしてもくどいわ?!」

「え? なにか、言った?」

「あ、はい。ごめんなさい何でもするので削らないでください童貞卒業が最初で最後になっちゃうからあああああ!?!??」

「ん。よろしい。じゃ、さっさと行くよ」

「せめて5分ほど準備の時間をください……」

「……わかった。リビングで待ってる」


 じゃ、と軽く手を振ると琥珀は慣れた様子で部屋を出ていった。


 その背中を見送ってから、俺は安堵のため息を吐いた。どうにか股間は救われた。


 すると直後、琥珀が戻ってきて再び部屋のドアが開けられる。


「おわぁ!? なんだよ!?」


 股間見つめてるとこ見られた……。

 しかし琥珀は意に介した様子もなく、ドアから顔を半分覗かせる。


「冷蔵庫のプリン、食べていいよね」

「は? ざけんなそれは俺のとっておき————」

「い・い・よ・ね・?」


 極寒の笑顔再び。うちの幼馴染は氷結系魔法使いです。


「……どうぞ美味しく召し上がってくださいませ……」

「トーゼンっ」


 ぺろりと舌を出した琥珀は機嫌良さそうに今度こそ部屋を出て行った。


 なんかもうね、その笑顔見ると股間がひゅんってして降伏宣言しちゃうのですが。


 そもそも、なんでプリンのこと知ってんだよ。


「勝手知ったる幼馴染の家、かぁ……」


 そういうのは幼馴染じゃなくて、カノジョであって欲しかったなぁ、とか。

 もっと甘い話であって欲しかったなぁ、とか。プリンは甘いだろとか言うな。


 カノジョでもないのに、幼馴染というだけで人の家に好き放題上がりこんでいるのだからプライベートも何もあったもんじゃない。

 

「……さて、またドヤされる前にさっさと着替えるかーっと、あれ、でも何着ればいいんだ?」


 そういえば琥珀は制服を着ていた。

 それは去年までとは違う、初めて見る制服姿。

 琥珀は今年度から俺と同じ美浜学園に通う一年生なのだ。


「じゃあ、俺も制服か?」


 春休み中にクリーニングした制服をクローゼットから引っ張り出す。

 さっと制服に袖を通すと、俺は髪のセットを始めた。


「ええっと、ここを、こうして……ああクソ、まだ慣れねぇ。決まらねぇなぁ」


 つい先日、俺は琥珀と例の練習をする過程で身嗜みの改善を施された。

 いわゆる、イメチェンというやっだ。

 練習とはいえ少しでも清潔で顔の良いヤツとやりたかったということだろう。


「まぁ、こんなもんか」


 鏡に写る自分の姿は、贔屓目ではあるもののそれなりだと思えた。

 春休み前までとは似ても似つかない自分がそこにはいた。


 童貞を卒業したことも実感してか、自然と気持ちが上向きになるのを感じる。

 なんだか、今年の俺はひと味違うような。……気のせいか。


「……でも、少しは褒めてやろうかねぇ、制服姿」


 きっと、とびきりイヤな顔をするだろうけれど。

 

 

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