第32話
動物の病気は見た目だけじゃわからないことも多い。
きっとくぅちゃんもそういう病気に知らない間にかかっていたんだろう。
なんだか切ない気分になって、里香の顔を真っ直ぐ見ることができなかった。
「最初は悲しくてずっと泣いてた。一緒にいたのに病気に気がついてあげられなくてごめんって、ずっと謝ってた。だけど一ヶ月二ヶ月経つとね、だんだんくぅちゃんのことを思い出す時間が減っていったの」
里香は一旦話を切った。
「でも、それは普通だよね? ずっと引きずっていることなんてできないもん」
「そうだね。それはわかってるんだけど、でもすごく辛かったよ」
「辛い?」
前を向き始めるのはいいことだと思っていた。
前を向く本人が辛いなんて、考えたこともなかった。
「うん。だって、あれだけ大好きだったくぅちゃんのことを、いつか自分は忘れるんじゃないかって思って。すごく辛くて、怖かった」
忘れてしまう……。
人から見れば前を向くようになったと感じても、本人からすれば大切な人を忘れてしまうという恐怖を抱いていることもある。
初めて知って、あたしは目を見開いた。
もし江藤くんの中でもそういうことが起きていたら?
今日1日生徒手帳を開かなかったことに、恐怖を抱いていたりしたら?
今回の心残りは、それかもしれない。
「江藤くんになんて伝えればいいと思う?」
聞くと、里香はニッコリと微笑んだ。
「忘れることなんてないから大丈夫だよって。思い出す回数が減ってきたのは、相手が常に自分の胸の中にいるようになったからだよって」
里香はそう言うと自分の胸に手を当てて見せた。
そこにはきっとくぅちゃんが今でも生きているのだろう。
「真央ちゃんも、江藤くんの胸の中にいる?」
「もちろんだよ」
本人がいなくなっても、思い出は消えない。
自分が覚えている限り、生きている。
そう伝えてあげればいいんだ。
☆☆☆
江藤くんがサッカーから戻ってきたとき、あたしはいつもよりぎこちなく話しかけた。
「相手を思い出す時間が短くなるのは、怖いことじゃないよ」
突然そんなことを言い出したあたしに目を見開き「え?」と、首をかしげる江藤くん。
だけどあたしは話を続けた。
「自分が覚えている限り相手は江藤くんの胸の中に生きているの。だから、どんなに前を向いて歩いて行っても、大丈夫なんだよ」
そう言うと、江藤くんがハッとしたように息を飲み、胸ポケットに手を触れた。
あたしはめまいに備えてギュッと目を瞑る。
しかし、いつまで待ってもめまいは襲ってこなかった。
そっと目を開いてみると、世界もゆがんでいない。
「俺、今日1日も生徒手帳を見なかった」
江藤くんが呆然として呟く。
「うん……」
「でも、それって悪いことじゃないんだよな?」
江藤くんの言葉にあたしは大きくうなづいた。
あたしは大切な人を失った経験がない。
だから偉そうなことはいえないけれど、きっと真央ちゃんは江藤くんがループすることなんて望んでいないと思う。
だから、これでいいんだ。
江藤くんの目にかすかに涙が浮かんでいる。
前を向くための痛みに必死で耐えているのがわかった。
「そうだ、緑川にはまだ言ってなかったよな」
思い出したように江藤くんが言う。
「俺、サッカー部に入ったんだよ。ずっと興味があったんだ」
その言葉に一気に気持ちが舞い上がっていくのを感じる。
「そ、そうなんだね!」
初めて聞いたように目を輝かせてうなづく。
「今日の昼もグラウンドでサッカーしててさ、やっぱりすごく楽しくて、大好きなんだってわかった」
うん。
見ていたから知っているよ。
「たぶん、真央も喜んでくれてると思うんだ」
「そうだね」
「緑川のおかげだよな」
「え、あたし?」
「あぁ。いつでも俺のこと気にしてくれてたじゃん。本当にありがとう」
そんな……。
最初はループを止めなきゃいけないっていう使命感からだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます