第31話

江藤くんが教室へ戻ってきたとき、あたしは念のために声をかけた。



「さっきサッカーをしてたみたいだけど、生徒手帳を落としたりはしてないよね?」



その問いかけに江藤は一瞬目を見開いて胸ポケットに手を触れた。



「うん。落としてない」



ホッとした様子でそう返事をする。



やっぱり、生徒手帳はちゃんと持っているみたいだ。



じゃあ、どうしてループが始まったんだろう?



まさかあたしがずっと昼休憩だったらいいのに、なんて考えたから?



そう思ってすぐに考えをかき消した。



残念ながらあたしにそんな力はない。



そんな力があれば、もっといい人生を送っていると思う。



「俺、今日は1日も生徒手帳を見てない」



江藤くんが深刻な表情で言う。



「それって――」



どういう意味?



そう質問する前に世界がゆがんでいた。



グニャリグニャリと形を変えて、生徒たちの声もゆがみ始める。



また!?



今日はなにもなかったはずなのに、なんで!?



気がつけば、あたしの前にはお弁当箱。



お腹はペコペコで、里香が「食べないの?」と聞いてくる。



「食べるよ!」



あたしは半ばムキになってそう返事をして、大きな口でおかずをほお張った。



そんなあたしを見て里香は瞬きを繰り返したのだった。



「……なるほど、またループしてたんだね」



お弁当を食べ終えて、里香に簡単な説明をした後だった。



あたしは腕組みをして深いため息を吐き出した。



「今回は戻る時間が短くて、余計に難しいよ」



「そっか。でも、生徒手帳を落としたわけじゃないってことはわかったんだよね?」



「うん。そう言ってた」



もしも落としていれば、江藤くんのことだから真っ青になってたことだろう。



そんな様子も見られなかった。



「他に、なにか気がついたことはないの?」



里香に聞かれてあたしはうーんと腕組みをしたまま考えこんだ。



なにせ花粉のせいで頭には常にモヤがかかった状態だ。



思い出すまでに時間がかかる。



「サッカーをしている江藤くんはかっこいいとか。あたしが知らない間にサッカー部に入ってたとか」



ブツブツと文句のように口にするあたしに里香は呆れ顔だ。



「それは単なる嫉妬でしょ?」



言われて目を見開いた。



「嫉妬!? な、なに言ってるの? なんであたしが嫉妬なんてしなきゃいけないの?」



まくし立てるように言ってそっぽを向く。



だけど自分の顔が熱くなっていくのがわかった。



きっと、頬は真っ赤に染まっていることだろう。



「亜美は本当に江藤くんのことが好きだね」



あたしを見て笑いをかみ殺して言う里香。



「す、好きなんかじゃ……っ!」



否定する言葉が途中で途切れる。



女子生徒たちが窓辺に向かい、サッカーを見始めたからだ。



「でも、今はそうじゃなくて、もっと重要なことをしなきゃいけないんでしょう?」



里香の落ち着いた声にあたしはうなづく。



腕組みをとき、大きく深呼吸をした。



「江藤くんは今日1日生徒手帳を見てないって言ってた。あたしが生徒手帳を落としたんじゃないかって質問をしたから、そのことを思い出したみたい」



「そっか。それって江藤くんが自分の生活を大切にし始めたってことかな」



今度は里香が腕組みをして、難しそうな表情になった。


「そうなのかも。真央ちゃんが死んで落ち込んでたけど、前を向き始めたってことだよね」



窓辺から聞こえてくる女子の黄色い声に顔をしかめ、あたしは答えた。



部活に入ったのだって、江藤くんが前に進んでいるという証拠になると思う。



それは悪いことじゃないのに、どうしてループするんだろう?



「あたしさ、前犬を飼ってたんだよね」



不意に里香が思い出話を始めた。



「なにそれ。今それ関係ある?」



今は江藤くんのループの原因を探すのが先だ。



しかし、里香は話を止めなかった。



「幼稚園から小学校5年生まで飼ってたの。名前はくぅちゃん。茶色の雑種犬でね、赤ちゃんの時に公園に捨てられていて、それを拾ってきたの」



里香の話にあたしは頭の中で茶色い雑種犬のくぅちゃんを思い浮かべていた。



「動物を飼うのは初めてだったから、毎日お世話したよ。一緒に散歩して、ご飯をあげて、一緒に眠って。くぅちゃんがあたしの兄弟みたいだった」



里香の表情は昔を懐かしむように穏やかだった。



「でも、小学校5年生の頃、くぅちゃんは死んだの」



「どうして?」



「たぶん病気だったんだって。7年間一緒にいたけど、人間で言えばもう老人で、だからいろいろな病気を持ってたのかもしれないって」

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