第23話 やさしさに包まれたなら(1)
その晩、僕は夢を見た。この部屋に来て最初の夜に見たのと同じ、「これは夢だ」という自覚のある夢。真っ暗な部屋の中に熟した果実の匂いが濃く漂い、生暖かい空気を感じる。暗い中に白っぽいもやのような塊がうごめいてチャリ、チャリ、と鎖の音がする。
音はその白い何かから聞こえてきて、だんだんと近づいてきた。それは大きな生き物のようにうごめいている。目をこらして見ていると、白い塊は徐々に何かの形に固まっていった。
人の形、それも裸の女性だ。動物のように床を這っている女性の顔は全く見えない。
その白い体から鎖が伸びていて、音はそこから聞こえていた。同時に何か苦しそうなうめき声もその女性から聞こえてきた。僕は何故かそれが真希お姉さんの声に聞こえて、その女の人が真希お姉さんのような気がした。
起き上がろうとして、そこが部屋では無く、もっと広くて真っ暗な空間だと気がつく。何故かとても息苦しくて、自分の体に何かが絡みついたかのように重たい。それでも必死で動いて女の人の方へと近寄った。
鎖は女性の首輪につながっている。女の人の体を起こそうとするけど持ち上がらない。遠くに明かりのようなものが見えたので、女性の体を抱えて這うようにして進んでいく。
どのくらい進んだだろうか。夢の中なので曖昧だ。暗い場所を抜けて光の中に僕らは出た。息苦しさも収まって爽快な気持ちになる。光の中は、芝生のような青々とした草に覆われた広い野原だった。
その野原の中で女の人の鎖だけが穴のような暗い空間につながっている。僕が鎖を引っ張ってみると、端っこが穴から出てきた。
鎖でつながれた女性を僕が引き回すような形になっている。うずくまった姿の女性の顔はよく見えないけど、やはり真希お姉さんのような気がする。近づいて顔を見てみると、徐々に形が固まっていって、真希お姉さんの顔が現れた。その顔は楽しそうに笑っていたような気がする。
◆◆◆◆◆◆◆◆
目が覚めると、目の前に真希お姉さんの顔が現れた。素っ裸で目を閉じているお姉さんは脂汗を流していて、眉間にしわを寄せていた。呼吸も苦しそうだ。特に今晩は暑くて寝苦しいというわけでも無いのに……何か悪い夢でも見ているのだろうか?
僕はお姉さんの隣に寝転がって子供をあやすように背中をさすってみた。徐々にお姉さんの呼吸が整っていって、表情も柔らかくなってきた。やがて目をうっすらと開けて、僕の方を潤んだ瞳で見てきた。
「大丈夫?苦しくないですか?」
僕がそう話しかけると、お姉さんは夢から目覚めた感じで意識を取り戻していって、そして僕に抱きついてきた。大きな乳房が押し当てられて気持ちが良いけど、そんなことよりもお姉さんの調子が良くなったことが嬉しい。
「怖い夢を見ていたの……暗いところで動けない夢。そうしたら貴文くんが助けてくれて、明るい場所に出たと思ったら目が覚めて……ありがとう」
「いえ……夢の中の話ですし……」
「でも、起きたらやっぱり貴文くんが撫でてくれていて……お願い……これからも何かあったら私を助けてね」
「もちろんですよ」
夏だけどまだ外は暗い。時計を見るとまだ夜中だったので、僕らはまた眠りについた。
今度は夢の中で僕とお姉さんは、あの野原のように明るい場所で仲良く遊んでいたような……そんな楽しい夢を見たような気がする。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
こうしてあの時のことを思い出しながら書いていると、やはり真希お姉さんが行方不明となったあの時に近づくにつれて記憶が曖昧になってくる。記憶だけでは無くて私の心も千々に乱れて上手くまとまらない。もう何十年も昔のことだというのに。
既に最初の部分はいくつかwebに投稿したのだが、文章を見比べてみても後半の乱れが酷い。何度推敲して書き直してみても読みやすい文章になって出てこない。
あの夏のことも生々しく思い出されることもあれば、霧の中のようにあやふやなことも混じっていて、事実とかけ離れた記憶になっているかも知れないが、今となっては確かめるすべも無い。でも、あの時私が感じた真実そのままに描くと、どうしてもこういう感じになってしまう。
あの夏、真希お姉さんと同じ布団で眠った夜の後……数日後に私の家族を含めた親戚がミツブセの本家に集まってきた。大座敷に集まっての法事と、そして宴会などがあったと思う。その日から私は家族と合流してミツブセの屋敷を出たのだけれども、その最後の日に私はお姉さんと大切な約束をして別れた。
その後、手紙のやりとりをしたり冬や春の休みの時などは何度かお姉さんと会ったりした。翌年には私も成長していて丁度いい身長差になっていたと思う。
今、手元に色あせたレンゲの花がラミネートされた栞がある。お姉さんが送ってきてくれた栞だ。何十年も仕舞ってあった栞のハートの形に編まれたレンゲはとうの昔に色あせていて何の匂いもしないのだけれども、それでもこれを見ていると、お姉さんの匂いを思い出すような気がする。
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