第18話 夏の終わりのハーモニー(1)



 久しぶりにこの炭屋敷に着いた日、車を駐車場に止めると傘を差して出迎えてくれたのは善十さんだった。大変な高齢になられたはずなのに、未だに変わらず元気でおられるようだ。



「貴文さま、遠いところからよくいらっしゃいました」



「いえ、ご丁寧にどうもありがとうございます……従伯母さんもお変わりなく?」



「ええ、皆さん変わりなく過ごしておられます。貴文さまが来られるのを喜んでおられました。旦那様も大奥様も。しかし、今年は涼しくて過ごしやすいのですが少し雨が多いようで、夏野菜の育ちが良くないように思いますな……」



 あの頃よりも善十さんは口数が増えたような気がする。ただ、今の炭屋敷には従伯母さんと善十さんしか居ないはずなのに……なにぶん高齢だから過去と現在の記憶が混ざってしまっているのかも知れない。



 炭屋敷の中は昔と変わっていない。従伯母さんもかなりのお年になられたはずだけれども、相変わらず落ち着いた感じがする和服が似合う人だ。あの頃の大伯母様より高齢になられたはずだけれども、まだまだ元気そうな感じだったので安心した。



「ご無沙汰しています」



「いえいえ、遠くからよく来られました……お疲れでしょう?後でお部屋に案内しますね。狭い部屋で申し訳ないけど、昔、貴文さんが使った部屋を用意しました」



「ありがとうございます」



 客間でお茶をいただきながら従伯母さんと善十さんと話をした。



「今はこのお屋敷も寂しくなりましたね」



「ええ、でも、善十が意外と話し上手で退屈しませんのよ。昔のことは本当によく覚えてくれていて。それに、恭子先生が時々資料を見に来られますので」



 私はそっと従伯母さんからの手紙の赤い封筒を旅行鞄から出して座卓の上に置いた。



「お招きいただきありがとうございます。……ところで、同封の手紙はどこで?」



「先日、真希の部屋を片付けておりましたらひょこっと出てきましたの……あの時、警察の人もさんざん調べて、その後も何度も掃除したんですけど、今になって……あの子が貴文さんを呼んでいるのかなと、そう感じました」



「私もそんな気がします」



「読まれました?」



「いえ、まだ封をしたままです。まだ気持ちの整理が出来なくて」



「そうですよね……あの子……真希も貴文さんのことは強く思っていましたから……真希も貴文さんと会った後は幸せそうでした」



 あの夏以降も真希お姉さんとは手紙のやりとりをしたし、外で会ったりもした。そして、私が高校を卒業したら迎えに行くと約束していたのだけれども、その約束は果たされることは無かった。



 私が高校を卒業する前の夏のある日に真希お姉さんは行方不明となった。お姉さんの乗っていた軽自動車が池の中から発見されて衣類も見つかったのだ。警察が調べても遺書は発見されなかったけど、その少し前からお姉さんは激しく情緒不安定になったり、人間関係のトラブルがあったりした、などの状況から事件性は無いと判断されたそうだ。



 その後、数年の記憶が私には定かでは無い。どうやって乗り越えたのか今でも思い出すことが出来ない。大学に進学し就職してからは、その記憶を封印するようにして今まで過ごしてきた。



「お嬢様もかみさまも、貴文さまのことを、あの時からたいそう好いておられました」



 そう善十さんが言った。



「貴文さまが来られて旦那様も大奥様も喜んでおられます。紀明さんのところからいい子が来てくれた、と」



 従伯父さんも大伯母さまも亡くなられてから久しい。でも、善十さんにとっては昔のことも現在のことも同じように見えているようだ。私は旅行鞄の中から包みを取り出した。



「従伯母さん、とらやの羊羹ですが、これをお供えしたいのですが」



「あら、ありがとうございます。さっそくお供えしますか?」



「お願いします」



 3人で仏壇へと向かい、私は正座して深く礼をして、心の中で本来なら数十年前に言うはずだった言葉を今は亡き従伯父さんに述べた。もちろん答えは返ってこないけれども、従伯父さんの穏やかな顔が浮かんでくるように感じられた。



 手を合わせると、そこには真希お姉さんの写真も飾られていた。行方不明でも、状況的に、ほぼ絶望的……そういうことで今では行方不明になった日を命日にしている。



 それから私は善十さんに案内されて用意された部屋に向かった。奥の部屋は数十年前と全く変わること無く私を迎え入れてくれた。そして、私は荷物を置くと机の前に座ってノートパソコンを机の上に置いた。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 真希お姉さんとお祭りに行った数日後のこと。その日はお姉さんが休みの日なので、あらかじめデートの約束をしていた。お姉さんが僕に「デートしよう」と持ちかけてきたのだけれども、僕もすごく楽しみにしていた。



 この町で過ごすようになってからよく食べるようになったし、運動もしたので体力も付いたと思う。何故かすぐに眠くなって夜も早く寝るようになり、規則正しい生活をしているおかげで健康になったような気がする。



 もちろん体重も増えているんだけど……出来れば身長ももう少し伸びて欲しいなと思う。今は真希お姉さんとそう変わらない背丈なので、もう少し高くなったら真希お姉さんと並んで歩いても堂々として居られるんじゃ無いかなと期待したい。



 幸い、今日は夏の盛りにしては少し涼しく感じられる。でも、朝から部屋で勉強をしようとしていたんだけど、そわそわして手につかない。気もそぞろで待っていたら、予定より少し早い時刻に真希お姉さんがやってきた。



 先日と同じように大きな荷物を持っている真希お姉さんは今日は白っぽい短パンに水玉模様のTシャツ姿だった。相変わらず大きな胸が一層強調されているような気がする。



 そして、今日のお姉さんは長い髪をまとめてポニーテールにしていた。細くて白い首筋がとても色っぽい。短パンから伸びる白い足も輝くように健康的で、とても素敵だ。

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