第8話 青春の影



 こうしてあの時のことを思い出してみると、真希お姉さんの姿や感触ははっきりと思い出せるのに、どのような言葉を交わして、どのように行動していたのかをよく思い出せない。だから、実際はもっと不器用でうまく行っていなかったのかも知れない。



 そもそも真希お姉さんにだって、あの時付き合っている人が居た可能性だってあったのに、いきなり「付き合ってください」なんて、若さゆえの暴走だったと思う。



 でも、あの時、今まさに私がこの文章を打っているこの部屋で真希お姉さんと私は初体験をしたのだ。夢と現実の境目のような気分がこの町に帰ってきてからずっと続いているけど、あの時の真希お姉さんの感触は生々しく私の中に残っている。



 短くまとめるつもりだったのに、とめどなく思い出が溢れ出して、思っていたよりも長い文章になってしまいそうだ。web小説サイトに掲載する予定を変えて連載での投稿に切り替えてみた。長すぎると自分でも読みにくいので、丁度いい長さで切って編集してみる。こうして推敲しながら何回かに分けて投稿したほうが良いかも知れない。



 旅行鞄の中には従伯母さんからの手紙とともに、数十年間捨てることも読み直すことも出来なかった真希お姉さんからの何通もの手紙が入っている。今の私が読み返せば、あの頃の真希お姉さんの気持ちを理解する助けになるかも知れないけれども、まだどうしても再読する気持ちにはなれない。



 この町に来てからのことも少しずつ書いて行こう。最近の事の方が何故か数十年前の出来事よりも不確かで夢のような感じがするので書き留めておいた方が良いと思う。順序がおかしくなるようだが、私の心に添って書いた方が時系列でまとめるよりも自然に思える。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 ……数日前、私がこの町についた時は雨が降っていた。雨に煙る町の景色は緑の山々も田んぼや町の家々も彩りが薄れ、水墨画のように見えて、それはそれで風情があった。高校生だった時とは違って自分の車を運転してここまで来たが、町の風景はあまり変わっていないようでも、ひとつひとつの建物は少しずつ変わっていたようだ。



 あの時、真希お姉さんとご飯を食べた喫茶店は同じ場所に今でもあったけれども、メルヘンチックな建物ではなく現代アート風の建物に建て替えられていた。あれからもう何十年もたつから、経営者も変わったのだろう。



 遅い昼食をいただくために店に入ってメニューをいろいろ見ていると、シシ汁定食というのがあった。ウェイトレスさんに聞いてみた。



「あの?これは?」



「郷土料理なんですよ。最近はイノシシの被害もあるから駆除した害獣の有効利用ですね」



「……じゃ、それを」



 カツカレーを頼まなかったのは、たぶん無意識にあの頃のことを思い出したくない気持ちが働いたのでは無いかと思う。外装も内装もすっかり変わっていて当時の面影は無かったが、やはりまだ思い出すのは辛かったのかも知れない。



 待っている間、向かいの席の女性を見ていて、その人が恭子先生だと気がついた。もう何十年もたつし、さすがに髪の毛は真っ白になっているけど、面影は昔のままだ。なじみがあるように感じられるのは、数十年の間にも本家での法事で何度も会ったし、その度に色々な話もしてきたからだろうと思う。



 やがてウェイトレスさんが定食を持ってきた。シシ汁の他には夏野菜の天ぷらや焼き魚、小鉢が付いている。なかなか美味しそうだけれどもシシ汁からは、昔、ミツブセの屋敷で頂いたときのような匂いはしない。



 具材を見てもイノシシ肉や牛蒡や里芋などがいっぱい入っているけど山菜や茸らしいものはあまり見当たらない。確か毒抜きが大変でミツブセの本家でくらいしか食べられなくなったと、昔、聞いたことがあるし、それは仕方がないだろう。



 私が昼食を食べていると、向かいの席の恭子先生が私に気がついた。



「おや?貴文くんじゃないか。久しぶりだな」



「お久しぶりです」



 もう、私もそれなりの年齢になるのに先生の私の呼び方は変わらない。「貴文くんも昔からあまり変わっていないからな」と言ってくれるのだが、実際は老けたと自覚することも多いし、単に昔の印象が焼き付けられているだけでは無いかとも思う。



「どうだ?久しぶりのシシ汁、美味いか?」



「ええ、美味しいですけど、やっぱりミツブセの本家の味とは違いますよね」



「まあ、あの家のは昔ながらのレシピだからな。その昔はあれでもご馳走だったんだそうだ」



 食後、先生に外のテラス席に誘われてコーヒーを飲みながら、とりとめもなく昔話をした。外は雨だが、それほど強く降っているわけではなくて、テラス席の屋根で十分に防げている。さあさあという雨音が静かに聞こえる。恭子先生はポケットからくしゃくしゃのハイライトの箱を取り出した。



「すまんが一服させてもらうよ。貴文くんは構わないか?」



「構いませんが……恭子先生、煙草を吸うんですね」



「昔からな。まあ、仕事柄あまり目立つようには吸わなかったけれどな」



 私もメビウスを取り出して火を付ける。



「そうか……貴文くんも吸うようになったんだな」



「私がもういくつだと思ってるんですか。大きな子供が居てもおかしくない年ですよ」



「それもそうか……こうして変わらない町にいるとな、時間の感覚が変になってしまうよ……それで、久しぶりだけれども、この町にはどうして?」



「従伯母さんに招かれましてね……丁度、暇も出来ましたし」



「そうか……あれからもう何十年もたつしな」



 恭子先生はもう教師は定年退職して町の嘱託で働いているらしい。確か一度も結婚せずに今も一人で暮らしているはずだ。今は歴史資料関係の仕事をしているそうだ。話の流れで、この町の歴史関係で思い出したことを色々と尋ねてみた。



 気になっていたのは「さかいのおやしろ」と言われてた神社の「かみさま」と、古い「お祭り」のことだ。どうもこの町の風習は他の地域とは異なっているらしい。

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