第4話 君は天然色

 こうしてあの夏、私がまだ高校生だったあの暑い夏のことを思い出していると、それは現実よりもずっと生々しく存在感があって、手を伸ばせば届きそうな世界のように思えてくる。



 あの時のことを書いていると自然に気持ちが高校生だった頃に戻って、細やかな情景が次々と生々しく浮かんできて昨日の出来事よりもずっとリアルに感じられてしまう。



 今、私がこうやって文章を書いているのも、あの時私が寝ていた部屋だ。部屋の入口を見ると確かに板の間に角材の断面が並んでいる。



「座敷牢」……そういう言葉が思い出される。



 昭和の時代でも戦前から戦後のある時期までは昔の田舎ではこういう部屋があって、障害を持った人が閉じ込められていたという暗い歴史があった。ただ、本家でそういう人が過去に居たという話は聞かないし、何か別の目的があったのかも知れない。



 数日前にこの町に来てから何人かの人と会って昔の話を色々と聞いたりした。昔、山の仕事は肉体を使った厳しいもので、人権が顧みられなかった時代には身寄りのない人、戦争で焼け出された子どもたちが集められて働かされるということもあったらしい。



 でも、この部屋でこうして扇風機にあたっていると、今にも真希お姉さんがやってきて他愛のない話をし始めそうな気分になる。もう何十年も昔の話だと言うのに。



 真希お姉さん……キスをしたこの時点では、まだ私にとって可愛くていたずらなお姉さんというだけだった。当時の私にとってはとても年上で大人のお姉さんに思えたけれども、今から思えば20歳そこそこの女の子……どういうつもりだったのか今でもわからない……お姉さんにも、きっと色々な思いがあったのだろうと思う。



 旅行鞄から従伯母さんからの手紙を取り出してみた。赤い封筒には従伯母さんの時節の挨拶とともに私を招く文面が書かれた手紙と、そして、古い封筒が同封されていた。差し出されることのなかった私宛の封筒には切手が貼られていて、当時の私の住所がお姉さんの可愛らしい字で書かれていた。



 あの夏、真希お姉さんは私にとって、かけがえのない、世界で唯一人の大切な人になり、その後も何度か会ったり手紙のやり取りもした。長い間、思い出すこともなく……いや、封印するようにして日々を過ごしていたけれども、私の心の奥底から真希お姉さんは消えることはなく、こうして文章にすると生々しい思いが蘇ってきて少し息が苦しくなる。



 空気からあの日のような熟した果実の匂いが漂ってきて、数十年前の思い出が私の心からどんどん溢れ出てくる。まるで真希お姉さんが「私を忘れないで」「私はここにいるよ」と言っているかのように。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 その日の夕食。従伯父さんは外で会合があるとのことで居なかったけれど、本家の人たちと食卓を囲んだ。今日はシシ汁ではなくて普通の味噌汁で、茄子と鶏肉の煮物や漬物が出てきて、味付けも控えめでとても美味しい。今日は少し運動したせいか、ご飯もおいしく感じられる。



 食後、お茶をいただいで寛いでいると真希お姉さんが僕に話しかけてきた。



「貴文くん、私、明日も早番だから帰ってくるの早いから、車を使って案内してあげようか?」



「ああ、それが良いんじゃないかねえ?真希も午後から暇でも家でゴロゴロしてるだけだから、丁度いいよ」



 従伯母さんも賛成した。



「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」



 でも、真希お姉さんと一緒に、と考えただけでドキドキする。さっきあんなことがあったばかりだし。ニコニコと笑う真希お姉さんはとても魅力的で、歳上なのに可愛らしい感じがした。



 その後、従伯母さんは食事の片付けをして、大伯母さんは夜が早くて、真希お姉さんも自分の部屋に戻っていったので、僕も部屋に戻ることにした。少し勉強をしてから布団に寝っ転がって、家から持ってきた文庫本を読む。さすがにエッチな雑誌は今日は読む気にはなれなかった。



 父親の本棚から持ってきたサマセット・モームの小説だ。「夏らしくて良いだろう」と勧めてもらったのだけれども、読んでいると確かに南の島の空気が香ってくるような、そんな小説だった。



 半分くらい読んだところで眠くなってきたので、栞をはさんで蛍光灯を消して眠ることにした。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 その夜も僕は夢を見た。真っ暗な部屋に白い塊がやってきて、僕の上に乗ってくる。そんなに重たくはないし、感触は柔らかくてひんやりとしていて、気持ちがいい。それの唇が僕の体を舐め回してくる。チャリ、チャリ、と鎖の音がする。それは、僕の唇に吸い付いてきて、甘い熟した果実の匂いを感じる。



 気持ちがいい感触に僕の下半身はまたいきり立ってきて、それの手がくすぐるように下着の間から直接、僕の性器に触ってきて、そしてまた射精の快感に包まれて、そういう夢だった。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 翌朝……やはり下着は何ともなっていなくて、夢だったんだなと思った。朝方はそれほど暑くないはずなのに、うっすら汗ばんでいて、興奮が少し残っている……でも、あの柔らかくて気持ちがいい感触や唇に吸い付いてきた感触は……真希お姉さんの感触に少し似ていたような気がする。きっと、昨日はあんなことがあったから夢にも反映されたんじゃないかなと思う。



 この日も皆さん先に朝食を済まされていたので、僕一人で食べた後、午後から真希お姉さんに町を案内してもらうことになっていたから午前中は勉強をすることにした。朝はまだ涼しいので捗る。それほど普段の成績も悪くないし、受験まではまだ余裕があるから、そこまで必死で勉強する必要もないけれども、こうして机に向かっていると気持ちが少しずつ落ち着いてきて集中してしまって、かなり進めることが出来た。



 お昼ごはんは、従伯母さんが今日は川魚を焼いてくれていた。本家では地元で取れたもので済ませることが多いみたいだ。香ばしくてとても美味しかったので、ご飯をたくさん食べてしまった。食べてお腹が満たされると途端に眠くなる。この町に来てから睡眠時間は沢山とっているはずなのに、すぐに眠くなってしまう。さすがに食後すぐに寝るのは良くないなと思うのだけれども、暑くて読書をする気分にもなれなかったので僕は横になって休んでいたら、いつのまにかまた寝てしまっていた。



 気がついて部屋の時計を見ると、一時間くらいうたた寝していたみたいだ。眠るつもりはなかったのに、うっかり寝てしまったせいで寝汗が気持ちが悪い。まだ真希お姉さんが帰ってくるまで間があるかな、と思って僕はシャワーを浴びることにした。



 僕のいる部屋から近くに来客用のトイレと浴室がある。来客用なので家族用の浴槽よりも大きいし浴室自体も広い。さすがにお風呂を炊くのは家族用の方だけで入浴は僕も家族用の方の浴室を使わせてもらっているのだけれど、シャワーはいつでも気兼ねなく使っていいと進められたので、お言葉に甘えて使わせてもらっている。



 広めの脱衣場で服を脱いで浴室に入ると……ドアからは見えなかった影のところから人影が出てきて僕の後ろから抱いてきた。



「ひえっ」



 驚いて変な声が出てくる。何が起こったのか……気が動転していて何も反応できずにいると、後ろの人影が僕に話しだした。



「貴文くん、驚いた?」



 真希お姉さんの声だ。いたずらが成功した、という感じで喜んでいるような喋り方だけど、脅かされた方の身にもなってほしい。びっくりした……でも、ここは来客用の浴室だよね?



「早めに戻ってきたら貴文くんも寝ているし、汗かいちゃっていたから、こっちのシャワーでも使わせてもらおうと思って入ってたの……服、気が付かなかった?」



 再び動悸が激しくなってくる。じゃあ、今、真希お姉さんは裸?じゃあ、今、僕の背中にあたっている柔らかなものは?顔が熱くなってきて振り返ることも出来ない。



「ふふふ。驚かしてやろうと思って隠れてみたけど、うまくいくなんて思わなかった……じゃ、私はもう浴びたから先に出てるわね」




 そう言って僕から離れて浴室のドアを開けて……一瞬、その一瞬、僕はつい振り返って……目に写った情景が焼き付いてしまった。裸のお姉さんの後ろ姿。大きなお尻と砂時計のようにくびれた腰……それはとても綺麗で艶めかしかった。

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