第65話 ひっくりかえって別たれる

 それからもしばらく続けられた、村でのオリヒメさんとヒコボシ(仮)のキケンな恋物語に、場に揃う者たちのテンションは順調に高まっていったのだった。きゃいきゃいと黄色い声が飛び交い、その様、まるで女子高生の恋バナ大会のごとし。

 しかし、「きゃー、それでそれで、続きはどぉなったのぉー!」などと、知らずきゃぴきゃぴと浮ついた乙女色に染まり切っていた己の心の内に、ふと我を取り戻した。


『――ときに、オリヒメ様。今、貴女がここに居られるということは、その羽衣を取り返すことが出来たということなのでしょう。一体、如何なさったのですか』


 不意に疑問に思ったことを問えば、オリヒメさんはたっぷりと布のあしらわれた桃の袖で口元を隠すと、そっと目を愉快気に細めた。


『ふふ、それなのですけれど、あの方ったら、羽衣を家の大黒柱の中に隠していたのよ。どこを探しても見つからないわけです。

 "灯台下暗し"とはよく言ったものですね。ある日娘たちに聞きましたら、衣のありかを知っていたのですよ。もっと早いうちに聞いておくべきでしたわ。まさか、あんなにあっさりと見つかるとは……』


『大黒柱、ですか。考えたものですね……』


『そうでしょう、そうでしょう。お札まで貼り付けてね、よほど私を天へ帰したくなかったんでしょうねぇ』


 感心して思わず唸れば、おかしそうにころころと笑っていた彼女ではあったが、ふいとその朗らかな空気を物憂げに沈ませた。


『下界の暮らしもいいものではあったのですが、長らくそこに在ったせいで、羽衣を見つけた時には私の神力は削れに削れてしまっていて……人の子の祈りだけでは間に合わなくなっていましたから。帰らざるを得なかったのです』


 どこか遠くを眺めやるその姿に、一抹の不安が湧き起こった。

 何と声をかければよいか分からず、しかし蔓延る沈黙は重々しくて。


『……その後、ご息女様方とは、』


 そう、傷つけないよう言葉の先を濁して伺ってみれば、予想に反してオリヒメさんは何か面白いものを思い出したかのように瞳を大きく見開いて輝かせた。


『ああ、それがねぇ、あの方ったら私が別れの折に与えました天上界の夕顔の種を育て、その蔓を天にまで届かせて、立派に育ちましたそれをよじ登り、この雲の地にまでたどり着いてしまったのです。無謀なことをするものですね、うふふ』


『あら、私もその時居合わせたわよね! あんなに細い体つきで、よくもまあと思いましたわ!』


『……私はたまたま、殿からの申しつけにて現世の方へ赴いていましたからね……悔しい限りです』


 きゃっきゃとはしゃぐ黄の衣の天女さんに対し、若草の衣の天女さんは眦を釣り上げて唇をかんでいた。




 いや、ヒコボシ(仮)アグレッシブだな! 夕顔の生命力もすごいけれど、下界からここまで登って来たヒコボシ(仮)の腕力と精神力もハンパないな! ここ、地上何千メートルだと思ってんだ! ……ひぇ、オリヒメさん大好き過ぎかよ。ここまでくるとちょっと怖いな。


 実家に帰った嫁さん追って、故郷まで乗り込んできたってことだろ。これは重いと判断すればいいのか美しい愛の物語と捉えればいいのか……いやでも羽衣を隠して束縛していた前科を想えば、ヤバい方にしか思えないな。

 ふわぁ、アッチィー……… やっぱりこれは関わらないのが大正解だよ。ウェイ先輩には潔く諦めるようにオススメしとこ。もうヒコボシ(仮)の俺の脳内でのイメージ画像が、目の血走ったヤンデレ野郎にしか変換されないんだもの。


 そんな温度差のあるギャラリーに囲まれながらも、オリヒメさんは尚も続けた。


『それで、来てしまったならば折角ですから、娘たちも来られるようにと、天の川に橋を造ってもらおうとしたのです。ほら、天の川で天上界と下界が分かたれているでしょう? あの道が一番安全かと思って』


 下界と天上界を結ぶ道はいくつかあるのだが、利用者はすべて神様。物理法則性を完全無視した、道なき道だ。生身の人間が通ることは、絶対に無理だという自信がある。

 まず”飛べる”か”跳べる”ようになるところから始めないといけないからね。


 だからオリヒメさんは、その中でも比較的優しめ(物理法則も若干適応する)の、天の川ルートを人間用に開拓しようとしたってわけか。


『けれど、あの方、まだ生きてらっしゃる人間じゃない? やはり体に負担があったのでしょうね。最後の最期で失敗してしまって、下界まで川に流されてしまったの。それでやはり、自分に住みよい世界で暮らすのが一番だということになりまして、それからは一年に一度、七月七日の日に下界で会うこととなったのです』


『そうでしたか』


 いや、それなんて七夕伝説!

 外面では目元を緩ませ、高貴を心掛けた笑みを浮かべてはいるものの、内面では突然の情報供給に衝撃が走り、紫に色づいていた触手に瞬きが散る。やっぱりそうじゃん! オリヒメさんって七夕のモデルじゃん!?


 辛うじて発することの出来た相槌を最後に絶句してフリーズしていれば、近くで瞳を輝かせていた水色の衣を纏った天女さんが、興奮したように言った。


『そういえば、大陸の天上界の方にも、天の川をはさんで一年に一度の逢瀬をしている方々かいらっしゃると聞いたのだけれど、貴女ったら、その姫方と最近お友達になったんですってね!』


『ええ、ええ、そうなの! あちらも機織りが得意でしてね! 本当に綺麗な反物を織られるのです!』


 あ、オリジナルのヒトたちは別にいるんだね? そして手芸友達なんだ……。オリヒメ(オリジナル)とオリヒメ(ジャパニーズモデル)の会合かぁ……ちょっと見て見たいかもしれない。


 むむむと唸っていれば、その当人は唐突に桃色の袖の内にある掌同士をぽふりと打ち鳴らすと、きらきらと明るい表情で自身をぐるりと囲っているこちらを見渡した。


『ああそういえば、最近あの方と帯を織って贈りあった話はしましたわよね? その時に聞いたのですけれど、彼女、果実を漬けたお酒が好きだと言われてましてね! ほら、私もよく仕込んでいるでしょう? それで、今度は果実酒を造ってみようかと思っておりましてね、出来上がったら貴女たちにもおすそ分けしますので、何か漬けたい水菓子フルーツがありましたら、何でも言いなさってください!』




 瞬間、場が湧いた。

 神族の者は総じて酒が好きなのである。そしてここはときめく女子の巣窟でもあった。


『桃ッ!『梅に決まってる『いえ非時香木実ときじくのかくのこのみを『人参果ァァッ!!』


 彼女たちは、鬼気迫った顔で口々に果物の名前を上げては、様々なフレーバーをオーダーしていった。これより未来に振舞われるのは、ハンドメイドの天上界の色とりどりの果物を漬けた甘い果実酒である。そんな”カワイイ”ものの予感に、うら若き花の乙女たる彼女らが飛びつかないわけがなかったのだ。

 この場にいる全ての天女さん達の実年齢が俺のウン百倍であることは言ってはならない。


 そしてこのオリヒメさんの作る酒は、天上界の中でも一級品、らしい。飲んだことがないから俺はよく知らないのだけれど。ちなみにソースは例のウェイ先輩である。本当にあのヒトはどこから情報を仕入れているのだろうか。オリヒメさんとは一度もちゃんとした会話らしいことをしたことがないって話だったのに。


 そして俺はと言えば、荒れ狂う血潮踊る、競りの現場かと見紛うほどの熱気に溢れたこの場から即座に弾き飛ばされ、さみしく蚊帳の外に追いやられていたのだった。俺だってそんな話を聞かされちゃあ、出来たら飲んでみたいという気持ちはあるが、この場に混ざれる気が全くしない。彼女たちは本気マジである。

 ――え? 何々? 完成したら俺にも分けてくれるって? ……やっりぃ! オリヒメの姉貴! 一生ついていきます!!


 思わず薄桃に色づいた触手に感情を吐露してしまえば、生暖かい視線で迎えられたのであった。

 ミ゛ェッ、はずかち……。






 ――日常が狂う時、というのは、いつも突然なものである。


 それは好みの酒の味について語らった後、脱線していた話題を下界に引き戻しそれに耽っていた時であった。突如として、俺の第六感が凄まじい警報を鳴らしたのだ。オリヒメさんと下界の村々について語り合ったり、それに興味津々の他の天女さん達の質問に答えたりしていた只中のことだった。


 ビリビリと魂が揺さぶられるがごとき衝撃に打ち震え、その余りの反応の大きさに咄嗟に霊力にて結界の術を展開し、場の全員を巻き込み覆った――刹那、世界が弾けた。


 襲い来る衝撃。上も下も右も左もぐちゃぐちゃだ。何もかもが入り乱れて混ざりあい、訳が分からなくなる。

 何だ、何が起こっている。


 ――前触れなんて、そんなものはありゃしないのだ。


 バリバリと天地の引き裂かれるような轟音。遠退いて行く天女さん達の悲鳴。俺自身も含め、何もかもが吹き飛ばされて行く。景色が回って回って、360度全てが空になる。

 どうなってるんだ、全く状況がつかめない。


 目まぐるしく渦巻く突然の災禍に天上界の美しい景色も何もなく、ただ混沌とした渦の中に全てが囚われてひき潰されてゆく。何も分からないままに。


 ――今まで見慣れていた世界は、ある日を境に知らない顔を向ける。


 しばらくすると、この混沌とした状況も収まってきた。ついて回った浮遊感も、全身を打つ衝撃と共に終わりを迎える。

 やがては全てがピタリと動きを静止させ、うんともすんともいわなくなり、やけに静かになった。


 ――本当に唐突に、背後より不意を突いて。




 暗い。あと、狭い。


 なにかに挟まれて身動きがとれなくなっていたので、力にものを言わせて這い出てみれば、ぽっかりと開けた外が見える。見上げた空には美しかった青は無く、雲も無ければ闇もない。


 そこには、ただぽっかりと開けた白いだけの空間が広がっていた。




 ――瞬く間に、何もかもが様変わりしてしまうのだ。

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