第64話 機織り工房の天女さん

『―――ということがあり……。全く、眷属の迷走ぶりには弱ったもの』


『あらあら、ウフフ。でも、可愛らしい眷属さんなのですね』


『クク。ええ、それはもう』


 ここは天上界はタカマガハラ。常春の淡い色彩に彩られた、花の舞散る風光明媚な極楽世界の中、対照的に建つ極彩色に塗られた機織り工房にて、現在俺は天女さん達とのおしゃべりをキャッキャウフフと楽しんでいた。


 この工房は、例えるならば天上界の中でも屈指の人気を誇る、ファンションブランド店といったところだろうか。商売の概念の無い天上界で店と言うのも、おかしな話なのだが。

 そんな人気の呉服店の職人さんである、色とりどりの衣を纏った天女の彼女たちは、見目麗しゅうて、大変美しきこと限りなしである。後光が差して見えるのは、錯覚ではなくマジの話なので、思わず目が細まってしまうのも致し方ないこと。嗚呼、眼福かな。


 目の前に広がる文字通りの天国に浄化されていれば、若草色の衣を纏った小柄な天女さんが、こてりと首をかしげて言う。


『けれど、眷属の性格は主に似るとも言いますのよ?』


『御冗談を』


 はっはっは、俺はジャジャマルほどアホではないぞ。力試しに長距離穴掘りとかしないし、仲の良い(はずの)上司の謝礼に、自分の命を差し出して喜ばれるだろうなどとブッ飛んだ考えに至るような迷走ぶりを発揮することも無い。アレと一緒にしてくれるんじゃないですよ。

 そう思っていると、単眼を半分に細めたアニウエにじとりと見上げられた。な、何だよその顔は。いや、俺も割と抜けてるところがあるのは否定しないが、あれよりは酷くないだろう。




 この工房は、前に俺にカッコイイ衣を織ってくれた天女さんたちのクラブハウス兼お店である。あれ以来、俺は天上界にいる時はあの衣を着ることにしていた。もちろん今この時も着用している。

 いつもの恰好は戦装束だから、このうららかな天界にはミスマッチなテイストなんだよねぇ。そんな時にこの黒の繊維で織られた雅な衣は、天井界産なこともあって、俺なんて存在がこの場にいても違和感なく過ごすことができるのだ。


 何故今、この天女さんだらけの文字通りのパラダイスにいるかといえば、前にあの衣の対価を「定期的におしゃべりに来ること」として契約を結んだので、今日もその対価を支払いに来たってわけだ。

 実は本来、天上界で神力を使う分には対価は必要なかったりする。衣を初めてもらったあの時はそのルールを知らなかったけれど――というよりかは、そもそも”契約”と言う行為に、本当の意味で対価が必要になることすら知らなかったけれど――知った今もここへ来ることは止めてはいなかった。だから、これは俺の感謝の気持ちと称した、完全なエゴだ。


 天上界に戻る度にここへ寄ることは、最早習慣化していた。下界からのお土産と一緒に、土産話でも楽しんでもらおうと、最近はいつも話のネタを探しながら旅をしている。天女さん達は神力純度100%系の神様なので下界に行く機会が少ないらしく、あちらの話は物珍しいようでいつも愉快気に聞いてくれるのだ。

 俺としてもきれいなおねーさん達とおしゃべりすることが出来て、光栄の極みです。あなをかし。


 鼻の下が伸びそうになるのを鉄壁の外面で何とかガードしていると、右斜め前に座っていた桃色の衣の天女さんが、膝に乗せたアニウエのもちぷにぼでぇを優しく撫でながら呟いた。


『でも、人の子とは時として残酷なものですね』


 憂いを帯びた表情はどこかはかなげであり、今にも散りそうな桃の花弁によく似ていた。彼女は桃色の衣を好んで着ているようなのだが、いつもその儚さに本当に散って消えてしまうのではないかと心配になる。


 だがそれよりも気になるのはアニウエである。奴はどういうわけか女神様方に人気で、よくもちもちとそのまん丸の腹を摘ままれているのだ。実にうらやまけしからん。

 ……んー、でもまあ、あの蛇事件の時のこともあるし、コレくらいは目を瞑っておいてやろう。実は、あの角蛇達がモメている間、アニウエを元々潜伏していた貴族の邸宅の池に放置したまま、すっかり忘れてしばらく放置したままでいたのである。てへっ☆ごめんごアニウエ!!


 だけれども、アニウエもアニウエなのである。今の彼は、自分から動くことはほとんどない。だから、放置されれば永遠にその場から動かないのである。彼とは神使い契約を結んでいるんだから、本来なら自力で俺の神域に帰れるはずなのに、俺が回収しに行くまで梃子でも動かないのだ。テレパシー会話でもざっくりとした感情のようなものしか読み取れず、細かい指示を送ることが出来ないために、アニウエはペット扱いで常に共にいることとなってしまっているのが現状だ。

 自己が無いなんて、ほんっと人間だったころとは大違いだよね、アニウエ。


 そんなアニウエをもちりながらも、どこか悲しげな表情をしている天女さんは話を続けた。


『私も貴方がここに来る少し前まで、ほんのちょっとの期間だけれど、下界で生活していたのですよ』


『、そうだったのですか』


『ええ、ですからあなたが話されるお話も、少々懐かしく感じておりました』


 びっくりして桃色の衣の天女さんをまじまじと見つめれば、アルカイックスマイルで微笑み返された。煩悩の全てが浄化されそうな、素晴らしいご尊顔である。




 この天女さんのお名前はオリヒメという。七夕伝説のあのヒロインの名前と、脳内でのイメージ画像が合致したものだったから、自己紹介してもらった時は思わず『ヒコボシという名の者に心当たりはありませぬか』なんて尋ねてみちゃったけれど、どうやら知らないようであった。


 ちょっと残念だったけど、現実はそんなもんだろう。それに、機織りは単なる趣味に限らず、オリヒメさん自体も機織りを司る神であるらしく、名前に”オリ”が入ってることは、自然な流れと言えるのである。


 ちなみにこのオリヒメさん、俺が初めて天井界にやってきたときにお世話になった、ウェイ系神集団のリーダーの想いビトだったりするのだ。あのヒトには今も大変お世話になっていて、俺のなかでは「独特のノリをしているが良くしてくれる先輩」ポジションに収まっている。向こうがこちらのことをどう思っているのかは知らないけど。


 いつもここへ来る度に、オリヒメさんの様子はどうだったかだとか、好きなタイプをそれとなく聞き出してくれだの言われるのだが、正直自分で聞きに行けとは毎度思ってしまうのだ。あんなにチャラチャラした雰囲気をしておいて、彼は恋愛にはめちゃくちゃヘタレなのだった。


 とはいえ、そんな質問をするタイミングなんて見つからず――だって一歩まちがえれば、俺がオリヒメさんに気があるみたいに思われるかもじゃん。そんな畏れ多いこと、小市民たる俺には無理よりの無理だ――今までそんなに接点もなかったオリヒメさんのお話が聞けるのは、(ウェイ先輩にとって)いいことである。


『あら、そうよ。貴方のお話もヤトさんにお話しなさればよろしくて?』


 黄色のひまわりのように華やかな装束を身にまとった天女さんが、オリヒメさんに提案をした。すると、彼女は眉を下げて困ったようにに頬に手を当てる。


『聞いても、あんまりおもしろい話ではないのですけれどもね。……そうねぇ、ヤトさんがここへいらした少し前の話です。ある時、私は下界に降り立ち、湖で仲間たちと水浴びをしていたのです。そうしたらそれを陰で覗いていた人の子が、私の羽衣を奪い去ってしまって、どこかへ隠してしまいました。

 羽衣は私の神力の塊。羽衣無くしては天上界に戻ることはできず、私はひとり下界へ取り残されてしまったのです』


 え、ナニソレ普通に犯罪やんけ。水浴びしてる美女の服奪って隠したとか、変態以前に窃盗で警察沙汰ですよ。え……引くわーなんだそいつ、やっべぇな。ウェイ先輩、これ聞いたらマジギレしそう……。


 ドン引きして盛大に引き攣りそうになる口元を抑え、表面上ではなんとか眉を顰めるにとどめた。

 しかし、次いで告げられた言葉に、外面は遂に陥落した。


『どれだけ頼んでも人の子は羽衣を返してはくれず、泣く泣く下界で暮らさざるを得なかった私は、その者の妻となり、子も授かりました』


 ハイアウトー!! セウトじゃなくて完全なるアウトー!! 犯罪者! それはもう犯罪者だって! 嫌がる美女の逃げ道防いで、無理やり囲って子供前こさえたとか、もう発禁いっちゃいますから。いっちゃってますから!!

 ドン引きとか、もうそういうレベルじゃねぇ。ウェイ先輩、今こそそのヒコボシ(仮)にありったけの祟りを送りましょう! 俺も全力で手伝います! この世の呪いという呪いを、奴の股間の本体にブチかましてやるんです!!


『……そ奴には、元は人の身である私としては、許しがたきものがございます』


 必死に瘴気を噴き出しそうになるのを抑えて絞り出すように言えば、意外なことにオリヒメさんはネガティブさを感じさせない明るさで、朗らかに笑ったのであった。


『ふふふ、そんなに思い煩うことはありませんのよ。私があの方と結ばれたのは、きちんと愛していたからです。ただ、羽衣を返してくださらなかったのだけが困りものでしたけれど……。それに、下界での生活も悪くはありませんでしたしね』


 頬を染めて恥ずかしそうに、でも何かを想うように笑うその姿に、こちらもほっと安堵する。


 何だ良かった、セウトでした。

 でも、ウェイ先輩、これは何だか望み薄な気がしますね……付け入る隙なんて、ミリも見つかりませんよ。だってオリヒメさん、誰かを想う目をしてる。

 これでもしもオリヒメさんが本気で悲しんでいる様だったら、そいつの身元を突き止めて、本気で特大の呪いでも仕掛けてやろうかと思ったけれども、本神ほんにんの方は、どう見ても幸せそうなんだ。


 ただ、やっぱり俺としてはあんまり好きじゃないんだよなァ、ヒコボシ(仮)。熱烈っちゃ熱烈だが、どうもやり口が汚ねぇ。それでハートキャッチしちゃってるんだから、なんとも言えない部分はあるんだけど……。

 うーむ、これ以上はモテねぇ男の僻みみたいになっちまうな。あー、でもモヤっとするぅ!


 そんな微妙な気持ちが顔に出てしまっていたか、脇にいた、若草の衣の女神さんが、クスクスと笑って言った。


『大丈夫よ、ヤトさん。私、気になって一度あの方の夢枕に立ってみたことがありましたが、それなりに見れる方でしたわよ。

 それにもしも、糞尿に集りし濡れ足なる蝿のごとき様の殿方でしたら、その折にオリヒメさんのお友達であるこの私が致して···おりますもの』


 少し幼げながらも端正な笑顔のもとに響く、毬のように弾んだ無邪気な笑い声。滑り出すは、上品な物言いの中に絶妙に混じる、中々お下品なお言葉たち。

 一体、このお方は何を"致"そうとしたんでしょうかねぇ。ちょっと怖くて聞けませんよ、俺は。


『しかし、長らく天上界に戻れずに、下界で如何様にお過ごしだったのですか』


 神力純度100%系神様のオリヒメさんは、下界で暮らすにはかなり辛いはず。話題そらしも兼ねて聞いてみれば、オリヒメさんは懐かしげに目を細めた。


『あの方と共に住んだ、村の者達からの信仰心です。人の子らと交流するうち、本当に懐いてくれたんですよ。それで私の知識も分け与え、共に村をより良いものとしていくのは、げに心躍る心地でした』


 そう言って、オリヒメさんは心底嬉しそうに微笑んだ。

 その表情に、こちらもかつての昔の村での生活を思い出して、ほんわりと懐かしい気持ちになる。


 ……俺も分かるよその気持ち。村の皆と、きっと素敵な思い出を作ったんだろうね。

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