もう戻れない
一日が終わり、放課後となる。
終業時間より少し早めに終わったにも関わらず、わいわいがやがやと教室内はざわめいていた。
「あー、今日からサッカーの練習はないのか。何つーか、喪失感」
部活動開始までの時間を教室で駄弁ることに決めたいつもの3人は、俺の席近くに集まって話し始めた。
「うん、寂しいなぁ。あの頃に戻りたい、モテると信じ切って努力していた純粋な僕に……」
「うむ。結局放課後まで何もなかったしな。今日には三人から告白される予定だったのだが」
「俺は五人だったけどな」
男のくだらない話を聞くのは心地よすぎて、ここにいてもいいんじゃないか、と甘えの感情が湧き出す。だが、強く律する。
いくら心地よくても、距離を取らないと、な……。
どのタイミングでこの場から去ろうか窺っていると、池が口を開いた。
「ま、約1名。モテてるようだけどな」
「全くね」
「けしからん」
責めるような目を向けられて、俺? と尋ねる。
「そうだよ。打ち上げにこなかったから知らないだろうけどさ、高梨の話題があがったんだよ」
「俺の話題?」
「高梨くんってどんな人なの? って女子に聞かれたんだ」
「で、女子に話しかけられて舞い上がった俺たちは」
「まんまと、口が軽くなり」
「お前が面白え奴だとか、前に見た私服姿がお洒落だったとか、サッカー優勝の立役者だとか」
「お前の株をあげるようなことを言ってしまったわけだ。そしたら」
海原が女子の物真似で喋り出す。
「そうなんだぁ〜、やっぱ高梨くんって格好よくない?」
するとあと2人も同じような感じで続けた。
「うんうん、前々から思ってたけど、いいよね!」
「落ち着いてるとことかいいし! 最後のゴールも凄い格好良かったしね!」
「先輩とかとも上手いことやってる感じもよかった!」
「女子人気めっちゃ上がるよね〜」
「ね!」
とそこで女子の物真似は終わり、俺に嫉妬の目を向けてきた。
「何でお前だけモテんだよ」
「知らないし」
そう言ったけれども、ギャップみたいなものだろうな、とは思う。いいところが一個見つかると、他のとこも良いように見えるのはよくある話だ。
でも、モテる、か。それは皆に好意的に捉えてもらえているということで、友達になれる自分にはなれたのだろう。
それも、もはや意味がないけれど。
「ま〜た盛り上がってるね〜、何の話?」
眩しい笑顔の七海さんが近づいてきていた。
また罪悪感が湧き出す。この場にいることが、いたたまれなくなり、呼吸が浅くなったのを感じた。
「別にたいした話じゃねえよ。それより、七海。俺のことを好きな女子の話を聞いてねえか?」
「いないよ。僕のことを好きな女子の話を教えてよ」
「お前ら2人にいるわけないだろ。俺のことを好きになった女子について教えてくれ」
七海さんは呆れたようにため息をついた。
「そんなんだから、話が聞こえてこないんじゃない?」
そう言った七海さんは俺に目を向けてくる。そして、むっ、と唇を尖らせた。
「おい、高梨がモテて妬いてんのか七海ぃ? ひぃ〜腹痛え!」
「ハッハッハ、BSSくらった気分はどうだ、七海? 非リアの世界へようこそ!」
「七海、君は僕らと同じ穴のムジナなんだよ? おわかり?」
七海さんは黒い笑顔を浮かべた。
「球技大会で格好良く見えた、っていう女子もいたけど、しっかり誤解を解いておいてあげるね」
「う、嘘、冗談!」
「と、誰かが言っていた、俺も許せない」
「ジョークじゃないかぁ〜、ね?」
くだらないやりとりが、あまりに魅力的だった。今後もこんな、楽しい馬鹿やる生活を送れたら、どんなにいいだろうか。そう思うけれど、そこに俺がいることは、許せそうにない。
七海さんは池たちに白い目を向けたのち、はあ、とため息をついた。そしてまた、俺に目を向ける。
「ねえ、高梨くん、今日って暇かなあ?」
「どうして?」
「実はさ、頼みたいことがあるんだけど、どう?」
「えっと……」
特に用事はない。だけど、距離を取らないといけないのに、縮めるような真似はできない。
どう断ろうか、そう考えた時だった。
「高梨くーん、先輩が呼んでるよー」
そんな声が助け舟に聞こえて慌てて立ち上がる。
「ごめん、七海さん、そういうことだから」
「あ……うん」
返事を聞くと、俺は教室の外へ出た。
「お、高梨、きたか」
教室の外にいたのは、決勝後胴上げをしてきた先輩だった。
「はい。何か用事ですか?」
「ああ。今週の避難訓練後に、球技大会の表彰式があるのは知ってるな?」
「ええ、はい」
「そこで賞状を貰う役目、お前に任せたいと思っている。盛り上がるからな」
「それは遠慮……」
「できない。もう決まったことだからな。じゃ、そういうことだから」
それだけ言うと先輩は去っていってしまった。
1人取り残されて、教室に戻ろうとしたが、トイレにいくことに決める。いま帰れば、七海さんがいるからだ。
それからトイレに行って時間を潰したが、まだちょっと早い。どうやって時間を潰すか悩む。
いつもなら図書室に、文芸部室に、屋敷先輩のもとへ足を向けていただろう。だけどそれももう、二度としてはいけない。
戻る足を遅めて廊下を歩いていると、教室の前にいる美鶴を見つけた。あっちも俺に気づいたようで、手を振りながら駆け寄ってくる。
「やほ、高良!」
「あ、うん」
「もう帰る!? 一緒に帰ろうよ!」
窓から差し込む夕日に照らされた美鶴の笑顔が眩しすぎて、俺は目をそらした。
「えっと、ごめん。ちょっと」
「ん? そう? じゃ、またあとで家行ってい? 実はさ、めっちゃいい魚が親戚から届いて、振る舞いたいんだけど、お婆さんいる?」
美鶴の心底楽しそうな声色に、胸がえぐられたように痛む。
俺はこんなに想ってくれる美鶴でさえ、利用しようとしていた。本当にどうしようもないクズだ。
唇を噛む。そして重い口を開く。
「ごめん、美鶴。嬉しいけど、本当にごめん」
申し訳なさに唇を噛みながら頭を下げた。
「……うん。わかった」
美鶴は悟ったように言った。俺の重々しい態度に、ただ今日断られただけでないと気づいたのだろう。
「わからないけど、待ってる。ずっと待ってるから、気が変わったらまた声をかけてね」
顔を上げると、美鶴は包容力のある優しい笑みを浮かべていた。
俺は歯を強く噛みしめてから、また重い口を開く。
「ごめん、いくら待ってもらっても……」
「それでも待つよ。高良を待つのは慣れてるから」
また眩しい笑顔を浮かべると、美鶴はじゃあね、と去っていった。
後ろ姿に惜しさと申し訳なさ、そして、もう戻れない、と強く感じた。
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