ごめん、ちょっとトイレ

「下北さん、こっちにおいでよ」


 休み明けの月曜日。昼休みに4人で昼食を摂っていると、池がそう言った。


「え?」


 戸惑う下北は、恐る恐るといった様子で、こちらに近づいてくる。そんな下北に海原が声をかけた。


「高梨くんの昔の話を聞かせてよ。下北さんの友達も来ない? 昼食の肴に高梨くんの恥ずかしい話を一緒に聞こうよ」


 下北が所属していたグループの子たちは、顔を見合わせたあと、「え〜なになに〜?」と寄ってきた。


「下北さん。早く高梨の恥ずかしい話を聞かせるんだ」


 急かされた下北は、俺の顔色を窺ってくる。それに俺は頷きを返した。


「えっと……じゃあ」


 ***


「あはは! いい話聞かせてもらったわ!」


 そう言って、笑いながら散っていく女子の皆様方。俺はそれを見送ったあと、口を開いた。


「本当にごめん、変なこと頼んで」


 そう言うと、いいよ、と返答がくる。


「まあ、クラスの空気が悪いのも面倒くさいしな」


 下北と、その友達を誘ってのお昼。微妙になっている関係を解消するのに、恥を承知で皆に一芝居打ってもらった。


 月曜日、俺が最初にとった行動はこれだった。下北が無視される状況の原因は俺で、クラスに迷惑をかけることは避けたかった。これ以上、他人に影響を残したくなかったのだ。


 でもそれで、またみんなに迷惑をかけてしまった。


 本当に俺はどうしようもないやつだ。池、海原、川合みたいな良いやつらの友達に相応しくない。みんなとも、距離をとらないといけない。


「高梨は優しいな」


 突然、川合にそんなことを言われ、首を傾げる。


「いや、高梨くん。酷いことされた相手を気遣えるのは、普通じゃないよ」


 ああ、そういうことか。


「別にそんなんじゃないから、優しくはないよ」


 そう言うと、池が口を開く。


「何言ってんだよ。優しさってのは受け取り手次第。お前がどう言おうが、優しいって思った人からしたら優しいんだよ」


「みかんが生きてるかみたいな話?」


「みかん?」


「ほら、一説によると、ほっといたみかんの味がパッとしなくなるのは、解糖系でブドウ糖が消費される、クエン酸回路でクエン酸が消費されるから。つまりは呼吸してるからみたいな話」


「はあ、呼吸してるから生きてるってか」


「いやいや、みかんは死んでるだろ」


「いやいやいや、呼吸してるなら生きてるんじゃない?」


「まあこんな感じで受け取り手次第、みたいな」


 そんな会話の最中、明るい声が飛んできた。


「面白そうな話してるね!」


 びくり、とする。恐る恐る声の方に顔を向けると、屈託のない笑顔の七海さんがいた。


 眩しくて、すぐに目を逸らす。胸の内に酷い罪悪感が訪れると、顔から血の気がひいていく。


「ごめん、ちょっとトイレ」


 怪しまれないよう、精一杯の明るい声と笑顔を作って歩き出す。早くその場を去りたいという焦りに早足になるのを堪え、できるだけ自然に歩く。


 教室を出て、トイレに入る。鏡に向き合うと、蒼白な俺の顔が映っていた。


 酷い顔だ。でも、これくらい罪悪感で苦しんだほうがいい。それだけ最低なことをしようとしていたのだ。


 それに、ちゃんと距離を置くことができた。毎度、こんな風に接触を避けることはできないけれど、できるだけ、少しずつ距離をとっていこう。そして、いつか、関わることがなくなるように。


 俺は心配をかけないよう、顔色が戻るまで待ってから、教室に帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る