決勝


 グラウンドに立つと空気が震えた。


 歓声が揺らしたびりびりした空気。肺にとりこむには少し苦しくて、自然と浅い呼吸になる。


 妙に爽快な夕空が、やけに視界に入ってくる。もちろん、グラウンドに見学にきた観客も。でも、ピントはしっかりグラウンドに合っていて、相手の選手が円陣を組んでいる姿、すぐそばの友達3人の姿が鮮明に目に映る。


 指先がぴりぴり。だけど、この感覚は悪くない。サンタさんを待つ子供のそわつきに近いものがある。ああ、早く試合を始めたい。


 まあでも、俺以外の3人はどうも緊張しているようでして、顔が強張っている。半ば実力がある分、俺より気が重いだろう。野球で8番打ってる選手と、4番打ってる選手、どっちのプレッシャーが大きいか、という簡単な話だ。俺が特別緊張に強いとか、そんなんじゃない。そんなんじゃないからこそ、七海さんの言葉一つが簡単に支えてくれて、むしろ楽しいまである。


 そして、そんな気持ちは簡単に伝わる。


「高梨、何楽しそうにしてんだよ」


 むっとした池からの言葉。俺はそれに笑い返す。


「楽しいだろ、だって強い相手に挑戦するチャンスなんだ。しかも負けても何もないって状況。勝てばヒーロー、負けたらしゃあない。こんな気持ち的に楽な環境、中々ないって」


「負けたら何もないってことないだろ」


 と川合。それにも笑い返す。


「ないよ。負けたらせいぜいイイことしてもらえるくらい」


 みんなの頭の上に?マークが浮かんだので、冗談、と言って続ける。


「俺さ、結構本気で球技大会に参加してるんだよ」


「うん? 急にどした?」


「ほら、俺、下北に『あんたみたいな友達もいない陰キャが話しかけてこないで!』って怒鳴られてさ、そっからずっと一人だったわけだよね」


 そう言うと、3人の表情が微妙なものに変わる。


 こいつらが気を遣って、あえて触れてこなかった話題だ。それを本人の口から切りだされたら、そりゃどう反応していいか困るだろう。


 それくらいでいい。緊張なんか、余計なことなんて忘れさせてやる。


「んで、まあ、それなりに落ち込んで。自信ってやつが、案外萎んでいて。話しかけたい人に近づく勇気ってやつが中々出なくて」


 三人の目がもう俺だけに向けられている。完全に引き込んだ。


「だから球技大会に優勝して、自信をつけたい。そう必死に練習してきたし、大会に挑んでる」


 そう言って俺は笑う。


「そう思ってる俺が、負けても何もないって言ってるんだ。俺より背負ってるもんがないお前らがビビっててどうすんだよ」


 ついさっきまで、緊張していた自分を棚に上げた挑発。みんなの返答はにやにや顔だった。


「うるせえな! びびってねえわ!」


「勇気がないお前に言われたくない!」


「そうだよ、この臆病者!」


 バシバシ叩かれていると、審判から集合の合図がかかる。


「確かに、負けても何もねえわ」


「しいて言うなら、高梨が落ち込むだけだ」


「だったら、何もないね」


 こいつら、と思いながらも、自然に笑えてくる。


 気持ちが軽い。歓声に浮かされて、イイ気分だ。みんなもそうだろう。もう緩み切った表情をしている。


 笛が鳴って、試合が始まる。


 プレーは大胆に。


 消極的とは反対と、一眼でわかるくらい積極的に。


 常に常に先手になって。


 技量さを覆すくらいにアグレッシブに。


 無我夢中で走り回って。


 息を切らして、肩で息をして。


 この環境を笑って、一番楽しんで。


 同点で迎えた残り10秒。


 駆け上がると、放物線を描いて柔らかいボールが飛んできて。


 時間が止まったように、つめてくる先輩、マークにつかれてる皆の姿が見えて。


 ゆるりと落ちてくるボールを止めることなく、直接打ち込んだ。


 ネットが揺れる音は、歓声によってかき消され。


 勝利の笛が鳴ると、それを上回る大歓声が上がった。


 ****


 うう……体が痛いし、気持ち悪い。


 教室へと一人戻る途中。茜色の廊下を歩きながら、そんなことを思っていた。


 優勝を決めた瞬間、一気に囲まれて順番に胴上げされ、閉会式が終わったあと、決勝点を決めた俺だけまた胴上げされた。そのせいで背中は痛いわ、キモチは悪いわで、しんどい。


 ふらふらと歩きながら、ようやく教室にたどりつき、ドアを開く。


 あれ?


 教室にはまだ全員が残っていた。


 ドア近くに、池と海原と川合の三人がいたので、話しかける。


「まだ帰ってなかったの?」


 そう言うと、にやにや顔が返ってきて、池が口を開いた。


「やめて! あんたみたいな友達もいない陰キャが話しかけてこないで!」


 クラスのみんながどっと笑った。


 それは好意的な笑い。


 ただのからかいで、ただのいじり。


 だから俺は、はじめて自分が受け入れられたんだ、と感じた。


 自然、頬が緩む。


「馬鹿、いじんなよ!」


「うっせえ! いいとこ持ってきやがって!」


「そうだぞ! 本来は俺の役だった!」


「いや僕がヒーローだったはずなのに!」


 3人に揉みくちゃにされていると、他のクラスメイトまで加わってきて、もうぐしゃぐしゃになる。


 だけど、気持ちが良くて、楽しくて、嬉しくて仕方がなかった。




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