放課後


 スマホの画面端には16:30の数字。画面中央には沢山の吹き出しが続いている。


『高良、今日、一緒に帰れる?』


『ごめん、今日はちょっと』


『何かある感じ?』


『公園で球技大会の練習』


『へえ、ガチじゃん。ま、3学年のクラス対抗戦だから、責任感あるとこはやるよねえ』


『いやまあ、そういうのじゃないけど』


『どういうの?』


『活躍してモテるためらしいよ』


『♡』


『嘘、責任感』


『よかった♡ で、何に出るの?』


『四人制サッカー』


『何それ?』


『ゴールキーパーなしで、センターラインから後ろのシュートが禁止のやつ』


『わかんないけど、がんばれ〜。明日は、一緒に帰ろう』


『今週はずっと練習だからごめん』


 そのメッセージから少し時間があいて『りょうかい!』とメッセージがきた。


 スマートフォンから顔を上げると、机の向こう側でコーヒーを飲んでいる屋敷先輩が目に入る。サッカーの練習は18時30から。みんなが部活動を終えるまで暇な俺は、時間をつぶすために文芸部室にきていた。


「あの、先輩。やっぱり迷惑でしたか?」


 先輩はカップを机に置いて、ぶんぶん、と首を振った。だけど、顔が強張っている。


 先輩が緊張している理由、それは手櫛の件があったからだろう。思い出すと顔に熱が上ってくる。何の気なしに訪れたけれど、俺まで緊張してきた。


 互いに無言でコーヒーを飲む。気まずさに耐えきれず、俺は口を開いた。


「球技大会、先輩は何の種目に出るんですか?」


「ソフトボール」


「へえ、意外。大人数の競技に出るんですね」


「大人数の競技にしか出られない、の間違えかな……。人数が余るところって大人数の競技が多いから」


 今度は別種の気まずい空気が流れる。


「あの、すみません」


「多分、打順は8番、守備位置はライト。いわゆるライパチ」


「本当、すみません」


「ホームに帰ってきた選手とみんなが、ハイタッチだったり頭をぽんぽんする中、私はベンチに座って空気を壊さないように、ニコニコしてるだけ」


「いやもう、本当に本当にすみません」


「打席立てば、生暖かい視線が飛んできて、空振ればドンマイって優しい言葉が飛んでくるのが痛い。守備はボールが飛んでこないことをひたすらに祈るから、休まる時がない」


 ダメだ。先輩のネガティブスイッチが入ってしまった。


「球技大会なんて無くなればいいのに。来週の避難訓練のほうがまだ楽しみ」


「いやそれは言い過ぎ、ってわけでもないですよねえ」


「うん。避難訓練後に球技大会の表彰式があるのが嫌だけど」


 どこまでも悲しい。折角の一大イベント、何か楽しみを見出せればいいんだけど。


「スポーツ観戦の感覚で参加すればいいんじゃないですか?」


「スポーツ観戦?」


「ほら、知ってる選手が頑張ってたら、そのスポーツに興味がなくても、つい見ちゃうみたいな」


「知ってる? 私、君しか、知り合いがいないんだけど……」


「え、あ。いやいや、ほら、一方的に知ってるだけでも」


「一方的に知ってる人を目で追いかけるってキモくない?」


「色んな人を敵に回すようなこと言わないでください」


 ダメだ。この人が球技大会を楽しむのは無理かもしれない。そう思った時、先輩は「でも」と声を出した。


「そっか。ちょっとだけ楽しみにはなったかも」


「え? 急にどういう心変わりですか?」


「ほら。さっき言ったよ。君とは知り合いだって」


「え、俺のことを見て楽しむつもりですか?」


 そう言うと、じとっとした視線をぶつけられた。


「君が言ったんじゃないか。『知ってる選手が頑張ってたら、そのスポーツに興味がなくても、つい見ちゃうみたいな』って。正直、その気持ちがわかったとこだったんだけど」


「あ、ああ。すみません! 先輩が見て楽しめるように頑張り、ます?」


「どうして疑問形? でもやっぱ、見るだけじゃ楽しめないかも。正直、スポーツ好きじゃないし」


「え、ええ。めんど……」


「面倒くさいって言おうとした!? むしろ、めんど、で止められたほうが、精神的にクるんだけど!?」


「す、すみません! 面倒くさくないです!」


 先輩に「本当に?」と尋ねられ、コクコクと頷く。すると先輩は、しぶしぶ

「わかった」と言った。あまり、納得していないご様子だったので、話をそらすことにする。


「じゃあ、どうすれば楽しめますかね?」


「う〜ん……」


 しばらく先輩は唸ったのちに口を開いた。


「また、お願いを聞いてあげる」


「え?」


「うん、君が優勝したら。賭けがあったら勝つか負けるかハラハラして楽しめるし」


 先輩は顔を逸らしてそう言った。こころなしか顔が赤い。手櫛した時のことをまた思い出して顔に熱が上ってくる。


 俺は羞恥心がこみ上げて何も言えなくなる前に、慌てて口を開いた。


「じゃ、じゃあ優勝したら友達になってくれますか?」


「またそのお願い?」


「ま、またそのお願いです」


 先輩はどこか不満そうに唇を尖らせる。しかし、すぐに、心底不思議そうに首を傾げた。


「君はどうして私と友達になりたいの?」


「え?」


「先輩、後輩ってどこまで行っても友達じゃなくて、先輩後輩の関係なんじゃないの? や、私もそういうことには疎いからわからないけど」


 たしかに先輩が言うことはその通りだ。


 俺がどうして先輩と友達になりたいか。それを考えた瞬間、胸にどうしようもない痛みが走った。


「ま、いいか。わかった。君が優勝したら友達の件、友達になるとは絶対言えないけれど、一回考えてみるよ。私も、友達って何なのか、わからないとはいえ、知る努力をしないと」


 優勝すれば、先輩と友達になれるかもしれない約束を取り付けた。飛び上がりそうなほど嬉しいはずだ。けれど、そんな思いとは正反対の感情に苛まれる。苦しくて仕方ない。


 どうして? そう考えるのはやめた。考えなくてはいけないことを、考えてはいけない気がした。


「あ、そうそう。私、この週末に、短編を書いて見たんだ。高梨くん、読んでくれないかな?」


「は、はい」


 俺は痛みに目を逸らして、先輩に渡された紙に目を向けた。

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