存分にどうぞ
やや気まずい空気の中、七海さんが提案したのは食事だった。
洋・中・和、と全て揃った20店舗以上のレストラン街の地図前で俺たちは立ち止まる。七海さんは食いいるように1分くらい見て、ラーメン屋を指さした。
「覚悟が決まりました。このラーメンにします」
何をそんな大仰な言い方を、と思ったけれど、実際七海さんの顔は、討ち死を覚悟した武士の顔だった。
お洒落なカフェやイタリアンのお店の前を歩き、目的のラーメン屋の前にたどり着く。店の外でも香る濃い豚骨の匂い。店構えは、大きな看板に、三郎の二文字書いてあるだけで非常に男臭い。店内のカウンターには先ほど映画館で見たキモオタ感満載の男が野菜が盛られたラーメンをかっくらっている。
いわゆるインスパイアのお店。男の俺が行く分にはまだしも、七海さんにはキツイのではなかろうか。
そう思って七海さんを見ると、顔を青くして、「全部マシマシ……」と呪文を呟いている。
うん、ダメそう。
「七海さん、別のお店にしない?」
俺がそう言うと、七海さんはギギギと音が聞こえそうな感じで顔を向けてきた。
「ナ、ナンデ? オトコノヒトが好きなものが好きなオンナノコ、カワイクナイ?」
それが原因かぁ。
やっぱり今日の七海さん、無理をしている。多分、あざとく行こうと思いすぎて空回っている感じだ。それはもはや素の七海さんと言えないし、楽しんでないのではないかと思う。
そう考えると、俺だけ楽しんでいるような気がして、ちょっと寂しい。
だから俺は嘘をついた。
「昼から食べるにはちょっと重いから別の店にしない?」
「え」
「さっき通ったとこにあった店、行ってみたいんだよ」
そう言って、返答も待たずに歩き始める。すると、七海さんが後ろをついてきたので、ゆっくりと歩く。
そうして辿り着いたのは、お洒落なカフェ風のお店。ランチに紅茶や珈琲などのドリンクとデザートがついてくるタイプのお店だ。
まぁ無理やり連れてきたはいいけれど、好みにあうかどうかだなぁ。
七海さんの顔色を窺うと、アンティークな店の内装、外のショーケースに飾られた食品サンプルを見て、目を輝かせていた。
これなら大丈夫そうか。
「行こうか」
「う、うん」
店に入ると奥のテーブル席を案内された。どっちに座る? と尋ねたところ、七海さんが奥を選んだので俺は手前側に座る。
メニューを見て、俺はカルボナーラのランチセット、七海さんは、生ハム、グリーンサラダの載ったガレットのランチセットを選んだ。
「転校生! これめっちゃ美味しい!」
インスパイア系の全部マシマシとは真逆の食べ物を、目を輝かせて頬張る七海さんを見て笑ってしまう。
「なんで笑ったの?」
「いや、何でもないよ」
首を傾げた七海さんは、まあいっか、と再び食べ始めた。
それから、メイン、デザートを食し終えると、ドリンクが運ばれてきた。俺はアイスコーヒーを、七海さんはアイスティーをストローで啜りながら会話する。
「この店、よかったね。凄く美味しかった」
「だね。初めて入ったけど、美味しくてよかった」
何でもない会話を続けていると、コーヒーが半分くらい無くなっていることに気づく。店を出た後は何をするのだろうか、と思い、七海さんに尋ねてみる。
「この後、どうする?」
緩んでいた七海さんの表情が強張った。
「ま、任せておいて。プランはまだ残っているから」
また、無理をしようとしているなぁ。
「ねえ、七海さん」
「な、何?」
「昼からはさ、本当に七海さんがしたいことをしようよ」
「え」
「朝から無理してるでしょ?」
そう尋ねると、七海さんは目を丸くした。
「どうしてわかったの?」
そりゃ、青い顔で全部マシマシと呪文を呟いていれば誰でもわかるだろう。でもそれは、確定した瞬間であって、気づいた瞬間ではない。どうして俺が気づいたのか、それは七海さんにドキドキしなかったからだ。
「いつもと違って、七海さんにドキドキしなかったからかなぁ」
言ったあとに、不味い、と気づく。普段はドキドキしている、と言ったようなものだ。俺が惚れない、とわかっているから、七海さんは素を見せられるのであって、こんなことを言ったら、素を見せることを躊躇ってしまうだろう。
そう思って取り繕おうとしたけれど、その前に七海さんが言った。
「いいの?」
「え、何が?」
「そんなこと言ったら、我慢できなくなっちゃうよ?」
どういうことだろうか。思ってた反応と違って、ちょっと戸惑う。だけど、どうやら躊躇うつもりはないみたいなので、同時に安心もする。
「別に俺相手にしなくていいよ」
そう言うと、七海さんは無言で立ち上がり、俺の隣に座ってきた。肩が触れ合い、女の子の良い香りが漂ってきてドキリとする。
七海さんは腕を伸ばして、アイスティーを手に取る。そして刺さっていたストローを俺のと入れ替えた。
「転校生が悪いんだからね」
小悪魔な笑みを浮かべてそう言った七海さんは、俺がさっきまで使っていたストローに口をつけた。
俺は見ていられず、自分のアイスコーヒーに目を移す。ストローの口は、ほんのりとピンクに染まっていた。
「私、化粧を直してくるから、存分にどうぞ」
七海さんに、一人、グロスのついたストローと残される。
しばらくストローと見合っていたが、グラスに直接口をつけて、アイスコーヒーを飲み干す。
ああもう、ドキドキした。
やっぱり我慢してもらった方が良かったかも。そう思うけれど、寂しさはなくて、ちょっと顔が熱くなった。
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