みなまで言わすな♡
「あの女、だれ?」
七海さんは、どこか怖い笑顔でそう尋ねてきた。
なんだか、少し冷えた気がする。
「あ、あの女って?」
胸に当てられた指が、いじけて砂に円を描くようにくるくると回り始めた。どこか艶かしい指遣いに、鼓動が早くなる……恐怖的な意味で。
「転校生、みなまで言わすな♡」
ニコッとした七海さんの笑顔はドス黒いものを孕んでいるように見えた。いつも纏っているのが黄色のダイヤ型のキラキラなら、今は黒とも紫ともつかないキラキラだ。
怖い、早く答えないと。
「み、美鶴のこと?」
七海さんの形の良い耳がぴくっと動き、目は細められた。目蓋の奥の瞳はしっかりと光っている。まるで猛禽類のようで、被捕食者側に回ったような感覚を覚えた。
「美鶴?」
「う、うん。葵美鶴って言って、別のクラスの同級生……」
話している途中で、人差し指が登ってきて唇に触れる。静かに、そんな意図が感じられた。
「葵美鶴、身長151cm、A型、80,56,80、二中出身の、ギャルっぽい子たちといつも一緒にいる隣のクラスの女の子」
唇にくっつけられた人差し指が離れる。
「し、知ってたんだ」
「うん、今日友達に訊いてね〜」
きく、の漢字がおかしいように聞こえたが、突っ込むことができない。
「だから、訊きたいことはそうじゃないんだ。ねえ、転校生」
舐めるような甘ったるい口調。ドキドキして然るべきだが、なぜか肝が冷えた。
「葵美鶴と、どういう関係?」
まるで、浮気した夫を問い詰めるような言葉。そう思うと、安堵し、一気に力が抜けていく。
ああ、素の七海さんってだけだ。彼女っぽい言動であざとく迫るみたいなノリだ。本当、ドキドキさせられた。
「良かった」
昨日と変わらず、素で接してくれていることが嬉しくて、ついそんな言葉が出た。俺に問題があって気が変わったのなら、直して、七海さんが素で接してもいい人間になりたい、と思っていたのだ。
「へ?」
「いや、昨日、七海さんが帰っちゃったじゃん。だから俺はさ、何かやらかして、七海さんの気が変わって素で接するのをやめたんじゃないか、って思ってた」
「うん?」
「でも今、七海さんが素で接してくれてるのが嬉しくなってさ、つい良かったって言っちゃったんだよ」
恥ずかしいことを言った気がして、顔を逸らす。素の七海さんに、何かイジられるんじゃないのか、と思って気を張る。だが、何の反応もない。七海さんの顔に目を戻すと、なんとも複雑そうな表情。お茶と思って飲んだらコーヒーだった、みたいな顔をしていた。
「あ、あれ? 何か違った? 彼女っぽい言動であざとく迫るみたいなノリじゃなかった?」
「……」
「七海さん?」
「え、あ、ああそう!! さ、さすが、転校生だね!!」
そう言ったあと、七海さんは、顔を押さえてかがみ込む。
「うぅ、私は、何て暴走を」
暴走、何のことだろうか。あざとくしすぎたってことかな。たしかに、指を唇につけるって言うのは流石にやりすぎな気がする。恐怖を覚えてなかったら、喉から心臓が飛び出そうなほどドキドキしただろう。
だけど、それは俺が勘違いしないよう気をつけることであって、七海さんが気にすることではない。気にした瞬間にそれはもう、素で接しているとは言えなくなるからだ。
「そんな気を遣わなくていいよ」
七海さんが指の隙間から目だけ向けてきた。
「やりすぎた、って気を遣ってくれたんだよな? 別に俺は大丈夫だから、何も気にせず接してくれていいよ。というか、そっちの方が嬉しい」
そう言うと、またも静寂が訪れた。七海さんの顔が、かーっと耳まで真っ赤に染まる。かなり恥ずかしいことを言った自覚はある。共感姓羞恥を煽ってしまったか。そう思えば、俺まで顔に熱が上ってきた。
「あざとい」
「あざとい?」
「あざとい、優しすぎる。全部違うけど、全部嬉しいじゃん」
七海さんの言っていることがわからなくて、戸惑ってしまう。全部違うってどういうことだろうか。何か勘違いをしているのだろうか。いやでも、全部嬉しいってことはそれでいいのか。
「転校生」
立ち上がった七海さんに、湿って艶のある瞳で見つめられる。赤く染まった熱っぽい表情、ごくりと勝手に喉がなった。
「な、なに?」
「そんなに優しくされたら本気になっちゃうよ?」
「いや、七海さんがそれ言う?」
七海さんは、うっ、と苦々しげな顔になったが、何事もなかったかのように、さっきと同じ顔に戻る。
「女の子を甘やかすと勘違いするんだよ?」
「またそんな、あざといことを言ってきて。こっちが勘違いしそうだよ」
「そのまま好きになって、って言ったら?」
「なって欲しくないでしょ。俺が好きにならないって踏んでるから、あざとく迫ってくるんでしょ」
俺がそう言うと、七海さんの顔が固まった。こめかみにはつるりと汗が滑っている。
「ね、ねえ、転校生。私が素の私で転校生に接する限りさ、転校生は私のことを好きにならないよね?」
「安心して。七海さんが素で接しても良いように、俺は好きにならない」
「……ミスった」
「え?」
七海さんは顔をくしゃりと歪め、泣きそうな表情になった。
「階段を飛べば、時を遡れるかな?」
「いや無理。どうしたの、急に?」
「車で時速88マイルに達すれば昔に飛ぶかな?」
「まだ免許持ってないでしょ」
「電車に轢きかけられたら、過去に戻れるかな?」
「危ないし、迷惑になるからやめな」
「だよね〜、ははは……」
七海さんはから笑いをして、死んだ目で遠くを見た。なんとなく海藻みたいに、ゆらゆら揺れているようにも見える。
何かまずいことを言ったのだろうか。ああそうか。『安心して。七海さんが素で接しても良いように、俺は好きにならない』この発言が悪かった。こんなことを言えば、『七海さんのために好きにならない』と言っているようなものじゃないか。優しい七海さんのことだ、俺に無理をさせている、と感じて、過去に遡りたがったのだろう。
七海さんが罪悪感を感じないで済むようフォローしなければ。そう思うと、俺は慌てて口を開いた。
「ごめん! 七海さんを好きにならないのは、無理してるとかじゃないから!」
「うっ」
「全然、好きになってなんかないし!」
「うぅ」
「むしろ苦手っていうか、好きになりようがないっていうか!」
「ひぐぅ」
七海さんが目を擦り始めてしまった。フォローすればするほど、逆効果になる。泣いている子に泣かないでって言ったら余計泣かせてしまうあれだ。
このままだと、泣かせてしまう。でも、どうしよう。わからないけど、何か言わないと。
「えと、えと、ええと、今までのは嘘。正直、素の七海さんに迫られたら惚れちゃいそうになるけど、我慢してでも素の七海さんでいて欲しいっていうか。だから俺のためでもあるっていうか」
ああ、馬鹿! 俺は何を言っているんだ! 本音を言ってしまえば、余計七海さんが気遣うだろ!
「……それ、本当?」
「え、ああ、うん。一応」
「そっか。じゃあ、素で接しても良いんだ……」
七海さんは潤んだ瞳でまっすぐ見据えてきた。何かを決したようにきゅっと結ばれていた唇が綻ぶ。泣き笑いのような、どうしようもなく綺麗な笑顔を向けられ
「うそつき〜」
と頬を突かれた。
きゅんと甘い感覚が胸に訪れ、心臓が跳ね上がる。そしてすぐ、全身に鳥肌が立った……異様な寒気とともに。
七海さんの後ろに目を闇にした美鶴を見つける。
「転校生、これからもよろしくね!」
「う、うん」
そう言うと同時に、凍ってしまいそうなほど冷たい声をかけられる。
「高良♡ この女、誰?」
目は細められ口角が上がっているというのに、美鶴が笑っているようには見えなかった。
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