美鶴

「私、パパ活してないから」


「わかってる」


「イラストで稼いだお金だから」


「さっき見た、フォロワー10万超えてたね」


「そう、私は有名なんだよ、凄いでしょ?」


「すごいよ。それで、落ち着いた?」


「……うん」


 体育座りしたみつるは、膝に顔を埋め、赤くなった目だけ上げた。


 宥めるのに十分近くかかった。屋上に吹き抜ける風はさっきより強い。夏の青空の下でも少し寒いくらいだった。


「……で、付き合ってくれるの?」


 ぽつりと呟くような言葉。独り言のようだけど、潤んで光る瞳は俺に向けられている。


「また、そんな、急に」


「飛躍してない」


 むすっとそう言ったみつるは続ける。


「あんなん、告白したようなものじゃん。最低のシチュエーションだけど」


 みつるは正しい。気持ちは知ってしまっている。


 自暴自棄になって吐いた、『初恋の相手に再会して、運命だ、なんて思っちゃうくらい、ずっと昔の想い出を大切にしててたのに』という言葉。加えて『好きな人にパパ活してると思われて、その上応援されるの無理すぎるでしょ!!』という嘆き。気持ちを知るには充分すぎる。


 でも、俺は、ごめん、と答えるしかない。


 容姿は見惚れるくらい優れているし、みつるのギャルっぽい雰囲気も、女の子らしさとギャップがあって可愛い。献身的な姿に胸が跳ねたのも事実。もう少しロマンチックなら、ころりと落ちたかも。と、思うが、やはり、答えはnoだ。みつるとの想い出は俺にとっても特別だが、そこに恋愛感情はないのだから。


 ただ、簡単に答えることができない。『初恋の相手に再会して、運命だ、なんて思っちゃうくらい、ずっと昔の想い出を大切にしててたのに』その言葉が引っかかっているのだ。


 俺も下北にそう思ってた。恋愛感情ではないが、負けないくらいの友情を大切にしていた。そして望みが途絶えたとき酷く落胆した。


 みつるに、ごめん、を突きつけることは、下北にされたことと同じじゃないのか。そう思って言葉が出ない。


 でも、言わなきゃいけない。胸が痛み、息も苦しい。それでも、言わなきゃいけない。


「ごめん」


 みつるは空を見上げた。俺も釣られる。澄んだ鮮やかな青色の中に、綿菓子のような雲が流れている。なんとなく、時間が酷く遅く進んでいるような、そんな気がする。


「ねえ、聞いてくれる?」


 声色は重いと言うより、深い。クラシックの生演奏を聴いている時のように、何か言うことすら無粋、そんな感じ。俺はただ頷いて、耳を傾けることにした。


「当時の私はさ、絵を描くことを皆から馬鹿にされてて、友達も、親も、いい顔されてなかった。当然だよね、勉強しないし、運動もできないし、お洒落だって気遣わなかった私が、誰でも描けるようなイラストばっか描いてたんだから」


 みつるは、ぽつぽつ、と小雨が降るようなテンポで語る。


「私もそれはわかってた。やめた方がいいのもわかってた。だけど、やめられなかった。だってイラストを描くことが大好きだから。でもやっぱり好きなことでも、否定されながら続けるのは苦しいよ。高校生になった今でも思うことが、小学生の女の子にとってどれだけ苦しいかわかる?」


 みつるは青空を一杯に吸い込んだ瞳を向けてきた。


「どうしようもなく辛かったそんな時に、高良は現れた。それも王子様みたいに虐めてきた男の子達に割り込んで。でもって、言ったことも王子様だったよ、『うわっ、すげー上手いじゃん!』って。誰にも認められなかった絵を描く私を、認めてくれた」


「別に、みつるのためを思ってとか、そういうのじゃなかったよ」


「うん、わかってる。だから、嬉しかったんだ。純粋な心で私を見てくれたんだから」


 みつるは笑った。


「それにずるいよ。認めてくれただけじゃなくて、私の世話を色々と焼いちゃってくれてさ、そんな優しくされたら好きになるに決まってるじゃん」


 責めるような言葉だが、そんな意図は全くないとわかる冗談口調。


「好きになってくっついても全然気づいてくれないし、挙句の果てには塾に顔出さなくなるし」


「もっと言えば、年下だと思ってたし、男だと思ってたよ」


 みつるは「最低」とけらけら笑った。


「私さ、高良と離れても忘れてなかったんだよ。いつか出会ったときのために、お洒落だって頑張ったし、褒めてもらいたくて絵も続けた。甘やかされた分、甘やかしたくて、料理だってなんだって頑張った」


 はー、とみつるは大きく息をついた。


「結果、振られましたけどね」


 みつるは小悪魔っぽい顔で俺を見た。


「ねえ、どうすればいいと思う?」


 どうすればいい、か。


 振られた人間にしていい質問でも、振った人間が答えていい質問でもない気がする。でも、なんとなく答えなきゃ進まないような気がする。


「俺もさ、この学校に入ってきた時さ、昔仲良かった幼馴染みと出会って、運命だ、って思ってた」


「それが、誰だっけ? たしか下北さん? だっけ?」


「知ってたの?」


「少しだけ。高良がこの学校にいるって知ったきっかけも、昨日、下北さんに怒鳴られた転校生がいるってラインで回ってきたからだし」


 そんなに情報が回ってるなんて、と少し落ち込むが、話が早いしいいや、と切り替える。


「まあ俺も、昔の想い出を大切にしてて、下北と仲良くしたかった。だけど、結果は知っての通りで、俺は落ち込んだ」


「でも、そんなに辛そうに見えないけど」


「それが言いたかったこと。今は下北を見返したいって目標があるんだ。だから、暗闇に囚われず、前を向けて歩けてる」


「私に高良を見返せってこと?」


 頬が引きつる。そう言われると、俺を惚れさせるくらいの女になってみろ、と言ったようで、恥ずかしいやらなんやらで微妙な気分になる。


 そんな俺が面白かったのか、みつるは声をだして笑った。


「あはは。わかってるよ、何か新しい目標を持てば楽になるってことでしょ?」


「うん、まあ」


「じゃあそうする」


 みつるはそう言って、上目遣いをしてきた。


「新しい目標は、高良を甘やかすこと」


「ええ……」


「毎朝起こして、お味噌汁つくってあげたい」


「いつの時代のお嫁さん?」


「肩揉んだり、足揉んだりしたい」


「両方凝っていませんので」


「膝枕して寝かしつけたい」


「恥ずかしいのでごめんなさい」


「私抜きでは生きていけないように、でろでろに甘やかしたい」


「それは怖い、ってか甘やかしたいって新しい目標じゃなくね?」


 みつるは首を振った。


「振られた私に道標を示して甘やかしてくれた、だから甘やかし返したい。ちゃんと新しい目標だよ」


「いや、そうなのかなあ」


「うん、そう。ほら、何か甘えてみて、叶えてあげるから」


 そう言われても何も出てこない。いや、一つだけ頼みたいことがある。


 俺は体をみつるに向ける。


「俺と友達になってください」


「無理」


「え?」


 みつるは体育座りのまま、顔だけこてんと横向けてきた。


「私、高良のことまだまだ好きだし。彼女を諦めて友達になんか、なってあげない」


 蠱惑的な笑み、ふわりと揺れた綺麗な髪、熱のこもった瞳。背景の青空も相まって、切り取った写真のよう。胸は締め付けられたように切なく、のぼせてしまいそうなくらい顔が熱くなる。


 俺が目を逸らすと、嬉しそうな笑い声が聞こえた。


「これはまだまだ望みがありそうだ」


 照れて何も答えられない。


 隣にいるのは『みつる』ではなく『美鶴』なんだ、そんなことを思った。

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