葵美鶴

 

「あの葵さんと転校生が仲良さそうにしてたよな」


「葵さんと、ずっと下北さんに使われた高梨くんが……」


「羨ましい。葵美鶴あおいみつるにお昼を誘われるなんて」


 一限目が終わった休み時間。好奇の視線に気づかない振りをしながら、必死に聞き耳を立てていた。


 葵美鶴。どうやらそれが、朝絡んできた女の子の名前らしい。


 聞き耳で集めた情報によると、七海さんとは別方向で、スクールカーストトップの女の子。いわゆる恋愛リアリティーショーに出てそうなタイプの陽キャ。入学してから告白された回数は数知れず。一年生の間では、アイドル的な七海さん派、俗世的な葵さん派で二分しているそうだ。


 わからない。知れば知るほど、誰かわからない。どうして有名な美少女が俺に絡んできたのだろう。


 朝の会話を振り返る。


 葵さんは、俺のことを高良たからと呼んでいた。俺の名前は珍しく、『たから』ではなく、『たかよし』と呼ばれることの方が多い。そのことを考えると、前から俺のことを知っていたと見るべきだ。加えて、シンプルに下の名前呼び。それなりに親しかったのだろう。そして、私が変わっていて驚いたんでしょ、という言葉。明らかに昔に関わっていたことがわかる。


 一言にまとめれば、葵さんは『昔仲良かった女の子』となる。


 でも、そんな子いないんだよなあ。


 小学生の頃に仲よかった男子はいれど、女子は下北しかいない。


 忘れている、という線もあるが、葵さんほどの美少女なら絶対に忘れないだろう。


 八方塞がりのように思えるが、一つだけ思い当たる節があった。


『みつる』という名前。それは小学生の頃、小さな塾の夏季講習で出会った子の名前だ。


「うわっ、すげー上手いじゃん!」


 プリントの裏に描かれたアニメキャラを見て、声をかけたのがきっかけ。それからちょっとずつ話すようになり、最終的に、みつるは、塾の間、ずっとくっついてくるようになった。


 俺は弟ができたように嬉しくて、勉強を教えたり、引っ込み思案のみつるの代わりに先生に物を言ったりと、色々と世話を焼いたことを覚えている。


 みつるが葵美鶴なのだろうか。そう思うも、それはない、と内心首を振る。


 記憶の中のみつるは、葵美鶴のような女の子って感じからは掛け離れている短髪の少年だ。服装もデニムのハーフパンツにTシャツ、と小学生男子スタイル。それに何より、みつるは年齢が一つ下。みつるに与えられていた問題は一学年下のものだった。


 でも、もしかしたらがある、か。


 みつるの顔は整っていたし、名前で男だと判断しただけで、性別を確認したことはない。問題だって、勉強が苦手で一つ下の学年のをやらされていたのかもしれない。


 昼休み、葵さんに『もしかして、みつる?』と聞いてみるか? 


 いやいや、もし間違えてしまえば終わりだ。


「もしかして、昔塾で一緒だったみつる?」


「誰そのみつる?」


「一学年下の問題をやらされてた、少年にしか見えなかったみつるです」


「それが私なわけがなくない? 男でも年下でもないんだけど? もしかして馬鹿にしてる?」


 まあ、そこまで馬鹿な会話にはならないと思うが、別人と間違えれば怒らせるのは間違いない。


 やっぱり、本当は君が誰か知らない、誰か教えてくれ、と頼むのが一番か。


 だが気乗りしない。なんとなくだけれど、悲しませるような気がする。加えて、誰かも思い出せないのなら、友達になれないような気がする。


 俺は周りを見渡す。好奇の眼差しを向けられているものの、朝想定したような軽蔑の眼差しを送られることも、嘲笑されてもいない。それは明らかに、葵美鶴の影響だった。有名人の彼女と仲がいいかもしれない俺を、悪く言うつもりがない、もしくは悪く言うことが出来なくなっているのだろう。


 正直今は、周りがどうだろうが、悪く言われようが言われなかろうがどうでもいい。だけど、もし、彼女と友達になることで、下北を見返すことができるのならば、友達になりたいと思う。


 もう一度、辺りを見渡すと、七海さんと目が合った。すると七海さんは、ちぎれんばかりの勢いで首を回し、目を逸らしてきた。


 七海さんの行動に謎が深まるが、今は後回しだ。


 俺は、葵さんのことを思い出し、友達になる。


 昼休みに向けて決意を固めた。

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