目が覚めたら悪役令嬢になっていたから、話の通り惚れ薬を手に入れたけど、使いたいのはあなたじゃないから!

若葉結実(わかば ゆいみ)

第1話

「メリンダお嬢様、申し訳ございませんが今日限り執事を辞めさせて頂きます」

 と、アデルは言って、綺麗に畳まれた燕尾服を私に差し出してきた。


「え……なんで?」

「ナーシャから聞きました。メリンダお嬢様、私の食べ物に惚れ薬を混ぜようとしたんですって?」


 ナーシャのやつ……告げ口したわね。

 私が俯き目を合わせようとしないナーシャを睨みつけていると、アデルはナーシャを庇うように前に立った。


「ナーシャは何も悪くないですよ! 聞くところ、口封じのために色々とナーシャに意地悪していたらしいじゃないですか? 私、言いましたよね? ナーシャを苛めるようなら辞めますって」

「それは聞いていたけれど……」


 アデルはナーシャの方に体を向け「ナーシャ、ほら。お前も」と、言って、ナーシャの背中にソッと手を当てた。

 ナーシャが俯きながらも、ゆっくり前に出る。

 私の前でピタッと足を止めると、メイド服を差し出してきた。


「あの……」

「なに?」

「あの……私も、今日でメイドを辞めさせてもらいます」

「何ですって!?」

 と、私が大声を上げると、ナーシャはビクッと体を震わせる。

 私は怒りをぶつけるかのようにナーシャが持っているメイド服を叩き落とすと「ふざけないでよ!」


 ――ナーシャは黙ってしゃがみ込む。


「ナーシャ! 拾わなくて良いよ」

「でも……」

「僕達はもう辞めるんだ。そんなことする必要ない」

「あなた達、こんな事してタダで済むと思っているの?」

「脅したって無駄ですよ。お嬢様は惚れ薬を買うのに大金を払っていらっしゃる。もう俺達をどうこう出来る権力がない事は知っていますから」


 アデルはテーブルの上に燕尾服を置くと、ナーシャの方へと歩き出す。

 立ち上がったナーシャの手を握ると「行こう」


「うん」

「くぅ~……」


 こうして二人は屋敷を出ていってしまい、二度と戻っては来なかった。

 人伝いで聞いた話では、二人は結ばれて幸せに暮らしているとのこと。

 数か月後、遠征に行っていた父が屋敷に戻ってきて、惚れ薬の事が知られてしまう。

 私はこの屋敷の人間として相応しくないと、家を追い出されてしまうのだった。


 ※※※


「あ~……やっぱり駄目だったか」


 私はベッドで寝ながら読んでいた小説を閉じると、表紙を見つめる。

 サラサラでショートの栗毛をしたアデル君……切れ長の目をしていて、ファンタジーの主人公のようにカッコイイから、一途のメリンダお嬢様と結ばれて欲しかった。

 もちろん、ナーシャちゃんも金髪ロングヘアにパッツン前髪、クリクリお目目で、ヒロイン! って感じが可愛いとは思うけどね……。


「さて、明日も仕事だし、少し早いけど寝るか」


 私はベッドから起き上がると、机に小説を置いた。

 部屋の電気を消すと、またベッドに戻り、横になる。


「――私ならもっと上手く惚れ薬を使うのにな」

 と、呟くと、ソッと目を閉じた。


 ★★★★★


 そこまでは覚えている。だけどそれ以降は何も覚えていない。

 気が付いたらフカフカの大きなベッドの上で寝ており、メリンダお嬢様になっていた。

 最初は夢かと思っていたけど、ここでの生活は一年以上経っている。こんな長い夢がある訳がない。


「お嬢様、お手紙が来ております」

 と、朝食を食べている所へ、メイド服を着たナーシャちゃんが近づいていくる。


「誰から?」

「それが……差出人が書いて無くて、怪しいので私が中身を確認して処分しておきましょうか?」


 私はそれを聞いて、誰から来たのかピーンっと気付く。

 ついに来たのね……。


「大丈夫、頂戴。あと、朝食はこれでお終いにするから、片付けて下さる?」

「はい。承知いたしました」


 私はナーシャちゃんから手紙を受け取ると、スッと立ち上がり、自室へと向かった――。

 部屋へ着くと早速、真っ白な封筒を開ける。中身を取り出すと直ぐに読んだ。

 ――そこには一言、物が手に入った事と、待ち合わせ時刻、場所が書かれていた。

 私は直ぐに手紙を破り、ゴミ箱に捨てると、待ち合わせ場所の路地裏へと向かった――。

 薄暗くて静寂な路地裏に、一人の黒いローブを身にまとった怪しい男が立っている。


「金は確認した。約束の品だ」

「ありがとう」


 私は売人から半透明? の液体が入った透明な小瓶を受け取る。

 男はそそくさと、奥の方へと歩いて行った。


「いよいよね……」

 と、私は呟くとギュッと小瓶を握り、ドレスのポケットにしまった。

 ――路地裏を抜けると、買い物カゴをぶらさげたナーシャちゃんと出くわしてしまう。

 心臓が飛び出るぐらいビックリし、声も出ない。

 え、ちょっと待って。小説にこんなシーンあった?


「あら、お嬢様。お買い物ですか?」


 ナーシャちゃんはそう言って屈託のない笑顔を見せる。


「え、えぇ……あなたは?」

「私もです。ところでお嬢様、いま路地裏から出てきた様に見えたのですが……」

「えぇ……ちょっと近道しようと思って」


 ナーシャちゃんは眉を顰めて「あの……お嬢様。路地裏は危険ですので、出来れば表通りを……」と、言い辛そうに言うと、俯く。


「あ、そうよね。うん、分かった」


 私がそう返事をすると、ナーシャちゃんは顔を上げ、パッと明るい笑顔を見せる。


「ありがとうございます!」

「別に御礼を言われるような事をしてないわよ」

「ふふ。それでは買い物を済ませたら直ぐに屋敷に戻りますので、これで失礼します」

「分かったわ」


 さて、私は一足先に屋敷に戻るか。

 ――屋敷に戻ると直ぐにキッチンへと向かい、紅茶を淹れる準備を始めた。

 小説のメリンダお嬢様は何もしない方なのに、料理を自分で作ろうとし、そこに惚れ薬を混ぜようとした。それをナーシャちゃんに見つかり、バレてしまったという話だった。


 私はきっと大丈夫。ここに来てから毎日のように二人のために、紅茶を淹れてきた。

 カップは別々に用意してあるし、間違えて飲んじゃったって事もないだろう。


「ふぅー……」


 これでアデル君とようやく結ばれる……嬉しいけど惚れ薬を手に入れるために大金を払ってしまい、来月の更新日になったらナーシャちゃんを解雇しなくちゃ、生活が厳しくなってしまう。ちょっと気が重いな。

 節約して何とか一人分は確保出来たんだけど……まぁ、仕方ない。


 私はポケットから惚れ薬を取り出し、調理台に置く。

 ――ヤバッ、緊張したからかトイレに行きたくなってきた。

 惚れ薬は……まぁ、すぐだからこのままでいいか。


 ※※※


 ――私はトイレから戻ると、直ぐに惚れ薬の蓋をあけ、アデル君が使用しているカップに惚れ薬を入れた。

 空の瓶をポケットにしまうと、三人分の紅茶をトレイに乗せる。


「よいしょ」


 トレイを持ってキッチンから出ると、談話室へと運ぶ――。

 談話室のテーブルにトレイを置き、アデル君を呼ぼうと部屋から出ると、丁度、アデル君が廊下を歩いていた。


「アデル。紅茶を淹れたから召し上がって」


 アデル君はペコリと綺麗にお辞儀をして「いつも、ありがとうございます」


「いいのよ。お菓子を用意するから、先に飲んでいて構わないわよ」

「あ、だったら私が」

「大丈夫、大丈夫。好きでやってるから」

「分かりました。では、お先に頂きます」

「えぇ、どうぞ」


 私はそう言って、キッチンへと戻った。

 ――お菓子を持って談話室に戻ると、なぜかアデル君はおらず、ナーシャちゃんが一人で座って、紅茶を飲んでいた。


「あら、アデルは?」

「用事があると出ていってしまいました」

「へぇー……」


 紅茶は飲んだのかしら? と、テーブルに目をやる。

 ――ん? ちょっと待って!

 私は慌ててナーシャちゃんに近づき、ホッペを鷲掴みにする。


「あなた! それ、アデルのカップじゃない!! 何をやっているの、吐き出しなさい!!」


 急に私がホッペを鷲掴みにしたので、ナーシャちゃんは口に含んでいた紅茶を吐き出しそうになるが、ゴクッと飲み込む。


「あわわ、申しゅ訳ござぇませぇん!」

「お嬢様!? 何をなさっているのですか!?」


 後ろから突然、アデル君の声がして、私はナーシャちゃんのホッペから手を離す。

 私はアデル君の方を向き「この子があなたの紅茶を飲んじゃったのよ」

 アデル君は私の前に立つと深々と頭を下げた。


「申し訳ございません! それは私が飲んで良いって言ったからです」

「ナーシャ、そうなの?」

「は、はい」

「本当に申し訳ございません」


 これ以上なにかを言っても、何かが変わる訳ではない。

 まだ言い足りない気持ちはあるけど「ふー……」と、息を吐きだし、興奮した気持ちを落ち着かせる。


「ナーシャ。ごめんなさいね」

「あ、いえ……とんでもございません」


 さて……困った事になってしまったぞ。

 惚れ薬の効果を消す薬は存在するの? ――まぁあったとしても、それを買うお金はもうない。

 だからといって、この状態のナーシャちゃんを解雇する訳にもいかないし、何か考えなきゃ。


「お嬢様? どうかされました?」


 心配そうにナーシャちゃんが見つめてくる。


「いいえ。さぁ、紅茶が勿体ないから三人で飲みましょ」


 とにかく二人の契約更新日まで時間はあるし、父はまだ帰ってこない。

 自分で蒔いた種だもの、それまでにどうにか頑張るしかないわね。


 ★★★★★


 それから数日経つ。今のところ何も思い浮かばなくて、自室で椅子に座って頭を抱えていると、コンコンっと優しくドアをノックの音する音が聞こえてくる。


「どうぞ」

「失礼いたします」

 と、綺麗な花束を持ったナーシャちゃんが入ってくる。


「お嬢様に似合うかと思って、お花を摘んできました。飾っておきますね」

「あら、可愛い。ありがとう」

「いえ、とんでもございません」


 ナーシャちゃんはそう言って、照れ臭そうにニコッと笑う。

 惚れ薬の影響なのか。ここ数日、ナーシャちゃんはよく私に絡んでくるようにった。

 その前は私に対してオドオドとしていたので、それがとても新鮮で、可愛く思えてくる。

 ――ナーシャちゃんの様子をジッと見ていると、メイド服のポケットが破れている事に気付く。


「あら、ナーシャ。ポケットが破れているわよ」

「え? ――あ、本当ですね。すみません」

「脱いで。直してあげる」

「え? で、でも恥ずかしいですから」


 恥ずかしい? 女同士なのに何が恥ずかしいんだろ? と、思いながらキョロキョロと辺りを見渡す。


「あぁ、ごめん。カーテン閉めるわね」

「え? あ、はい。ありがとうございます」

「いえいえ。気にしないで良いから脱いで頂戴」

「あ、はい」


 ナーシャちゃんがメイド服を脱ぎ、私は受け取る。


「ちょっと待っててね」


 私は裁縫道具を机から取り出すと、ポケットの穴を縫い始める――。

 懐かしいなこの感じ。刺繍した製品を売っていた事を思い出す。

 ――そうだ。どうせ縫うなら少しアレンジしてあげるか。ナーシャちゃん、喜ぶかも。


「ナーシャ。もう少し、時間ある?」

「はい。ありますよ」

「じゃあちょっと待っていてね」

「あ、はい」


 私は赤い糸を使って、小さなハートを縫い付ける――。

 完成すると「はい、どうぞ」と、ナーシャに渡した。

 ナーシャちゃんは受け取ると、目を輝かせ、言葉に出来ないぐらいに喜んでくれているみたいだった。


「どう? 可愛いでしょ」

「はい! とっても……お嬢様、凄いです!!」

「いやー……それほどでも」


 ナーシャちゃんは着替え終えると「今から買い物に行ってきます。ありがとうございました」


「うん、分かったわ」

「失礼しました」


 ナーシャちゃんはそう言って、ペコリと頭を下げると「ふふふ」と、上機嫌で部屋を出ていく。

 まさかハート一個で、あそこまで喜んでくれるとはねぇ……やって良かった。


 ※※※


 数時間後、廊下を歩いていると、息を切らしたナーシャが正面から駆けてくる。


「ナーシャ、そんなに慌てて走ると転ぶわよ。あなた見かけ通りで、そそっかしいんだから」


 ナーシャちゃんは私の前で立ち止まり、息を整えると「すみません」


「そんなに慌ててどうしたの?」

「実は買い物に行ったとき、お嬢様の刺繍が可愛いと注目されまして、私まで嬉しくなったので、早くお嬢様に伝えたいと帰ってまいりました」

「え、あれだけで?」

「はい!」


 そっか……この世界じゃ珍しい感じになるのかしら? もしかしてこれ、商売でいける?


「ナーシャ、その人たちとは交流あるの?」

「はい、いくらかは」

「じゃあ、その人たちにどんな刺繍が欲しいか、聞いてきてくれない?」

「え?」

「あと、それにあった糸を買って来て頂戴」

「それって……」

「えぇ、私も働くわよ」

「分かりました!」


 ナーシャは返事をすると、玄関に向かって走り出す。


「――あ」と、声を漏らすと立ち止まった。

「どうしたの?」


 ナーシャはこちらを振り向き「あの……厚かましい話ですが、もし。もしですよ、私もお金を払えば刺繍つけて貰えます?」


「ふ、あなたにはいつもお世話になっているから、たまにならタダでやってあげるわよ」

「本当ですか! ありがとうございます!」


 ナーシャはパァァァっと明るい笑顔を見せると、ペコリとお辞儀をする。

 両手で口を覆うと、嬉しそうに廊下を駆けていった。


 ★★★★★


 こうして、お金を手に入れる手段を見つけた私は、ひたすら働く。

 幸いの事に私の刺繍の噂はアッと言う間に広がり、人気が出た。


「よし、完成」

 と、預かっていた白いハンカチをテーブルに置く。

 するとコンコンっとドアをノックする音が聞こえてきた。


「どうぞ」

「失礼いたします」


 ナーシャちゃんがペコリとお辞儀をして入ってくる。


「おはようございます。朝食の準備が出来ました」

「あら、ありがとう」

「あ……」

「どうしたの?」

「お嬢様、目の下にクマが……」

「あぁ……ちょっと頑張り過ぎたかしら」

「ここの所、あまり寝ていない様ですが御身体、大丈夫ですか?」

「平気、平気」

 と、返事をして、立ち上がろうとした時、体がふらつく。


「お嬢様!」


 ナーシャちゃんの叫び声が聞こえたが、そのあと自分がどうなったかは分からなかった。


 ※※※


 気が付くと私はベッドの上で寝ていた。

 ふと横を見ると、椅子に座ったナーシャちゃんが、コクリ……コクリ……と船を漕いでいた。

 私のこと看病してくれて疲れたのかしら? 私はベッドから起き上がると、毛布を一枚引き抜く。その毛布をナーシャちゃんの肩に掛けた。


 さて……とりあえずアデル君を探してみるか。そう思い、キッチンへと向かった――。

 キッチンへ着くと、アデル君が食事の準備をしている。


「アデル」


 私が後ろから声を掛けると、アデル君は包丁を止め、後ろを振り向いた。


「あ、お嬢様。御身体の方は大丈夫でしょうか?」

「えぇ。私、どうなったの?」

「ちょっと疲れが溜まっていたみたいで倒れてしまったみたいです」

「そう……いま何時?」

「19時です」

「夜まで寝てしまったのね」

「眠気覚ましにコーヒーでも飲まれますか?」

「えぇ、頂くわ」

「それでは食堂でお待ちください」

「分かったわ」


 私は返事をすると、キッチンを出て食堂へと向かう――。

 食堂で椅子に座って待っていると、アデル君がコーヒーを運んできてくれた。


「ありがとう」

「はい。あの、ナーシャの事ですが、朝からずっとお嬢様の様子を見ては仕事に戻りを繰り返し、疲れているみたいなので、もう少し寝かせてやってください」

「えぇ、そのつもりよ」

「ありがとうございます。ただいま夕食の準備を進めていますので、少々お待ちください」

「分かったわ」


 ――数分、椅子に座って待っていると突然、勢いよく食堂のドアが開く。

 私はびっくりして、体をビクッと震わせた。


「お嬢様~……」


 ナーシャちゃんが今にも泣き出しそうな表情で駆け寄ってくる。


「ナーシャ。色々と苦労を掛けたみたいで、ごめんなさいね」


 ナーシャは私の前で立ち止まると、ポロポロと涙を零しながら「とんでもございません。私はお嬢様が無事でいてくれただけで、十分でございます」


「ありがとう」

「だけど……」

「だけど?」

「これだけは言わせてください」

「なに?」

「どうか……どうか御無理はなさらずに、お願いします」

「――そうね」


 私はこんなにも想ってくれているナーシャが愛おしくて、ソッと抱き寄せる。


「今度から気を付けるからね」

「はい……全力でサポートします」


 あぁ……なんて良い子なの。こんなんじゃ離れることなんて出来ないよ。

 私は涙を必死に堪え、ナーシャのサラサラの髪を優しく撫でながらそう思った。


 ★★★★★


 それから数週間が経ち、契約更新日まであと数日になってしまう。

 お金は貯めてきたものの、あと少しが届かない。

 これは二人に打ち明けるしか無さそうだ。


「お嬢様? どうかされましたか?」


 カップに紅茶を注いでくれていたアデル君が、私の様子がおかしい事に気づき声を掛けてくれる。


「アデル。食器を片付けたら、ナーシャと談話室に来てくれる? 話しておきたい事があるの」

「承知いたしました」


 私は紅茶を飲み終えると、談話室へと向かった――。

 椅子に座り数分待っていると、二人が現れる。


「お嬢様、話とは何でしょうか?」

「あなた達の契約更新の事だけど……」


 自分で蒔いた種とはいえ、言い出しにくいな。

 私が言葉を詰まらせていると、二人は不安そうに眉を顰める。

 そりゃ、そうだよね。


「非常に言いにくい事なんだけど……私が大きな買い物をしてしまったせいで、お金が足りなくなってしまって、来月の一人分のお金を用意できそうにないの」

「そういう事ですか……」


 アデル君がボソッとそう言って、気まずそうに俯くと「話は分かりました。私達は雇ってもらっている側なので、どちらが残るかはご指示ください」


「えぇ、分かったわ。ごめんなさいね」

「いえ、とんでもございません。話は以上でしょうか?」

「えぇ」

「承知いたしました。ナーシャ、行こう」

「うん……」


 私は黙って、二人の悲しそうな背中を見送る。


「はぁ……」


 こんな辛い気持ちになるなら、惚れ薬なんて買わない方が良かったのかな?


 ※※※


 その日の夜。

 自室でハンカチに刺繍をしていると、ドアをノックする音が聞こえてくる。

 私は手を止めると、「どうぞ」


「失礼します」

 と、ナーシャさんがペコリとお辞儀をして、部屋に入ってくる。


「あら、ナーシャ。どうしたの?」

「お嬢様に話しておきたい事がありまして。いま御時間、宜しいでしょうか?」

「えぇ、大丈夫よ」


 私はそう返事をして、テーブルにハンカチを置いた。

 ナーシャが私の前に立つ。


「座って良いわよ」

「あ、はい。ありがとうございます」

「それで話って」

「実は――」


 ナーシャはそう言ったっきり言葉を詰まらせる。

 何か言い辛いことなのかしら?


「怒らないから、何でも言って? お父様の大事な壺でも割ってしまったの?」


 私がそう言うと、ナーシャは苦笑いを浮かべる。


「いえ……そんなんじゃありません」

「良かった。それじゃ、どうしたの?」

「あの……お嬢様が言っていた大きな買い物って、その……惚れ薬の事ですか?」

「え!?」


 ナーシャちゃんの口から惚れ薬の事が出て来て、驚きのあまり思わず大声を上げてしまう。


「えっと……何であなたがそれを?」

「実は私……お嬢様が町の路地裏に入っていくのを見掛けて、それから様子を見ていたのです」

「それって、注意されたあの時?」

「いえ。惚れ薬を買うもっと前からです」


 だったら初めて売人と接触した時ね。あんな時から見られていたなんて。

 ナーシャちゃんがメイド服のポケットに手を突っ込み、何やらガサゴソとやっている。

 取り出したのは――なんと惚れ薬が入った透明な瓶だった。


「これ、お返しします」

「え!? ちょっと、待って! 何であなたがそれを持っているの!?」

「――お嬢様が入れた惚れ薬は、お嬢様が調理室から出ていった際に私が差し替えた偽物です。本物は私が預かっていました」

「えっと……どういうこと? 何でそんなことをしたの?」


 ナーシャは惚れ薬をテーブルに置くと「それは――」と、言ったきり口を閉ざしてしまう。


「話が長くなりそうね。紅茶でも飲む?」

「あ、それなら私が――」

「いいのよ。少し動いて頭の整理をしたいの。そこで待っていて」

「分かりました」


 私は立ち上がると、部屋を出る――。

 つまりナーシャちゃんは、最初から売人とのやり取りをみていて、私のことを監視し、アデル君に飲ませない様、行動していたのね。

 でも何でそんな回りくどいやり方を? 阻止するなら最初から出来た筈。

 それに何でこのタイミングで返してきたのかが分からない。


 ――まぁいずれにしろ。今はナーシャちゃんが本物の惚れ薬を飲んでいなかった事が分かっただけでも、一安心だけど……。


 ★★★★★


 私は紅茶を淹れると、カップをトレイに乗せて自室へと戻った――。


「ナーシャ、お待たせ」

「あ、お嬢様。申し訳ございません」

「良いの、良いの」


 私はそう言いながら、トレイをテーブルに置いた。


「夜は長いからね。ナーシャの話しやすいタイミングで話して」

「はい」


 ナーシャは返事をしてカップを手に取る。ゴクッと一口飲むと、テーブルに戻した。


「さっきの話ですが、簡単に申し上げると私はメリンダお嬢様のことをお慕い申しているからです」

「え!? お、お慕い? えっと……それって、好きという意味かしら?」

「はい」


 真剣に見つめてくるナーシャから、それが冗談ではない事が分かる。

 でも何で?


「えっと……何で? 私はあなたを苛めていた時期もあったじゃない?」

「はい、確かに。でもここ最近、別人になったかと思うぐらいメリンダお嬢様は御優しくなりました」


 それを聞いて思わず笑いそうになるのを必死で堪える。本当に別人になっているのよね。


「元々、メリンダお嬢様は私の憧れの女性だったのですが、そのギャップもあり、どんどん惹かれていって、気が付いた時には、好かれたい一心になっていて……」

「だからアデル君に取られたくないと、本物と偽物を入れ替えて芝居をしたって訳?」

「はい」


 ナーシャは返事をすると、緊張で喉が渇いたのか紅茶を口にする。

 私もとりあえず落ち着くため、紅茶を飲んだ。


「あと……」

「あと?」

「お嬢様に惚れ薬を飲んだと思って貰えれば、ありのままの自分が出せると思ったからなんです」

「――じゃあ、あの事件以降のナーシャは本当のナーシャってこと?」

「恥ずかしながら、そうです」

「はぁ……なるほどね」


 私はティーポットを手に取ると「まだ紅茶いる?」


「あ、いえ。大丈夫です」

「そう。一つ疑問に思っている事があるのだけど、なぜこのタイミングで本物を返しにきたの? 今までの努力が水の泡になっちゃったんじゃないの?」


 ナーシャは持っていたカップをテーブルに置くと、俯く。


「それは契約の話を聞いたからです。御優しいお嬢様のことだから、きっと私を見捨てることは出来ない。だったらアデル君が? そう考えると卑怯な気がして」

「なるほどね」


「あと、倒れるまで頑張って自分の罪を償おうとしているお嬢様のことを思い出したら、自分がやった事が心苦しくなってきて……好きだからこそ、お嬢様には好きな方と結ばれて欲しい。そう思ったからです」

「そう……ありがとう」

「いえ……」


 ナーシャはそう返事をして立ち上がる。


「すみません。こんな時間まで御時間いただいて」

「大丈夫よ。正直に話してくれて、ありがとう」

「はい。食器の方は片付けて宜しいでしょうか?」

「うぅん。自分でやるから大丈夫よ」

「承知しました。宜しくお願いします」


 ナーシャはペコリとお辞儀をすると、ドアの方へと歩いて行く。

 ――急にピタリと足を止めるとこちらを振り向いた。


「あの……返事は頂かなくても大丈夫なので」

「そんな訳にはいかないでしょ。考えておくわ」

「――ありがとうございます」


 ナーシャはまたドアの方へと歩き出す――。

 廊下に出るとクルッとこちらを振り向き、「お休みなさいませ、お嬢様」


「お休みなさい」


 ナーシャはお辞儀をすると、優しくドアを閉める。

 私は食器を片付けながら「ふー……」と、溜め息をついた。

 色々と事情は分かったけど、これはこれで悩ましいわね。

 さて、どちらを選べばいいのかしら。


 ★★★★★


 契約更新の当日、私は二人を自室へ呼び集めた。

 二人の表情は曇り、緊張で体を強張らせているのが分かる。


「単刀直入に言うわね。二人とも延長をお願いしたいのだけど良いかしら?」


 二人は私の言葉に目を丸くして驚いている。

 アデル君は一歩前に足を踏み出すと「え……それってどういう事ですか? 前にお金が足りないから一人しか雇えないって言っていたじゃないですか?」


「えぇ、言ったわ。でも、どうにかなっちゃった」

「それじゃ……」

「うん、これからも宜しくね」


 アデル君とナーシャちゃんは顔を見合わせ、笑顔を浮かべると、お互い手を繋いだ。


「やったな、ナーシャ!」

「うん!」


 二人の喜ぶ姿を見ていると、こちらまで嬉しくなる。


「それじゃ、アデル。あなたは仕事に戻って良いわよ。ナーシャは話があるからここに残って」

「はい、承知いたしました。それでは失礼します!」


 アデル君はお辞儀をしてから、ハキハキとそう言うと、ドアも閉めずに部屋を出ていった。


「まったく、アデルったら。ナーシャ、ドアを閉めて」

「はい」


 ナーシャは返事をすると部屋のドアを閉め、こちらへ近づいてくる。


「ふふ……しっかり者のアデル君が、ドアを閉め忘れるなんて、よほど嬉しかったのでしょうね」

「そうね」

「お嬢様。でしゃばりな質問かもしれませんが、お金の方は大丈夫なのでしょうか?」

「うん。ナーシャちゃんが本物を返してくれたおかげでね」

「え、それじゃ……」

「うん。買った額より少ないけど売っちゃった」


 ナーシャちゃんはそれを聞いて安心したようで、顔がパァァァっと明るくなる。


「ナーシャちゃん。この前の返事について、色々と考えたのだけど、ごめんなさい。私はまだあなたの事を良く知っていないし、アデル君の事を本当に好きだったのかも分からない。だからもう少し、二人と過ごしてお互いの事を知ってから、また返事をするで良いかしら?」

「はい、もちろんです!」


 ナーシャちゃんは可愛らしくガッツポーズをすると、ニコッと笑った。


「そうそう。あと、あなたに渡したい物があるの」


 私はそう言ってドレスのポケットからガーベラの刺繍をした純白のハンカチを取り出し、ナーシャちゃんに差し出した。


「もし良かったら、使って頂戴」

「え……良いんですか?」

「うん」


 ナーシャちゃんは頬を緩ませながら駆け寄ってきて、私に抱きつくと「ありがとうございます!」

 言葉だけじゃ表わし切れない喜びが、肌を通じて伝わってくる。

 私はナーシャちゃんの髪を撫でながら、「これからも宜しくね」


「はい! 私の大好きなメリンダお嬢様」


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