第15話 おゆうと竜①
年の瀬生まれのおゆうが数えで十二になった年の夏(注・現在の十歳)、山で傷だらけの男を見つけた。
見慣れぬ衣服をまとったそれを見つけたとき、いつもなら一目散に逃げていただろう。なのにその時はなぜか傷ついた子犬を見つけたような気持ちになり、どうにも逃げる気にはなれなかった。
恐る恐る近づくと、薄く目を開けた男と目が合う。
「*********?」
男が小さくかすれた声で異国の言葉を口にしたとき、多分おゆうの心はすべて男に奪われていた。
大きな男だった。
自分の家にいる一番大きな男より、さらに頭一つ分は大きかっただろう。
なのにとても優しい目をしていた。
たてがみのような赤味のかかった長い髪。二の腕から背中にかけては黒っぽいウロコがあった。病気かと思ったが、痛みはないらしい。人ならざるものなのかとも思ったが、おゆうにはそれがとても美しく見えた。
偶然見つけた洞窟に男をかくまい、おゆうは一生懸命傷の手当てをした。
身振り手振りで少しずつ意思の疎通をはかっていたが、男はたちまち言葉を覚えてしまった。
男の名前は「カイト」といった。
正確には「クァイ・ドゥ」のような発音だったがおゆうには難しく、呼びやすいよう「カイト」になったのだ。ずいぶん大人のように思っていたが、実際にはおゆうより五つ六つ上といったところだった。
なぜあんなに大怪我をしていたのか、どこから来たのか、もしくはどこかへ行くところだったのか。そんなことを忘れてしまったカイト。怪我が治るとウロコも消えてしまった。
髪もひげも伸び放題だったが人懐っこい目のカイトは、山でのびのびと暮らし始めた。日々獣を狩り、木の実や野草を取る。なにより火を起こすのがすこぶる上手だった。
綺麗好きらしく、洗濯と行水は欠かさない。
彼がそうして暮らし始めてからも、おゆうは暇さえあれば隙を見て彼に会いに行った。
貪欲に学ぶカイトの影響で、それまで苦手だった手習いにも力が入った。楽しい日々だった。
ある年、おゆうの母が亡くなった。風邪をこじらせたかと思ったら、あっという間に儚くなってしまった。
もともと母は良家の子女だったが、父はおゆうが生まれて間もなく母のもとを去ってしまい、おゆうは父の顔を知らずに育った。
後見がなくなったおゆうから、親戚と名乗るものたちがありとあらゆるものを奪っていった。財産には興味がないし、飢えなければ問題なしと笑っていたおゆうだが、どこからか化け物が町に襲い掛かり、事態は一変した。
「おゆう様、お逃げください」
ある晩、幼友達の庭師の娘あこが真っ青な顔でおゆうを館から逃がした。
化け物退治をするという不審な男に、おゆうが差し出されると知ったからだ。
「あれは退治屋ではございません」
何を見たのか、あこは最低限の荷物をおゆうに持たせると、明かりもない道を足早に進む。十六夜のため夜でも明るく、
遠くから怒号が聞こえる。やがてそれは悲鳴に変わった。
「あこ、あれは何?」
(戻らねば)
あこの手を止めるおゆうを、あこは必死に引く。
「化け物です。やはりそうだった。あれはおゆう様自身と、おゆう様の力を欲しています」
「力を」
カイトに初めて会ってから、おゆうには不思議な力が現れるようになった。雨を呼ぶことができるようになったのだ。ただし、加減はできない。大雨になることもあれば、ほんの少し雨だれ程度のこともある。大雨で川を氾濫させてしまった経験から、おゆうはその力を使うことをやめていた。この力を知っているのはカイトと亡き母とあこ。それから――
「叔父上が……」
年頃であったおゆうに、早々に婿を探さねばなと言っていた。
親戚を止め、館まで取られないようにしてくれていた。優しかった母の弟。
でも母が儚くなった後から笑わなくなった目が、おゆうはとても恐ろしかった。心のどこかで、早く逃げろと声がしていた。その声は正しかったのだ。
「日が昇ったら頃合いを見て迎えに参ります。――あっ!」
おゆうを隠し一旦
(あこ!)
化け物にはコウモリのような大きな羽根があり、ここまで音もなく飛んできたのだ。噂に聞いていた化け物は、大蛇のようだったり鬼のようだったりすると聞いていた。目の前にいるのはカラスのようなくちばしを持った灰色の鬼に見えた。
翼をもつなら、逃げてもすぐ追いつかれる。
それでも自分の足を叱咤し、じりじりと山に向かって後ずさった。ちょうど月が雲に隠れ、木の陰にいるおゆうに化け物は気付いていない。十分離れてから一気に駆けだした。
夜の森は魔物だ。
何度も躓き転び、飛び出した枝で傷を作った。
走って走って。のどが焼け付くほど走って――
「見ぃつけたぁ」
耳まで避けるほど大きな口で、にたりと笑う化け物が目の前に立っていた。
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