第5話 ゆかり・きっかけ②

 気が付いたとき、ぼんやりと白い天井が目に入った。

 ゆかりは自分がどこにいるのかわからず、ぼんやりとあたりを見回して、ようやくそこが自分の部屋だということが分かった。

 当時ゆかりの部屋は一階の和室で、ベッドではなく布団を敷いて寝ていた。庭に面した窓は網戸にしてあり、月明かりが差し込んでいる。


 どうして? と考えて、うっすらと、友達におぶって運んでもらったのを思い出した。

「私より小さいのに……」

 ぐったりしたゆかりを運ぶのは大変だっただろう。

 明日あやまらなきゃ。

 結局チケットももらえなかったし……。りんご飴食べたかったなぁ。


 そんなことを考えていると、突然また胃のあたりが熱くなってきた。

「お、お母さ……」

 体が硬直する。

 指一本動かせない金縛り状態に、呼吸がほとんどできない。

(なにこれ。なんなの、これ)

 冷や汗がダラダラと流れ、どうにか声を出そうと頑張っていると、頬のあたりにポタッと何かが落ちてくる。

(雨漏り?)

 その感触がした方へ目だけを動かすと、灰色と緑が混ざった色の鬼のようなものが、ニタリと笑いながら爪でゆかりの頬を撫でていた。それは赤ん坊のように小さいものの、骨と皮だけのように見える体、髪の生えていない頭には二本の小さな角。そしてその口は耳まで届くほど大きく裂け、たらりたらりとよだれがたれ続けていた。


(食べられる!)

 その醜悪さと本能的な恐怖に、ひっ……! と、声にならない悲鳴がもれた。


(お母さんお母さん、起きて!)

(お父さん、怖いよ)

(やだよ、触らないで。誰か助けて)


 必死に逃げようと体を動かそうと試みながら、まったく音の出ない叫び声をあげ、家族を呼び続けた。

 お父さん、お母さん!


っ!」


 ドスの利いた声と共にふすまが開き強い風が吹く。鬼のようなものは音もなくかき消えきた。

「しいちゃん?」

 見たこともないような形相で入ってきたのは、父方の曾祖母ひいおばあちゃんしずかだった。

 小柄な曾祖母に抱き上げられると金縛りが解ける。

 ようやく声が出せたゆかりは、ぐったりと力を抜いた。いつのまにか汗と涙で顔がぐちゃぐちゃになっていた。

 時間にすれば一分も経っていないかもしれない。それでもゆかりには、永遠のように長く感じた。


「ごめんな、ゆかり。今夜は一人にしちゃいけなかった」


 普段、海沿いの小さな家に住んでいるしずかは、ゆかりが倒れたと聞いてここに泊っていたそうだ。



 翌日からゆかりは熱を出し、夏休みの終わりまで寝込む羽目になる。

 夜になると色々なオバケが現れてはゆかりを食べようとするので、しずかが連日泊まり込んで、一緒に寝るようになった。

 体調が落ち着いている時にぽつぽつと聞いた話によると、水瀬の人間は何代かに一人、ゆかりのような者が現れるらしく、しずかもその一人なのだそうだ。


「私たちはね、竜神さまの子孫なんだよ」

「えっ?」

 てっきりおとぎ話だと思っていたゆかりは、しずかの真面目な顔にぱちくりと瞬きをした。冗談――ではなさそうだ。

「竜神さまが去った後、娘は一人で子を産んだんだ」

 娘とは、竜神を手当てした女性のことだ。二人が結婚していたとは知らなかった。

「でもでも、竜神さまって帰ってこなかったんだよね?」

「ああ。何らかの事情で帰ってこられなかったんだろうね」

 遠い目になった曾祖母は、結婚後すぐに亡くなった自身の夫のことを考えていたのかもしれない。


「竜神さまの子は、女の子だった。もともと娘には不思議な力があってね、その二つの血を引いたことで、女の子は化け物・あやかしの類に狙われるようになった。どうやらあいつらには極上のご馳走に見えるらしいんだよ」

「うそっ!」

(やっぱりあの鬼は、その後にも次々現れるオバケたちは、みんな私を食べようとしてたんだ!)


 あれ以来ゆかりの元にくる化け物たちは、しずかによって撃退されていた。でも四六時中しずかと一緒にいるなんて無理な話だ。

「どうしたらいいの? しいちゃんはどうしてたの? 竜神の娘は?」



 結局、ゆかりは夏休みが終わっても学校に行くことができなかった。オバケのこともあるが、どんどん体が弱っていくのだ。

「ゆかりにも相棒が必要だね」


 ゆかりの力は強すぎて不安定だ。

 少女時代同じようだったしずかには同い年の従姉妹がいて、彼女のおかげで力が安定したという。代々竜神の子には、力の均衡をとる相棒がいるのだそうだ。

 けれどもゆかりの近くには、それらしき女の子は見つからなかった。


 結局しずかを中心に親族で話し合い、ゆかりは父方の祖父母宅に預けられることになった。

 そこはかつて祖母が学生時代を過ごした土地でもあり、当時現役だった祖父が転勤で住んで気に入り、移住を決めたところでもあった。

 土地自体が結界になる特殊な地形のおかげで、ゆかりは己の中に清涼な力を蓄えることができ、相棒がいなくてもある程度のあやかしとは対峙できるようになった。

 そこから白川学園中等部に入学し、力を蓄えたことで、短期間なら実家へも帰省できるようになった。



 そして今、己に何が起こったのかわからず困っている同級生が目の前にいる。

「一人旅の準備をしてたところまでは覚えてるんだよ」

 両親は仕事で海外にいるという海斗は、この夏気の向くままに旅をしようと準備をしていた。

 しかし、このままでは旅どころではないだろう。かと言って、寮に一人残るのも心許ないだろうと思う。

 このままでは帰省しても、ゆかり自身が落ち着かない。かと言って帰らないわけにもいかない。


 (仕方がない)


「巽海斗。私の実家に一緒に行かない?」

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