第9話 む杖のお笑い芸人デビュー

 む杖の苦労話を聞いて、もし私がむ杖の立場だったら、もっと荒れて再起不能になっていたかもしれないと痛感した。

 そこから立ち直ろうとするむ杖は、もしかして私よりも強い人なのかもしれない。

 私も、そして罪を犯したむ杖も、幸せになる権利は誰にでもある。


 笑香は、以前ドキュメンタリー番組で女囚の実態を見た。

 有名女性演歌歌手曰く「もし私も一歩間違えればそうなっていたかもしれない」

 ベテラン男性マジシャン曰く「僕もほんの神一重でそうなっていたかもしれない。だから、街で僕を見かけたら気軽に声をかけてほしい」

 しかし、女の場合はアウトロー関係者、風俗、麻薬というパターンで堕ちていくケースが多い。これらはすべて、一本の線でつながっていて、一歩間違えれば自分もその地獄に堕ちるのだ。

 

 でもいくらむ杖の過去が悲惨だといっても、それが原因で今度は人を傷つけたり、盗みをするということは許されない。

 怪盗ルパンは、一切暴力をふるわず一滴の血を流すこともなく、人から大金を盗み出したが、それは単なる詐欺でしかない。

 オレオレ詐欺は「我々は、棺桶に半分足を突っ込んでいるような使い物にならない老人から、使い道のない大金をちょいと拝借し、それをキャバクラやクラブで大盤振る舞いして、貧しい女性を助け出している、いわば令和のねずみ小僧である」などと豪語しているが、話し相手のあまりいない、いやいたとしてもお互い話がかみ合わない孤独な老人から大金をだまし取る犯罪であることには変わりはない。

 実際、自らの風俗体験を活かして、女性下着メーカーを創立した人もいる。

 結局は、その人次第である。


 そのとき、スマホのベルが鳴った。

「笑香さん、私はウォーターずのマネージャ-だけどね、笑香の知り合いにあんまんヒールなどという風変わりなのがいるんだって、一度、顔見世してよ」

「あの、そのあんまんヒールは今、私の前にいるんですけど、かわりましょうか?」

「只今、ご紹介あずかりました肉まんヒールこと、野宮む杖です。

 初の女性はたかれ役を目指している、巨大メタボ体型のお笑いタレント志望です。何卒、よろしくお見知りおきを」

「こらっ、黒豚なんていっちゃあセクハラだけどさ、お前のそのど面を見てみたい。

あっ今の、怒った?」

「とんでもございません。私は黒豚というよりも白豚でございます。ご主人様、私もぜひ一度お会いしとうございます。

 あっ、その前に私の母親に貸した一万円、利子をつけて返却してもらいますよ」

「なにを言ってるの? それ、ゆすりたかりのつもり? この頃は、メンタルの弱い子が多いからまあ、度胸だけは認めるわ。

 お笑いは消え物として一瞬に消えていくもの。また、添え物であり、主役になるということはそうない。ちょうど、野菜の上にトッピングされたかつお節のようなものであり、しょうゆといっしょに捨てられてしまうこともある。

 お笑いの人は、普段は暗く深刻で不安そうな顔をしている人が多いけど、あなた、なかなか根性はありそうね。あっ、笑香に代わって」

「あっ、あんまんヒール、結構イケるかもよ。今度、三人でプロダクション社長に顔見世しようか。その前に、写メール送って」

 笑香とむ杖は、もちろんOKのサインを出した。

 ひょっとして、光の方向に導く細い道標べが今、つくられたのかもしれない。

 ぶどうジュースは放っておいたら腐ってしまうが、伸縮性のある新しい皮袋に入れて発酵させることでワインとなる。

 その新しい皮袋というのは、本人の生活態度と他人の協力である。

 人間、生きていればきっといいことがある。神様は、見捨てはしない。

 む杖の口癖である

「私は黒いあんこのような過去を、お笑いタレントという白い皮で包んでみせる。それによって、人の心にある黒い憎しみのような感情を、白い笑いで包むことができたら、私の過去もまんざら捨てたものではなさそうね」

 笑香は、ハレルヤ 神様 感謝しますと言いながら、希望のともしびが見えたような気がした。


 END(完結)



 

 







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☆過去に負けてたまるかーぶどうジュースは発酵してワインとなる  すどう零 @kisamatuma

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