幻想法廷 ~転生裁判官の事件簿~

虫野律(むしのりつ)

序章

口述試験

「ほぇー」


 ハイヴィース王国のクライトン伯爵領にあるデカい城、要するに伯爵様の自宅兼職場を見上げながら、田舎者のお手本のような感嘆を洩らす。実際、田舎の粉ひき屋(農民等から麦の粉ひきを請負う者)の息子(20)だから何ら間違いはない。

 門の前で見張りをしている衛兵の男が、生あたたかい目をしている気がするが、事実の錯誤(刑法)勘違いだ。多分きっと。


 試験日だというのに持ってきた、いつもの勉強道具が入った重たい革袋が、早く行けと背中を押すので素直に従う。

 

 門まで行き、「おはようございます」と、とりあえず挨拶から入る。


 欠伸まじりに衛兵の男が応じる。「おはよーさん」テキトーなノリだ。「で、どこの誰よ? 見たところ田舎の平民くせぇが……」極めて簡素な服装の俺をまじまじと見て言った。

 

 羊毛ウールのチュニックにズボン。あとは申し訳程度のマント。ザ・庶民って感じだ。軽い対応も納得である。


「私は、フォルカース村の粉ひき屋、エルフィの息子のノアと申します。本日、行われる裁判官採用試験のために参りました」


「あー、そういやウチのボスがそんなこと言ってたかも」

 

 1次試験である筆記試験の合格通知を取り出して渡す。これには伯爵の署名サインと俺の名前が記載されているからある程度の証明になる。


 衛兵の男が合格通知にサッと目を通して「本物っぽいな」と小さく言った。合格通知を返される。「大丈夫だとは思うが、一応、持ってるもんの確認だけはさせてもらうぜ」


「分かりました」今度は革袋を差し出す。


 衛兵の男が「結構、重いな……」と呟いてから中をあらためる。するとすぐに「うへぇ」と心底嫌そうな顔。


 苦笑してしまう。きっと勉強が嫌いなんだろう。日本にもこういう人は一定数いたし、異世界も日本も大して変わらないんだなって。


「……やっぱり法律っていっぱい勉強しないといけないのか?」革袋を受け取る。重い。


「そうですね。時間がいくらあっても足りないですよ」加えて家業の手伝いと他のバイトと魔法の訓練をこなしてきた。マジで慢性的に寝不足である。


「はぁー、大変だな」中身がなさすぎる相槌の後に「武器とか隠してねぇか調べるからちょっと触るぜ」と、今度は服の上からペタペタと持ち物チェックだ。少しくすぐったい。が、すぐに終わったからセーフ(?)である。「よーし。オッケーだな。通っていいぞ」


「はい。それではありがとうございました」


「はいよー」







 今日の試験は2次試験、所謂口述試験と呼ばれるものだ。すでに筆記試験──警備上の理由から城ではない場所で実施──は突破しているわけだが、あれも難しかった。確実に前世の大学入試よりきつかった。タイプが違うから正確には比較しづらいけど、こっちは過去問なんてないから自分で予想して対策しなきゃいけなくて問題文を見るまでハラハラだったよ。


 そして今もハラハラである。それはもうドッキドキだ。

 口述試験は城の一室で行われる。今はそこのドアの前まで来たのだけど、この向こうにいるのは先輩(になる予定)の裁判官ではなく、ダーシー・クライトンという22歳の女性だ。つまり元伯爵夫人──現伯爵の母親が試験官。緊張もするわ。

 

 ダーシーの旦那さんは7年前に亡くなっている。それで、当時まだ0歳だった1人息子のジョシュア・クライトンが伯爵位を継いだのだけれど、当然、政務などできるわけがないから実権は母親のダーシーが握ることになった。

 そこまではいい。これだけならばここまでプレッシャーは感じなかっただろう。

 何が問題かというとダーシーの人となり──噂だ。

 曰く、自分に反発する家臣を悉く粛清した。曰く、疫病の感染者が確認された村を、魔法を用いて住民ごと焼き払った。曰く、自信家で意見が対立した場合でも納得しなければ決して折れない。曰く、意外と料理上手だ。

 自信家で目的のためなら非道な手段もいとわないのがダーシーという女性だ。そんな人間が権力を持っていると思うとやはり恐い。

 ただ、ダーシーの評判は悪くない。むしろかなりいいとさえ言える。とにかく優秀なのだ。彼女が政務を担うようになってから領内の経済は大いに成長した。厳罰主義のおかげか懐事情の改善が影響したのか、治安も良くなっている。

 一方、一部の王侯貴族からは批判もされている。ダーシーは実力主義なところがあり、つまりは俺のような平民でも結果を出すに足る能力があると認められれば重要な役職にも就かせてもらえるのだ。

 実際、受験の条件は「引き続き5年以上クライトン伯爵領内に住所を有する満12歳以上の者(奴隷を除く)」だけである。少なくともこの国の常識では、裁判官なんて超重要な役職は貴族の出じゃなければ無理だ。しかしダーシーはそんな前例よりも実力を重視しているらしい。俺からすれば非常にありがたいが、高貴な方々の中には反感を抱く者もいる。

 こういった背景がある以上、採用されたら俺にもヘイトが向けられるかもしれないが、裁判官になることは日本人だったころからの夢なんだ──叶えるために頑張ってきた。

 というわけで臆してばかりもいられない。


「ふー」


 呼吸を整える。そして意を決してノック。


 ──コンコンコンコン。


 するとすぐに「入れ」と入室許可。ノイズがなく、それでいて芯のある平均的な高さの声だ。かなり聞き取りやすいから演説映えしそうで為政者いせいしゃ向きだと思う。


「失礼します」ドアを開け、戦場に踏み入る。


 広めの部屋の奥にはテーブルと椅子があり、そこに髪の長い女が座っている。

 この人がダーシーかな。こんなに近くで見るのは初めてだ。気が強そうではあるが、かなりの美人。やはり政治家向きだな。

 彼女の後ろには騎士らしき女が控えている。護衛は1人だ。

 そして、部屋の中心には椅子がポツンと1つだけ置かれている。ここに座れってことだろう。


 その前にまずは名乗らないと。「フォルカース村の粉ひき屋、エル──」


「そういうのはいい。早く合格通知を寄こせ」ダーシーに遮られてしまった。マナーや形式は時間の無駄ということだろうか。……ホントに貴族かこの人?


「失礼しました」気持ち早口で謝罪。素早く合格通知を取り出して渡す。「こちらです」


 無言で通知を一瞥いちべつ。「座れ」


「失礼します」


 中心にある椅子に腰を下ろす。少なくとも俺の家にあるボロイ木の椅子よりはいい座り心地だ。


「これより口述試験を始める」凛とした声でダーシーが静かに宣言した。


 前置きとかそういうのは一切なくいきなり始まってしまった。まぁいいけど。


「今から私が架空の事例について話す。それに関して質問をするから簡潔に答えろ」


 あー、それ系の試験か。「承知いたしました」


 頷いたダーシーが問題を提示する。「陸から離れた洋上のある地点で船が難破し、沈んでしまった。40代の侯爵と召使の10代の少女が海に投げ出されたが、運良く1人だけは浮かすことができる板が近くを漂っていた。さて、この時、板を使い助かるべきは当然に侯爵であるが、その根拠をアーシャ教及び我が国の慣習法の2つの観点から述べろ。加えて、侯爵を押しのけて少女だけが助かった場合に、死罪を回避するために取り得る主張は何か答えろ」


 カルネアデスの板じゃん。しかし、そのままではなく少し面倒な条件を設定してきたね。けど、だからといって長々と黙っているわけにはいかない。

 唇を湿らせ、口を開く。


「アーシャ教においては『神の下では、人は等しく価値がある』と原則的には神の下の平等を謳っていますが、王侯貴族による支配体制はそれに矛盾するものではなく、無法な自然状態に陥らないための手段として容認され得るとしています。その際に政治的理由から身分による待遇の差を設けることも健全な社会の維持発展のための合理的な範囲を逸脱しないとするところ、本件の場合ですと侯爵という社会運営において極めて重要な役割を担う存在の突然の喪失による損害は、平民の少女が死亡した場合の比ではなく、慣習上認められている緊急避難の要件を法益権衡ほうえきけんこうの原則含め全て満たしております。一方、少女から見ると自身の命という法益を守るために侯爵の命を害した場合は、法益権衡ほうえきけんこうの原則に反し過剰避難に当たるためそもそも違法性が阻却されません。これが侯爵が助かるべきとする根拠です」


 この世界の法は前世とは違った発展の仕方をしている。

 現代日本との具体的な違いとしては、例えばアーシャ教の教義と国家の根幹に関する慣習法及び種々しゅじゅの成文法が、この国の実質的かつ固有の意味の憲法を形成している点が挙げれる。憲法という名の成文法がなかったり、がっつり宗教が法に食い込んでいたりと元日本人としては未だに少し抵抗がある。

 ちなみに〈神の下の平等〉の、教典に明記されている例外は、多胎児やオッドアイ、エルフなどの他種族とのハーフだ。これらは社会から排斥すべきとされている。


 ダーシーが、怒っているような無関心のような表情はそのままに、無言で長い脚を組み直す。早く次を言えってことだろうか。

 分からないが続ける。


「少女が減刑を得るための主張ですが……」


 はっきり言って、この情況で平民の少女が酌量を得る真っ当な・・・・手段はない。この世界は身分による扱いの差が激しい。平民が貴族を殺しておいて、身体刑しんたいけい(身体的苦痛や身体への損傷を与える刑罰)からの死刑を逃れるケースは、逃亡や戦争を除けばほとんどないのだ。

 じゃあ、ダーシーの質問の意図は何なのか、という話になる。

 

 これに関し俺は1つの推理を持っている。というか、まぁ、推理というほど大それたものではないのだけれど、その推理擬きというのは、この試験でダーシーは自身の思想や政治手法に合う人材又はそのような答えを用意する能力のある人間を探しているのでは、ということだ。要するに、ここで見たいのは法律知識ではないのだと思う。知識は筆記試験で見てるしね。


 で、どうやってその望む答えを用意するか、だけど、俺は噂からダーシーの人間性をプロファイリングする方法を取った。いや、〈取った〉ではなく〈取らざるを得なかった〉か。情報が限られている以上、選択肢はそれほどない。

 

 結論から言うと、ダーシーは典型的合理主義者だ。

 

 疫病が発生した村を焼き討ちにして皆殺しにしたのは効率を重視した結果だろうし、領内の経済を活性化させられたのは金銭感覚に優れるから。自信家なのは合理性に頼り生きてきたことで、周囲よりも効率的に成果を上げて相応の称賛を受けてきたからだろう。意見が対立した場合でも納得しなければ決して折れないというのも、感情よりも論理に寄った思考をしている場合にしばしば起こり得る現象だ。料理上手というのも計画性があり効率的な作業ができるから、とも解釈できる。

 

 これらは全て合理主義者の特徴に当てはまる。だから合理主義者というのは間違いないんだ。

 で、肝心の今言うべきことだけど……。

 

 ダーシーの碧眼へきがんを真っすぐに見つめ、言葉にする。


「少女はこのように主張すべきです。『侯爵は船と共に海に消えて、それ以降見ていない』」


 つまり、陸から遠い洋上での船の難破などという緊急事態でしっかりと少女を見た人間がいなかったことに賭けて、誰も殺していないと白を切るのが、少女の戦略として最も効果的ということだ。

 推測するに、〈裁判官採用試験なんだから法律的な解答でなければならない〉という思い込みに囚われずに質問の意図を正しく理解して、理に敵った解答ができるか否かを見たかったのだろう。

 ダーシーの言い方も嫌らしい。1つ目の質問で〈法的な観点から〉と条件を付けておき、2つ目でもそうであると思わせようとしている。でもよくよく聞くと彼女は〈侯爵を押しのけて少女だけが助かった場合に、死罪を回避するために取り得る主張は何か答えろ〉としか言っていない。素直に読み取れば法学的な解答に限定してはいないんだ。


 だからこれで合っているはず……。


 ダーシーを観察しているのを悟られぬように上辺うわべを取り繕う。俺の下手な演技が通用するかは分からない。


「次の質問に移る」ダーシーが無表情のまま言った。


 え、あ、そういうノリ? 答えるだけ答えて合否は後でまとめて、みたいな? ……そういうとこは常識的なんだな。


 俺の返答など待たずにダーシーが続ける。「あるところに父親と娘だけであるが裕福な家庭があった。父親は娘が12歳のころから強姦を日常的に行っており、娘は父親の子を5人生んでいる。ただし5人の子はいずれも1歳になる前に死亡している」


 ん。なるほど。なんとなく読めてきた。


「娘が21歳の時、『強姦に抵抗した際、転倒した父親が頭を打って死亡した』と自首をしてきた。貴様がこの事件の裁判を担当すると仮定したらどのように動くか答えろ」


 この国の裁判官は、職権調査、職権探知及び職権証拠調べがかなり広く認められている。しかもここで言う職権調査は、裁判所の義務ではなく純粋な権利とかいされている。

 この国の裁判官の権限を日本的に表現するならば〈裁判官〉+〈警察官〉+〈起訴権限のない検察官〉といった感じだ。ちなみに起訴は、刑事事件なら騎士や兵士などの被疑者を逮捕した者が行い、民事事件なら当事者が行う。つまり、訴訟の開始は裁判官の判断ではできないが、一度始まってしまえば捜査もできれば判決も下せるということだ。

 だからダーシーの質問は捜査に関する意見も求めているということになる。


「まずは娘が嘘をついている可能性、則ちこの事件が娘による計画的な殺人である可能性を検討します」現場は自宅だろうし事件の目撃者もいないはず。それならなんとでも言える。「具体的には、娘が法律を調べていたか否か、恋人の有無、友人等への聞き込み、借金の有無などを中心に調査します」


 ダーシーがまた脚を組み直す。なんかの癖なのかな。

 癖は知らんけど、とりあえず続ける。


「また、5人の子どもの死亡に関しても捜査します」こういった元々の訴因とは直接的な関係のない事柄についても広範こうはんな捜査権があるのだ。「裕福な家庭ということですので、5人とも死亡していることにやや違和感があります」


 貧乏な家庭なら子どもの生存率は低くて当然だが、この事例だと裕福という設定だ。それならば魔法によるケアが受けられるので生存率は飛躍的に上昇する。なのに全員死亡しているのは、不作為による殺人罪の構成要件に該当する事実があるのかもしれない。そしてそれが立証されれば、娘が殺人を実行し得る人格を有しているという判断に一定の信頼を置ける。

 

 まぁそうは言っても。


 ダーシーが僅かに口角を上げる。「つまり貴様は娘が常習的な殺人者であると見ている、と?」


「いいえ」そういうわけではない。この感覚を伝えるのは中々に難しいが、なんとか努力してみる。「あくまでそういった可能性もあると考えているだけです。可能性がある以上、検証しないわけにはいかないと思っているのです。当然、表裏一体的に娘が真実を述べている可能性もしっかりと検証します」


 おそらくこの質問は被害者への同情に左右されないかを確認したいのだろう。あとは子どもの死の不自然さにちゃんと突っ込むか、とか。


「それでは次で最後だ」やはりこの場では解答を教えてもらえないようだ。ダーシーが試験を進める。


 ここで不意にダーシーが艶っぽく微笑む。


「……」


 ダーシーが立ち上がり、ゆっくりと俺に近づく。女性にしては少し背が高い。

 

 パーソナルスペースが重なり、おもむろにダーシーが言う。「悪くない。悪くないな、貴様は」


「……ありがとうございます」


「採用してやってもいい。平民のようだが、よく勉強している」ダーシーの手が俺の頬に触れる。「それによく分析できている。すっかり私の良き理解者じゃないか」嗜虐的に綻ぶ。


「いえ、私自身の本心を言葉にしただけでそのようなことは──」


「ふん、さかしいな」やんわりと頬をつねられた。痛い。顎を掴まれ、強制的にダーシーと見つめ合う形にされる。「採用に当たり、条件がある」


「……」


「私の情夫いろになれ。そうすれば裁判官にしてやる」


 なるほど。そう来るか。でもこれはそんなに難しくないね。


 正解を口にしようと──あえて笑ってやる。「それは承諾いたしかねます」


 情や色と職務を厳格に切り離せる人間か否かを確かめたいのだろう。人間、そういったものが仕事に入り込むと合理的とは言えない言動をすることがあるし、この人はそれを嫌っていると考えるのが妥当。

 本当に徹底しているね。あるいは自分の立場をよく理解しているとも言える。

 この人は爵位を持っているわけではない──法的には幼い息子が伯爵だ。その状態で権力を維持するには結果を出し続けるしかないのだ。だから人選には細心の注意を払う必要がある。

 ……ここまでして確認しないと不安なのかもしれない。


 ダーシーが笑う。今度は自然な笑みだ。


「何が不満だ。貴様にデメリットはないだろう」


 えー、凄い自信。好みじゃないから、なんて言ったらアウトだよな。んー。


「……仕事が手につかなくなってしまいます」


「ふ」品のある、けれど獰猛さを感じさせる笑い。「口が達者なことだ」クルリ、と背を向けて椅子に戻る。


 ダーシーが言う。「よろしい。貴様を採用する。詳細は──」


 なんとかなったみたいだ。よかったよかった。

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