背伸びして幼馴染の顔にそっと近づいたら

「別れよう……って言われても、そもそも僕ら、付き合い始めてもいなかったじゃんか」

「いやまぁそうなんだけど、それ言われると返す言葉は何もないんだけどさ!!」


 若干呆れ気味の透の顔に、あたしの慌てた顔が重なる。

 秋の夕焼けの光のせいで、透の笑った顔が少しばかり輝いて見えた。


「だけどそれでも僕ら、そろそろ別れよう」

「……うん」


 あたしの方は零れ落ちそうになる涙を隠すのに、本当に必死だったけど。


「なぁ茜?」

「なに?」


 透のその優しい声に触れて、ますますあたしの身体は小さく震えていく。


「芸能活動、絶対に辞めないよな?」

「え……」


 だけどその質問にはすぐには即答できなくて、あたしはまた小さな子供のように立ち竦んでしまった。こんなことでは透と別れられない。透をちゃんと見送ることなんてできないって、頭の中ではちゃんとわかっているはずなのに。


「僕がいなくても、あの春日瑠海をいつかは超えてみせるんだよな?」

「そんなの……わからないよ」

「なんだよそれ。自信ないのかよ?」

「だって、あの春日瑠海だよ? 今日だって……あんなのずるい」


 あたしはふと透から自分の顔を背けてしまう。こんな時に逃げるなんて、そんなの卑怯者のすること。それくらいのことはわかってるつもりだった。だけど今日も春日瑠海に勝負を挑まれ、こてんぱんに負けてしまったんだ。それが春日瑠海の頭の中に最初から描かれていた筋書き通りだったとしても、あんなに勢いのあるパフォーマンスを間近に見せつけられてしまったら、思わず立ち尽くしてしまう。今日こそあたしの空元気で春日瑠海に辛うじて挑むことができただけのこと。普段のあたしだったら敵前逃亡していたかもしれない。

 ううん、違う。あたしが最初の回答に躊躇したのは、春日瑠海のことが原因じゃない。


「……そうじゃなくてさ。春日瑠海とか関係なくて、あたしは芸能活動を続けてもいいのかな?」

「どうして……?」

「そもそもあたしみたいな根暗な人間が芸能活動なんて……」

「なんで茜はそんなことを考えるんだ?」


 すると透は、あたしの両頬をその両手で掴み、えいって横に引っ張った……そう気がした。


「ふにゃ!?」


 もちろん透は幽霊だからあたしの頬なんて掴めるはずもないし、引っ張ることなんて尚更できない。だけど目の前でその仕草をやられると、あたかも本当にあたしの両頬が引っ張られているような感覚を覚えてしまう。バーチャルリアリティーとかそういう話ではないと思うけど、摩訶不思議な錯覚が、あたしの顔を襲ってきたんだ。


「痛いって、透!!」

「痛いってことはないだろ? 本当は引っ張れてなんていないんだから」

「だけどそれ、気持ち的にどこかこそばゆいというか……」

「こそばゆいと痛いじゃ全然意味が違くないか?」

「そうなんだけどさぁ〜!!」


 本当は痛くも痒くもない。だけど透の気持ちが感覚となって、あたしの胸を強く叩いてくる。理由は恐らく、透の微笑みにあった。あたしを強く笑い飛ばすその顔が、弱気になっているあたしに喝を入れてきていた。


「茜が根暗だなんて、そんなことあるわけないだろ!! 今だって僕の前ではこんな綺麗な顔で笑えてるじゃないか!」

「それは透に対してだから……」

「だったらこれからはその笑顔を世界中の人に見せてやれよ! お前は国民的女優の蓼科茜だろ? これまでだってそうやって多くの人を感動させてたじゃないか」

「あんなのはただの……」


 あたしが女優やアイドルをこれまで続けられたのは、ただの計算のおかげだ。嘘の芝居で観ている人の心を動かし、嘘の笑顔で観客を魅了する。それだけのこと。どうせそんなのいつかは飽きられるし、嘘がばれたらあたしだって動けなくなる。だからあたしは透が死んでから、芸能活動を休まざるを得なくなった。だからもう続けられる保証は何一つない。恐らく透が消えてしまったら、あたしは一切の芸能活動を辞めざるを得ない気がする。


「なぁ、茜……?」

「…………」


 もう一度だけ、その優しい声に釣られて、あたしは顔だけを透の方へ向けた。少しだけ伸び上がってみる。小学生の頃はあたしの方がほんの僅かに背も高かったはずなのに、今はあたしより高い場所にその顔がある。


「茜はあの演技や笑顔が全部嘘だと思ってるみたいだけど、本当にそうだと誓えるか?」


 そしてもう二度と、あたしがどんなに背伸びをしようとも、その顔に届くことはできないんだ。

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