水飴とともに冴えない先輩と歩いていたら
学園祭二日目。普段はほとんど誰もいない学校の裏庭にも、今日は模擬店とそこへ群がる人の数で、圧倒される光景が続いている。どこもかしこも人がいるという状況で、あたしが落ち着ける静かな居場所がなくなってしまったことは、心なし寂しい。
あたしはというと、白猫の着ぐるみを着ていた。当然ではあるけど、あたしの趣味というわけではない。今年の学園祭でクラスの出し物をどうするか? そんな学級会の議題の中で突如ふと湧いて出てきた話題というのが、去年の真奈海先輩の格好についてだった。『去年の瑠海先輩って、確か黒豹の格好してなかった?』という誰かの前振りから始まり、『あれって黒猫じゃなかったっけ? めっちゃ可愛かったよね』と妙に引っかかる方向へ話が発展し、『着ぐるみ喫茶かぁ〜、いいねぇ〜』とその違和感はついに現実なものへと帰着して、最終的に世間一般では春日瑠海最大のライバルと目される蓼科茜、つまりあたしの方へとクラス中の視線が集中していたんだ。
まだ雨の日が続く、六月の初め頃だったと思う。透が交通事故で亡くなる前の話だったから、あたしが芸能界で休業騒動を起こす前の話だ。だから仕方ないといえばそれまでだけど。
「どうしたんだよ茜。なんかむすっとして機嫌が悪そうだけど……」
「それは先輩があたしの格好に何の興味を示さないからですよ」
ところがどうしたことだろう。今あたしのすぐ隣を歩いているこの男子高校生は、こんなあたしの攻めた格好(?)に対しても、何一つ反応を示してくれないのだ。九月の残暑にも十分に対応した薄めの着ぐるみで、あたしのボディラインも色濃く映ってしまう。そのせいだろうか、透はさっきからどこか恥ずかしそうな顔を浮かべながら、あたしから少し距離を取って相変わらずストーカーぶりを繰り返している。今のあたしって、そんなに恥ずかしい格好をしているのだろうか。それはそれで酷い扱いな気もするけど。
「いやまぁ、いつもどおりの茜だなって」
「その反応、なんだかあたしのことを完全に子供扱いしてません?」
が、そんな透とは真逆で、こんなあたしの格好に全く眼中にないというのもどうかと思うんだ。それはもう現役アイドルとして自信喪失する程度には。
「そんなことないさ。白猫ってのが茜らしくていいんじゃないか?」
「どうせあたしは真奈海先輩みたいに黒くはなれませんので」
「でもそれってなんか、真奈海の性格そのものが真っ黒ってことになるのか?」
「あんなに意地悪な真奈海先輩が真っ黒以外の何色で表せると思ってるんですか!」
「青色? でも茜にとっては確かに真っ黒なのかもしれないよな」
「そこは否定しなくていいんですか!? 真奈海先輩の彼氏のくせに!??」
「別に、僕と真奈海はまだそういう関係じゃないよ」
「まだ……ですか? そういうこと言ってると本気で真奈海先輩に振られますよ?」
今あたしの隣を歩いているのは、あろうことかその真奈海先輩の彼氏こと、ユーイチ先輩だ。休み時間中、水飴を買おうと模擬店の列に並んでいると、あたしの前に並んでいたのがユーイチ先輩だったんだ。あたしは白猫の着ぐるみを着ていても、顔自体は完全に露出しているため、人とすれ違う際に『あ、蓼科茜だ』とバレてしまうことがあった。その度に写真やサインをねだられるのもやや面倒だったので、それならばとユーイチ先輩を隠れ蓑に使わせてもらうことにしたんだ。真奈海先輩だったら得意の逃げ足の速さを活かして忽然と姿を消すことができるのだけど、あたしはその点においてまだ真奈海先輩の物真似ができていない。
「真奈海は、本当に僕のことが好きなんだろうか?」
水飴を持ったまま、ぼそっと溢すユーイチ先輩の顔は、心なしかやや元気がないように映っている。
「ユーイチ先輩…………ひょっとして、熱でもあります?」
「いや別にないけどな。ただ……」
真奈海先輩がユーイチ先輩を嫌いになるなんて、何を寝言言ってるのだろうってのが正直な感想だった。それこそ糸佳先輩や美歌先輩が今の発言を聞いたらどうなるか、ユーイチ先輩はちゃんと自覚してるのだろうか。
「真奈海のやつ、今でもまだ女優に戻る気はないみたいだし」
ただユーイチ先輩の悩みというのは、やはり真奈海先輩のことに集中していた。
国民的女優、春日瑠海。そう呼ばれていたのは完全に過去のこと。現在真奈海先輩は女優を休業中で、確かそのきっかけを作ってしまったのはユーイチ先輩だったと聞いている。そう考えるとユーイチ先輩の言うとおりで、やや違和感が残ったのも事実だった。本当にユーイチ先輩と真奈海先輩の関係がうまくいっているのだとしたら、どうして真奈海先輩は、まだ三下アイドルのままなのだろうか。
あたしの大好きな女優、春日瑠海は、どうしたら戻ってくるのだろうって。
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