地下スタジオで妹系アイドルが朝から息巻いていたら

「糸佳先輩って、どうしていつもそんなにやる気満々なんですか?」


 あたしは別に、おかしなことを聞いてるつもりはない。去年だって糸佳先輩は学園祭でチロルバンドを披露しようと、学校中を駆けずり回っていた気がする。生徒会室や職員室、芸能事務所の会議室にさえ顔を出していた。いくら芸能事務所社長の一人娘とはいえ、学生バンドを行うためだけにどうしてそこまで動けるのか、あたしにはやはり真似できそうにないんだ。


「そんなの真奈海ちゃんをぎゃふんに言わせたいからに決まってるじゃないですか!」

「…………はい????」


 だけど返ってきた答えはこんな具合で、正直、拍子抜けでもある。


「イトカのいない間に勝手に一〇一号室を占拠してるし、とんでもない女狐です!」

「でも、誰かが引っ越さないと奏ちゃんがチロルハイムに住めないし……いやそうじゃなくて、それと今回のチロルバンドとは全く関係ないと思うんですけど」

「関係ありますもちろん大アリです!!」


 ……わからない。あたしだって真奈海先輩を常日頃から誰よりもぎゃふんと言わせたいと思ってるうちの一人だ。『ポスト春日瑠海』なんていうつまらない代名詞までつけられて、あたしの名前が真奈海先輩に占領されるのは正直面白くない。真奈海先輩を潰すという方向で合致できるなら、糸佳先輩の助け舟だって出したいくらいだ。

 が、どうにもあたしと糸佳先輩とでは若干方向性が異なっているようにも感じられた。そもそもチロルバンドをやることで、どうして真奈海先輩をぎゃふんと言わすことになるのか。これってどうにも納得がいかないものがある。


「そもそもこれも美歌ちゃんが真奈海ちゃんを好き放題のさばらせてるのが原因なんです」

「今度は美歌先輩が非難対象……!?」

「せっかくイトカがお兄ちゃんを譲ったんですから、美歌ちゃんにはお兄ちゃんの手をしっかり握っててもらって、あの女狐にだけは獲られないよう注意してほしかったのですけど!」

「てかそもそもの話、なんで美歌先輩はオーケーで、あの女狐……じゃなかった、真奈海先輩はダメなの!?」

「こんな具合に、昨晩も美歌ちゃんの部屋で一時間くらい説教してましたです。美歌ちゃんがチロルハイムにいる間はもっと堂々としてもらわないとイトカが困るんですよ!」

「うわ〜……」


 それはそれで美歌先輩もさぞかし災難だっただろう。糸佳先輩が美歌先輩の部屋から追い出されなければいいが。もし仮に美歌先輩の部屋を追い出されたら、次に糸佳先輩はあたしの部屋で寝泊まりし始めるんじゃないだろうか。透ですらあたしの部屋から追い出してるというのに、さすがに糸佳先輩とあの決して広くない部屋で寝泊まりするのは正直辛い。ましてやさっきのこの話を聞かされた後だと尚更だ。

 糸佳先輩が『お兄ちゃん』と呼ぶ人物は、ずばりユーイチ先輩のこと。もともと二人は幼馴染だったが、互いに片親を病気で亡くし、残された方の片親同士が再婚したため、幼馴染がお兄ちゃんになってしまったというそれはそれで大変そうな誤家庭、じゃなかったご家庭だ。ひょっとするとそれはあたしが透のこと『お兄ちゃん』などと呼ばなきゃいけなくなるような関係で……うん、少し考えただけでもかなりゾッとするね。


 真奈海先輩がチロルハイムにやってきたのは小学六年の頃らしい。ちょうど伝説の主演子役として国民的女優への階段をまっしぐらに進もうとしていた頃と重なる。そんな時に真奈海先輩と糸佳先輩は出会い、あろうことかユーイチ先輩を取り合った? そんなことになれば、確かに真奈海先輩一人に固執する理由もどこか理解できそうな気がする。もちろんただのとばっちりのように聞こえなくもないけど、相手があの真奈海先輩ならまぁ仕方ないだろうと。


「それにしても糸佳先輩、結局今でもユーイチ先輩のことが好きってことですね?」

「いいえ。それは違いますですよ」

「えっ?」


 糸佳先輩の返事は拍子抜けするほど明るくて、妙に笑顔もさっぱりしていた。


「イトカにとってお兄ちゃんは、世界でたった一人しかいない、誰よりも大切なお兄ちゃんなんです。お兄ちゃんがいなかったら、今芸能活動さえしているイトカなんてあり得なかったと思うし、もはや好きとか嫌いとか、そういう次元を全部飛び越えた存在なんですよ!」


 今、糸佳先輩はITOいとという名前で、その界隈でも有名な作曲家になりつつある。なるほど。そのきっかけを与えてくれたのが真奈海先輩と、ユーイチ先輩ということなのかもしれない。


「……いいえ。イトカはほんの少しだけ、嘘を言いました」


 だけどその言い直しの顔も、やはり輝いている。


「だからイトカは、世界中で誰よりもお兄ちゃんのことが大好きなんです!」


 胸に突き刺さるような言葉だった。真っ黒に汚れきったあたしの心臓が、水と特殊な洗浄液で全て洗い流されるかのよう。鋭いナイフが突き刺さった傷口から、黒い血液が滴れ落ちるようなそんな心地さえしていた。

 これほどまでに惨めなあたしの顔は、いつまでこうしているのだろうって。あたしだって本当は前を向かなきゃいけないはずなのに、それを思い起こされるには十分なほどで。


 大切と大好き。その二つが両立した関係。

 あたしはその二つを一度に失ってしまったわけだけど、それ以前にその両方をまず向き合うところから始めないと、それらを手放すことさえできないんだ。

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