白い彼岸花に願いを込めて

Lesson8: 学園祭

朝起きると涙の乾いた後があったなら

 あれから何度寝て、何度目が覚めただろう。


 朝、目を覚ます度に、あたしはまだ生きているのだと考えてしまう。

 そんなこと、当然なのに。誰かがあたしを殺さない以上、自分自身が自ら息を止めない以上、あたしは生きている。そんな当然なこと、今更考える必要などない。ないはずなのに、どうしたことか、あたしはそれを実感する。

 ただ彷徨い続けてるだけかもしれない。ただおまけの人生を楽しんでるだけかもしれない。

 それでも今この時間、この場所にいることを、朝の陽の光を浴びながら、感じている。ぼんやりと一日の始まりを想像する。創造してみる。今日あたしが何をして、何を残さなければいけないのか。そんなことを。


 ……ねぇ、透。君にもらった命だもんね。きっとそれでいいんだよね?


 あたしは八月末のライブ会場で救急車に運ばれてから、一度は笑顔を失い、少しずつそれを取り戻していた。一週間後までにはようやく少しずつ笑えるようになり、二週間後までには連続ドラマの撮影現場にも復帰した。女優として一週間以上休んでしまったわけで、共演者や撮影スタッフには多大な迷惑をかけてしまった。恐らくもうあたしとは二度と仕事したくないとか、そう考えてる人がいてもおかしくないだろう。だけど皆、あたしの現場復帰を笑いながら迎えてくれた。もちろん冷淡なそれだった人もいたはずだ。それも仕方がないこと。あたしは必死に精一杯の笑顔を作りながら、共演者や撮影スタッフ一人ひとりに対して、挨拶に回った。

 今撮影している連続ドラマは、あたしが主役ではなかったことが唯一の救いだった。あたしが出演するはずだったシーンをあたしの不要なシーンに差し替えてくれたり、あたしがどうしても必要だったはずのシーンはそもそも物語上から削除され、強引にでもそんなお話などなかったことにされてみたり。


 だいたいそんなもんだ。あたしなんていなくても、この世の中はいい感じに回ってる。

 あたしだってそれでいいと思ってる。そもそもあたしが絶対必要なんて世界はありえない。あたしがいなければあたしの代わりがいる世界、もしくはあたしなんて最初から存在しない世界になればいいだけの話。世界中に人間なんて八十億人くらいいるはずなんだ。そのうち、たった一人が欠けたところで、何になるというのだろう。


 本当にそうなんだ。ひとりだけがいなくなることが、本当にこんなにも辛いことなのか。

 他に大勢の人があたしの周りにもいるはずなのに、どうしてたった一人にこだわるのか。

 あたしにとって透は、ただの幼馴染で、だけどもうこの世にはいないはずのただの幽霊で。


「あれあれ? 茜ちゃん、朝から目が真っ赤ですけど、大丈夫でですか?」

「え……あ、糸佳先輩。おはようございます」


 チロルバンドの朝練をしようとチロルハイムの地下スタジオへ向かうと、そこには糸佳先輩が先にいて、何やら楽器機材等の準備をしているようだった。今日から三日間の学園祭があるせいか、糸佳先輩は都内の自宅マンションには戻らず、学校から徒歩十五分ほどのここチロルハイムに滞在している。確かあたしの隣の部屋の、美歌先輩の部屋で寝泊まりしていたはずだ。

 目が真っ赤だったということは、あたしはまた泣いていたのかもしれない。最近いつもそうだ。朝に目が覚めると、目の周りにどこか乾いた感じがあった。


「ひょっとして、怖い夢でも見たんですか?」

「いえ。別にそんなことは……」

「でも今日から学園祭ですし、みんなではりきっていきますからね〜!」

「は、はぁ……」


 糸佳先輩は学園祭の実行委員もこなしていたと思う。さすがは芸能事務所社長の一人娘だけあって、とてつもない行動力だ。自分の芸能活動だってあるはずなのに、どうやってそんな時間や労力を工面できるのだろう。


 本当に、あたしももっと糸佳先輩を見習わなきゃいけないはずだよね。

 そう思うと自ずとまた少しだけ、くすっと笑うことができた気がしたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る