意味もなく幼馴染が女子風呂を覗きに来たら

「…………何よ?」

「べ、別に」


 透は今日もあたしのお風呂を覗いておきながら、風呂場のドアの前でちょこんと座り込んでしまった。無言。その重苦しい空気が湯船から放たれる熱と融合し、あたしの身体をすっぽり包み込んでくる。


「てか、久しぶりに話しかけてきたと思ったら、またしてもあたしの風呂場だったりしてさ。あんた、そんなにあたしの裸が見たいわけ?」

「そんなんじゃねーって。お前の裸なんて、ある意味もう見飽きたし」

「ちょっ。それはそれで失礼だし、もはやなんのフォローもできない言い訳よね!?」

「すまん悪かった! 今のは僕の失言だ……」


 何がどう失言なのだろう? 透の口から何も躊躇なくさっきの言葉が出てきたのだとしたら、それは透の本音ってことじゃないだろうか。あたしはあたしで透の前では露出凶みたいな、何やら憐れで痛々しい女子高生に思えてしまうのは、あたしの気のせいなのかな。


「で、結局何よ?」

「いやだから、その……」

「そうやってもごもご同情を誘いながら、あたしの裸を見に来たんだ? やらしい」

「違う! そうじゃなくて、お風呂だったら誰も会話を盗み聞きすることもないだろうし、茜と二人きりで話ができると思ったからさ」

「…………」


 その反論だけは非常に不本意ながら、一応理にはかなっていた。幽霊である透のことを奏ちゃんだけでなく、美歌先輩も見えていたことが今日判明した。薄々そうじゃないかとは思っていたけど、その事実があるならあたしと透が二人きりで会話ができる場所なんて、ここ女子寮チロルハイムの中では限られてしまう。もっとも奏ちゃんも美歌先輩もあたしたちを茶化すような人たちではない。そういう意味では真奈海先輩に透のことが見えてないのが唯一の救いだったのかもな。真奈海先輩にあたしと幽霊が密会しているなんて事実を知られたら、いつどこで何を言われるかわかったものじゃない。まぁ最初に真奈海先輩にちょっかい出しているのはおよそあたしの方だから、自業自得と言われるとそれまでだけど。


「で。結局、透はなんの話がしたいのよ?」

「いやだから……今日、美歌さんに言われたことを……」

「別にあたしは……!」

「落ち着けって茜。別に今すぐ答えを求めるとか、そういう話でもないと思うんだ」


 あたしは何も考えもなく反発しようとしてしまったが、透には全てお見通しだったようだ。あたしはもう一度自分の大事な部分を隠しつつ、湯船の中で小さく縮まってしまう。


「僕も茜も、互いに素直な性格じゃないからさ。だから、互いに損だよな」


 そう優しい声をかけてくる。反論したい気持ちはたくさんあったけど、それを透にぶつけたところで何も意味を持たない。今あたしが何かを漏らしても、それは恐らく全部嘘だから。もちろん透にだって気づかれてしまうから、あたしは返す言葉を全て見失ってしまったんだ。


「だったらなんで今日はあたしの風呂を覗きに来たのよ?」

「…………」

「って、そこに意味はないの!? それじゃああたしは覗かれ損じゃないかな!??」


 最低だ。いろんな意味で。具体的にどんな意味かを、考えたくもない程度には。

 そもそもどうしてあたしは透に反発ばかりしてしまうのだろう。これじゃああたしは、ただの小さな女の子だ。まるで駄々っ子にしかなってなくて、その度に透を困らせてしまってる。あの日、七里ヶ浜の海で透に助けてもらった時から、あたしは何一つ変わってない。あの後あたしは芸能界デビューして、今では『ポスト春日瑠海』と呼ばれるまでになったくせにだよ? これだから真奈海先輩にあたしはいつになっても勝てないんだ。


 ……違う。そんな話じゃない。今あたしが向き合うべきは、春日瑠海なんかじゃない。

 あたしなんだ。あたし自身の話なんだ。

 それなのに、透のせいにしてみたり、真奈海先輩のせいにしてみたり。そんな場所に答えが書かれているはずないのに、あたしは何を求めているのだろう。そもそも、あたしが求めているものってなんだ? ……ううん。そんなのだって本当はわかってる。わかってるくせに、真実を受け止めきれないでいるから、もう絶対に叶うことのない願いだってことも、本当は胸の奥深くでちゃんと認識しているはずだから、あたしは……いや、あたしと透は、その導かれた答えに躊躇している。


 迷っていても仕方ない。あたしと透を、時間だけがちゃんと別れさせてくれるはず。


「それにしても茜って、本当に女の子っぽくなったよなぁ〜」

「って、急に妙にやらしい目で、あたしのこと見るのやめてよ!」

「違うよ。僕と初めて会ったのは、小学生の頃? 妙に勉強のできるやつがクラスにいてさ」

「やつとか言わないでよ? これでもあたしはれっきとした女子高生よ? てか今のって、あたしをやらしい目で見てることから何一つ違ってなくないよね!?」


 やっぱり最低だ。こんなやつ、とっとと成仏してしまえばいいのに。


「でも本当に、茜もちゃんと成長したんだなって」

「え……。って透。今のあたしのどの部分を見て、それ言ってるの?」

「ちゃんと出るとこは出て、ひっこむとこはひっこんで……」

「だからそんな生々しいこと言うな〜!!!!!」

「そんな風にさ、茜の身体だけじゃなくて、茜の内面もちゃんと成長してる」

「…………」


 そんなことを急に言われも、あたしはどきっとするばかりだ。生々しい透のその表現は、鋭く尖ったナイフのようで、あたしの胸に強く刻み込んでくる。


「だからさ。もう、大丈夫じゃないかなって」


 あたしは湯船から顔だけ出して、お風呂のお湯を口でぶくぶくしていた。

 こいつの言葉のどこからどこまでを信じればいいのだろう? こんなやつの言葉を本当に真に受けていいのだろうか? あたしは半信半疑それを受け止め、自分なりに頭の中で解釈しようと必死になってみる。


「ねぇ透?」

「ん……?」


 透の顔は最後まで自然で、笑顔だった。どこか格好良くて、どこか美しくて。

 言ってることはさっきから最低なのに、その笑顔はあたしの脳裏に焼き付かれていく。

 もうきっとこの笑顔を、一生忘れることもないと思う。


「透はいつまで。この世にいるのかな?」

「そんなの知らねえって。成仏の仕方なんて、教科書のどこにも書いてないんだから」

「そりゃそうだよね」

「そりゃそうだ」


 そんな教科書、もし仮にこの世に存在してるとするならば、あたしはとっくに破り捨てていると思う。


「だったらさ。今度の学園祭の時までは、あたしの側にいてほしいな」

「学園祭?」

「そう。例の、チロルバンド。きっとあたしのアイドルとしての復帰戦になるからさ」

「ああ。そうだな」


 また今年のチロルバンドでは、去年と同様、真奈海先輩とMCバトルになるのだろうか。

 今年も美歌先輩は、ちゃんとベースギターを弾ききることができるのだろうか。

 あたしはちゃんと笑顔で、観客の声援に応えられるのだろうか。

 そして、あたしは……。


「できれば後夜祭まで、いてほしいな」

「後夜祭? そういえば美歌さんが後夜祭のジンクスの話とかしていた気もしたけど、それって結局、なんのことなんだ?」


 だからそれまでにあたしは、ちゃんと笑顔を取り戻さないといけない。


「そんなの……今はまだヒミツだよ!」


 今はまだ、ちゃんと笑えてない。だってまだ、やるべきことをやれてないから、笑えていなくて当然なんだ。当然のことさえ受け止めきれてないのだから、あたしのネジのどこか一部分が外れてしまっている。

 だからあたしはその取れてしまったネジを、探すところから始めなきゃだよね。

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