Lesson7: スペシャル・レッスン
晩御飯の激辛カレーが喉にしみたら
「今年も学園祭でチロルバンドをやるって、糸佳ちゃん正気!??」
「ですです!! 今年がもう一度チロルバンドをできる最後のチャンスなんですから、絶対、ぜ〜ったい、やるんですからね!! ついでに真奈海ちゃんは何かあるとすぐにわざとらしくユーイチ君の顔色伺うの、やめてもらえませんか?」
チロルハイムの住民が一通り揃った夕食の場で、糸佳ちゃんは改めてチロルバンドの提案をしてきた。ようは九月末に行われる高校の学園祭で、チロルハイム住民主催による学生バンドを行うという話だ。去年は真奈海先輩がギターとボーカル、美歌先輩がベース、あたしがドラムで、糸佳先輩がキーボードという具合にパート分けが行われた。結果、もちろん成功…………と言っていいとは思う。美歌先輩の決死なベースギターの演奏が続く中、MCではあたしと真奈海先輩の口喧嘩を続けずっと凌いでいたわけだから。
去年同様、今年も一番やる気満々なのは糸佳先輩だ。あの様子だととっくに生徒会とも話し合いの算段を付けていて、後は事務所とここにいるメンバーの承諾を待つだけという具合なのだろう。そんな自信満々の糸佳先輩に対し、真奈海先輩はというと『またこの子なんか言ってるけどユーイチどうする〜?』みたいな無言の圧力を、ユーイチ先輩にぶつけていた。だが優一先輩のその名前は優柔不断さを端的に表しているようで、真奈海先輩の誘惑の顔を軽くスルーしている。
「あのな糸佳。糸佳がどれだけチロルバンドをやりたいのか、兄としては容易に想像はつくけど、でも糸佳は美歌が必死こいて練習する姿を、もう一度見てみたいのか?」
「って、そこでどうしてあたしを引き合いに出すのよ管理人さん!!」
「美歌ちゃんは今年こそ弾き真似だけで大丈夫ですよ! 美歌ちゃんのベースパートくらいイトカのシンセで上手く誤魔化せますから!!」
「オーケー糸佳ちゃん。あたし絶対意地でもベース弾いてあげるから安心してね」
優一先輩は美歌先輩を例に出し、糸佳先輩を牽制する。『BLUE WINGS』の奇跡の歌姫こと美歌先輩には、致命的な欠点があったんだ。それは極端に不器用であるということ。去年もなぜ無事に美歌先輩が本番で間違えなくベースを弾き切ることができたのか、あたしにもその理由が全くわからなかった。本番前日まであれほど間違えまくっていたはずが、まさかの奇跡のベーシストと言ったところか。
と、ここまでなら去年と話の流れは全く同じ。だけど今年はもう一つ課題がある。
「それに今年は茜が……」
ユーイチ先輩はそこまで口に出したところで、黒いカレーに目を向けていた。
今日の夕食は糸佳先輩特製のカレーだ。糸佳先輩がチロルハイムに住んでた頃は嫌というほど食べさせられた、超激辛なカレー。とにかく色からして真っ黒で、何と何をどう混ぜたらこの色になってこの辛さが生まれてくるのだろうと。糸佳先輩は『企業秘密です!』と断固としてそのレシピを教えてくれないけど、今日初めてこのカレーにお目にかかった奏ちゃんは……あ、普通に目が死んでるね。
だけど目が死んでると言えば、あたしだって同じこと。先週のライブ中に倒れてしまってから、あたしは相変わらずちゃんと笑うことができずにいる。
「あの……あたしは今年はパ……」
「ねぇ糸佳ちゃん。やっぱり観客のみんなは、今年もわたしと茜のバトルを待ってるんじゃないかな〜?」
あたしが『今年はパス』と言いかけた瞬間、口を挟んできたのは真奈海先輩だった。意図的? それは瞬間的で、一体何が起きたのだろうとさっぱりわからない。
「う〜ん…………イトカとしては茜ちゃんと真奈海ちゃんのやりすぎは良くないと思うのですけど、もう一度見てみたいと思う気持ちも一理ありますですね」
「お、おい。真奈海? 糸佳……?」
困惑する管理人さんの声色は、あたしのそれとほぼ同質のものだった。
あたしは先週末の『White Magicians』のライブの途中、ぶっ倒れて救急車で運ばれてしまった。後から聞いた話だと、その後のライブは胡桃さん単独のオンステージとなってしまい、社長の話ではライブチケット代の払い戻しもあったとか。あたしは皆に迷惑をかけまくりで、ひょっとしたらこのまま芸能界引退かもしれないって、本気でそう思いかけている。
……うん。元々あたしにはその程度の実力しかなかったということ。仮に作り笑いでなんとかその場を誤魔化したとしても、あたしは生きているのか死んでいるのか、それさえまともにわからないような人間だ。そんなあたしが他人を笑顔にするなんて、そもそもが無謀だった気がする。演技だってそうだ。所詮は春日瑠海の物真似にすぎない。そんな人間が誰かの心を本当に動かせるというのか。それって虚構でしかないんじゃないのか。
「管理人さん。あたしは大丈夫だから、今年もみんなでチロルバンドをやりたいかな。奏ちゃんも、茜ちゃんも一緒に。ここにいるみんなでだったら、怖いことなんて何もないと思えるからさ」
だけど、そうあたしの名前を呼んできたのは美歌先輩だった。
美歌先輩は真っ直ぐあたしの方を見て、そんな風に誘ってきたんだ。
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