妹系先輩が突然女子寮に現れたら
「ごめんなさい。私、茜さんにそんな辛い話をさせたかったわけじゃあ……」
「気にしなくていいよ。あたしも過去の自分と向き合うきっかけになったから」
そして今。透がいなくて、あたしだけが残ってしまった世界。
月曜日の放課後。チロルハイムの庭先にいる、あたしと奏さんの世界に戻ってきた。黒縁眼鏡の奥から心配そうに見つめてくる奏さんに、さっきからずっと電柱に背中を預けて何一つ顔色変えずにあたしを見つめる透。あたしの過去を奏さんに話している間、時たま透の様子を伺っていたけど、透にとってはもう既に知ってる話ばかりで、少し退屈だったかもしれない。実際、聞きたくはなかったんじゃないだろうか。だけど、あたしがずっと目を逸らしてきていたせいで、透が死んでしまったせいで、一切の歯車が壊れてしまった。いつかは訪れるべきだったかもしれないけど、それはあまりにも唐突すぎたんだ。
あたしはほんの少し口元の緊張を解いて、笑顔を作ろうと試みる。もう過去のあたしはいないんだって、あたしは変われたんだって、そんな願いを込めて。
だけどそれは叶わなかった。いつもの笑えている時なら、持ち上がるのが感触でわかる唇の両端も、重くてどうにも持ち上げることができない。やはり笑えていないのだ。笑顔を失ってしまった今のあたしは、芸能活動を再開することもできず、あの頃とほとんど変わらない立ち位置に変わってしまった気がする。情けない。
「でも茜さん。そんな茜さんがどうして芸能界に入ろうと思ったんですか?」
「春日瑠海が憎くて、大好きだったから……」
「え?」
「嘘。冗談。あたしの中学に、あたしの居場所なんてないのはわかっていたから、別の場所に自分の居場所を作ろうと思っただけだよ」
「それが芸能界ってところが、茜さんのすごいところですよね?」
「必死だっただけかもしれない。自分の居場所を作るのに」
「…………」
実のところ、芸能事務所への応募は、あたしの親が勝手にやったことだ。あたしが春日瑠海に憧れていることを以前から知っていて、あたしが救急車で病院へ運ばれその寝顔を見た時に、作戦の実行を決意したらしい。あたしはある日突然、それまでの人生で着たことがないようなおめかし衣装を着せられて、母親に無理矢理東京へと連れられていった。ひょっとして、あたしをどこかへ捨てるつもりなのかと思ったくらいで、辿り着いた先が芸能事務所のオフィスビルだと気づいた時は、恐ろしく驚いたものだ。
人の物真似が得意だったあたしは、演技さえも春日瑠海を真似るようにして覚えた。この場面、春日瑠海ならどうやって演技するだろう? 春日瑠海がどんな風に笑ったらあたしも笑顔になれるだろう? そんなことをひたすら論理的に演算して、それを自分の演技としていた。あくまであたしの才能とかそういう話ではなく……いや、それをいうと少しだけ嘘になる。既に自我というものを失いつつあったあたしは、自分の代わりに誰かになりきろうとしていた。ただそれだけの話なのかもしれない。
あたしは気づくと次々とテレビドラマの役を勝ち取っていき、『ポスト春日瑠海』と言われるまでになった。マネージャーは喜んでくれたし、テレビに映るあたしの姿を観た両親ももちろん喜んでくれた。だけど結局は、『ポスト春日瑠海』でしかない。女優蓼科茜という名前はそこにはなくて、あたしはただの春日瑠海の真似事でしかなかったんだ。
だから本当は、女優としても今が潮時なのかもしれない。世界は国民的女優春日瑠海を失った後、真似事しかできない女優蓼科茜も、世界から消え去る時が来たのだろう。
「あれあれ〜? 茜ちゃん、母から体調崩したと聞いてましたけど、今はもう大丈夫なんですか〜?」
急に周囲の色が真っ白に変わるような声が聞こえた。その甲高い声を突然耳に響かせてきたのは、『BLUE WINGS』のバックバンドメンバー、糸佳先輩だ。事務所お抱えの作曲家でもあって、あたしの所属する『White Magicians』の曲も数え切れないほど書いてもらっている。実は芸能事務所『デネブ』の社長文香さんの一人娘でもある。ただしその幼すぎる顔立ちからは社長令嬢という雰囲気は全くなく、世間的にも隠された秘密ではあるが。
「どうしたんですか糸佳先輩? 今日は誰かに用事でしょうか?」
「いえいえ。今日は誰という話でもなく、チロルハイムの皆さんに用事です! 茜ちゃんにも手伝ってもらいますから、覚悟してくださいね!! ……って、茜ちゃん!? ちょっとだけ顔が怖いんですけど……」
そうあたしの顔に露骨に反応され、あたしは少しだけむすっとしたのがわかった。ただ今のあたしは笑顔を作れないだけであって、怒った顔はいつも通りできてしまうらしい。しかも無表情な上にそれが重なるものだから、糸佳先輩の顔はより怯えてしまっていた。
糸佳先輩は去年の暮れまで、ここチロルハイムに住んでいた。というのもチロルハイムは糸佳先輩の元々の実家であるわけだけど、現在はチロルハイムの管理人は糸佳先輩の義理の兄、ユーイチ先輩が務めている。糸佳先輩は都内に引っ越した後も、ここから徒歩十五分ほどのあたしと同じ高校に通っている。社長令嬢というだけあって、高校三年という中では常に学年トップの成績であるとかなんとか。
「それで糸佳さん。今日の用事というのは……?」
「よくぞ聞いてくれましたです! 今年は奏ちゃんにも手伝ってもらいますよ? 一ヶ月後、みんなで楽しい学園祭をつくりましょ〜!!」
「今年もとか、学園祭とか……まさか、アレの話ですか?」
「ですです! アレの話、ですよ!!」
「……で、あれの話というのは、結局なんの話なのでしょうか?」
奏さんは高校一年生。まだチロルハイムに引っ越してきたばかりだから知る由もない。だけどあたしにはどことなく思い当たる節があるため、乗り気満々の糸佳先輩の算段もおよそ想像に難くなかった。
「一年振りのチロルバンド、大復活ですよ! 奏ちゃん!!!」
歴史は繰り返される。あたしとしてはまた嫌な予感しかないけど、それ以上に芸能活動一切休止中の今のあたしに、そんな大それたステージができるのか、少し不安に思えたのも事実だった。
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