アイドルが学校でもストーカーに見守られていたら
透は、どこかこそこそしている。学校にいた間も、廊下の方からずっと。
あたしの前から隠れることさえできなくなったあいつは、ただ黙ったまま、あたしから少し離れたところでじっとあたしのことを見ている。その雰囲気は確実にストーカーそのものだ。恐怖心さえ一切感じることのない幽霊ともなれば、いくら幽霊が苦手なあたしと言えど、怖いというよりむしろ滑稽に思えてくるほどだった。
そもそもどうしてあいつは、あたしに何も話しかけてこないのだろう。確かにきっと、他の人からはおそらく透のことは見えないわけで、あたしと透が会話してる光景を誰かに見られたら、不自然に感じること極まりないだろう。ましてや無表情になってしまったあたしのことだ。ついにはあたしが精神的に壊れてしまったのだと、他の人からはそう見られてしまうかもしれない。うん、あたしは既に壊れてしまっているかもしれないけど、ひょっとするとあいつのことが見えるようになったことこそが、あたしが壊れてしまった所以なのかもしれない。
「彼、ずっと何も話しかけてきませんね?」
「ああしてあたしを見ているだけって、それはそれで気持ち悪いよね」
「でもそれは彼がここに来てからずっとですよ。いつも茜さんのことを……」
そっか。どちらかというと変わってしまったのはあたしの方なんだ。先週の土曜日のライブから、あたしはお風呂場以外でも透に会えるようになった。だけどそれまでもずっとこんな具合に、透はあたしを見ていたってことなのだろう。奏ちゃんはそのことを知っているし、あたしはようやくそのことに気づくことができたということ。きっと、もしあたしがまた透の姿が見えなくなったとしても、しばらくはこのままなのかもしれない。また会う日まで。あたしはふと、白い彼岸花の花言葉の一節を思い出していた。
そういえば先月、ここに季節外れの彼岸花が咲いていた気がする。あっという間に散ってしまったけど、本当は九月に咲く花が、どうして七月なんかに咲いたのだろう。あたしはチロルハイムの庭先で、もう一度その場所を探していた。間もなく九月を迎えようとしているけど、さすがにまだ早いのかもしれない。そこには夏の昼下がりの太陽に照らされたアスファルトがあるのみで、雑草のみが多少生えている程度。彼岸花っぽい花はまだどこにもなかった。
「ひょっとして、あの花を探しているんですか?」
「うん。先月珍しくここに咲いていたから」
「季節外れの立派な花でしたね」
「あたしにとっては特別な花だから、どうしても懐かしく思えて」
「でも彼はあの花言葉が何の花なのか、まだ気づいてないみたいですよ」
「透は昔から、そういうことに無頓着だったからな」
あたしは奏ちゃんに笑みを返す。でもあたしは本当に、笑えているのだろうか。
誰にも届かない懐かしい記憶を、せめて今が幸せだって思える気持ちを、ひょっとするとただの苦い思い出かもしれないその感情を、あたしはそれら全てを胸の内側にひっそりと仕舞い込んでいた。奏ちゃんはあたしの瞳に笑顔を落書きしてくる。どこまで通じ合えているかはわからないけど、でもこんなにも複雑に絡み合ってしまったあたしの気持ちを、本当に誰かと共有することなんてできるのだろうか。
「茜さん。もし、差し支えなければでよいのですが……」
「ん、な〜に?」
奏ちゃんは黒縁眼鏡の向こう側から、真っ直ぐな瞳をあたしにぶつけてくる。
「あの日、七里ヶ浜の海で何があったか、私にも教えていただけないでしょうか」
「…………」
真っ黒い海の浜辺に、月夜に照らされた白い彼岸花が咲いていたあの日。
彼岸花が咲いていたということは、季節もちょうど今頃であったのだとふと思い出す。あたしはそれが今から三年前であることだけを覚えていたけど、どこかで思い出したくないという感情が、その蓋を閉じてしまっていたのかもしれない。
だけどその蓋はもう砂に還ってしまい、完全に散ってしまっていたんだ。
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