アイドルにキスを迫られたら

「ユーイチ先輩。今ここで、あたしとキスしてください!」


 それは唐突に訪れた、ショッピングモールでの衝撃の爆弾発言だった。

 茜は両手指を摺り合わせながら、少しだけ恥ずかしそうにもぞもぞとしている。昨日も似たような光景に遭遇した気もするが、その突拍子もない発言は、周囲の人間を困惑させるのに十分な破壊力を持ち合わせていた。もっともここはショッピングモール。喧騒の中に茜の声はすっぽり埋もれてしまい、さっきの言葉を一語一句聞こえていたのは、ここにいるユーイチ先輩と、そのすぐ真後ろで様子を観察していた僕くらいであろう。まぁ僕の姿なんて見えるはずないから、茜もユーイチ先輩とやらも当然気づいていないよう。とはいえユーイチ先輩はその間抜けヅラをぽかんとさせるのみで、いや恐らく僕もきっと他人から見たら似たような顔をしているのだろうけど。


「もう一度言います。今すぐここで、あたしとキスしてください」

「できるわけないだろ!」

「なんでですか? あたしに女としての魅力がないからですか?」

「そういう話じゃなくてだな……」


 茜の意味不明瞭な我儘を、ユーイチ先輩はきっぱり跳ね除けた。僕はもう少しくらい何かがぐらつくんじゃないかとばかり思っていたけど、こいつ、意外と芯はしっかりしているのかもしれない。いつもは女子寮生の色香に惑わされ、そのだらしない鼻を伸ばすばかりだったけど、あれは所謂ただのスキンシップか何かだったのか。それもそれでどうかと思うが、今の茜ははっきりとそれとは違う。

 茜は真っ直ぐとした瞳でユーイチ先輩、そしてその先にいる僕の顔を見て、キスを求めている。もちろん茜はここに僕がいるなんて気づいてるはずない。それでもその言葉はただユーイチ先輩に求めただけのものとは思えなかったんだ。


「どうしてですか? どうしていつもユーイチ先輩はあたしを子供扱いするんですか!?」

「別に子供扱いしてるわけじゃなくてだな……。そもそも茜は僕なんかよりずっと成績優秀だし、アイドル女優としても僕なんかより数百倍も稼いでるじゃんか。そんな人間相手に子供扱いなんてできるわけないだろ」

「だってあたしは……真奈海先輩の稼ぎには足元にも及ばないし……」

「それはそれ。あれはあれだろ? 真奈海のことなんて特に気にする必要ないんじゃないか?」

「…………」


 茜はきっとユーイチ先輩を睨みつけていた。睨んだ理由は僕にはわからなかったけど、ひょっとすると茜自身にもわかっていないのかもしれない。どこかもやっとするものだけが、茜と僕を包み込んでいるような気がした。

 そんな茜に、ユーイチ先輩はもう一度優しい声をかけたんだ。


「何をそんなに悩んでいるのか知らないけど、そんなに背伸びする必要なんてないんじゃないか? 茜は茜、真奈海は真奈海だし、真奈海のことなんか強く意識しなくても、茜はこれまでずっと蓼科茜として、ちゃんとやってこれてたわけだし」

「だって! ユーイチ先輩はちっともあたしに振り向いてくれない!!」

「そんなこと……」

「どうしてあたしじゃなくて、真奈海先輩なんですか!??」


 だけど茜は、そんな優しい言葉さえも突っぱねる。


「あたしでも美歌先輩でもなくて、真奈海先輩を選んだ理由はなんなんですか?」


 が、茜の話はかなり脱線気味で、話についていくのがやっとなのは恐らく僕だけでなく、ユーイチ先輩も同様なのだろう。茜の泣きじゃくる寸前の顔は、ユーイチ先輩の顔、五センチ程度の場所まで接近し、やり場のない怒りを押し付けている。こうなるとユーイチ先輩も困惑するばかりで、終いには僕さえもこのどうしようもないユーイチ先輩に同情の余地が生まれてくるほどだった。

 そもそも茜の昨日からの言動は、ユーイチ先輩をデートに誘うことからしてやや不自然だ。理由はわからないけど、今度はキスまで求めてきたりもして。


「ユーイチ先輩、教えてくれませんか?」

「な、何をだよ……」


 茜はまだ取り乱している。取り乱したまま、そのまま強い息を吐いた。


「人を好きになるって、一体どういうことなのでしょうか?」


 だがその質問はやはり唐突すぎて、今度はユーイチ先輩も思わず苦笑いを溢してしまっていた。そのまんま文字通り、小さな子供ような質問に、ユーイチ先輩は子供扱いするかのような視線で茜を見つめている。まるでさっきのあれは前言撤回するかのよう。ある意味仕方ないことだが。


「ねぇ管理人さん。あたしもその質問の答えを聞きたいなぁ〜」

「あらいいですね。そしたら四人で、そこの喫茶店に入りませんか?」


 そんな困り果てたユーイチ先輩を救い出すかのように、美歌さんと奏さんがひょっこり顔を出したのはその時だった。ユーイチ先輩は少しだけ安堵した顔を見せ、だけどすぐに慌ててポケットの中の財布の中身を確認していたりして。


 茜は小さな子犬のような円らな瞳を、まだユーイチ先輩へぶつけている。

 僕は改めて思った。女子寮の管理人というのも想像以上に大変なようだ。

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