アイドルがショッピングモールで変装をしたら
茜と、ユーイチ先輩とやらのデート当日。
八月中旬を過ぎた今日も青い空が永遠と広がっていて、ずっと遠くの空へ小さく入道雲がかかっている。夏の皮膚を痛めつけるような暑さはなく、程よい風がさらさらと叩いてくる程度。
もうすぐ夏の終わりが近づいていることを、知らせているかのようだった。
途中駅で一回電車を乗り換えて、向かった先はさほど大きくもないショッピングモール。八月の平日とあってか、どちらかというと僕らと同じ年くらいの学生が多く見受けられる。それならと僕も少し不安に思ったのだが、茜は黒いキャスケットで自慢のポニーテールを隠し、化粧もいつもより薄めにしてそれなりの変装を楽しんでいた。表情の作り方もテレビで観るそれとは違うせいか、すれ違う人々は彼女があの蓼科茜だということに全く気づかないらしい。そういえば茜のやつ、いつしかお風呂の中で話していたな。『あたしは真奈海先輩の変装方法を真似てるだけ』って。
元国民的女優の春日瑠海といえば、その名の通り、すれ違う人々ほぼ百パーセントがその顔を知っているというとんでもない存在だ。そんな真奈海さんは変装の名人でもあって、稀にチロルハイムで変装した真奈海さんとすれ違っても、僕は思わず見知らぬ女性がやってきたと勘違いするほど。やはり女優という生き物は本当に恐ろしいと、そう考える理由の一つでもある。
ただ今日は、むしろ茜以外に若干の不安を感じていたりする。それは僕と同様、僕の横で茜とユーイチ先輩のデートを見守っている……? いや、ただストーカーのように後をつけてる人が二人ほどいたわけで。
「まさか先輩がこのデートを覗きにくるとは思いませんでした」
「仕方ないでしょ。真奈海に頼まれたのよ。『わたしは仕事だから〜』って」
「……本当にそれだけですか?」
「何よ? それだけよ!」
茜とユーイチ先輩の後方三十メートルほど、僕のすぐ真横にはチロルハイムの住民がなぜか二人ほどいたりするんだ。しかもその面子が若干理解し難かったりして。
「そういう奏ちゃんこそ、なんでわざわざ二人を覗きに来たのよ? 奏ちゃんの方こそ全然関係なくない? ……まさか奏ちゃんも管理人さん狙い!??」
「違います。私はそんなめんどくさいものにはまっぴらごめんです」
「あ、そう。……だったらそれこそなんでよ!??」
茜の高校の先輩にして、アイドルグループ『BLUE WINGS』の奇跡の歌姫こと霧ヶ峰美歌さん、そして事務所期待の新人声優、善光寺奏さんが、ここにひっそりとしていたりする。
「私は、茜さんと彼、二人のことを見守りたいと思ってるんです」
「彼のことって……管理人さんのこと?」
「違いますよ。そっちではなくてですね……」
「ああ。そっちか」
「…………?」
美歌さんは何かに納得した後、一瞬僕と視線が重なったようにも感じた。だけどやはり気のせいだっただろうか。すぐに茜とユーイチ先輩の方へと視線が移動する。ふとした瞬間の違和感は僕の勘違いに違いなかった。
そんなことより漠然とした不安とは、その美歌さんの変装があまりに雑だという点。紺色の帽子を深く被っているところまでは茜とほぼ一緒だが、それ以外はステージの上そのまんまの美歌さんで、それはもはや変装と呼べるのかさえも怪しいくらいだ。僕はその点を疑問に思いながら、疑念な視線を美歌さんにぶつけていた。
「……ああ、この服装? あたしは真奈海や茜さんと違って全然顔が売れてるわけじゃないから、特に凝った変装なんて必要ないのよ」
「いやあの……私、特に何も聞いてないですよ?」
「だってほら、そんな風に人を怪しむ視線であたしを睨むからさ」
「特に睨んだつもりもないのですが……なるほどやはりそういうことでしたか」
「そういうことよ。あたしも彼の正体が少し気になってたからね」
「彼は、ただ純粋な殿方ですよ」
「そうみたいだね。それだけはなんとなくわかった気がするよ」
彼とは、管理人さんこと、ユーイチ先輩のことだろうか? そうだとすると若干話の流れが噛み合わない。とはいえ、変わり者が多いチロルハイムの中で美歌さんは一番信用できそうな人だし、特に何かを心配する必要など全くないのかもしれない。それよりと、僕は再び茜とユーイチ先輩の足取りを追った。
茜は楽しそうな笑みを、ユーイチ先輩に絶えず向けている。ユーイチ先輩はどういうわけかこういう状況に慣れているらしく、茜の行きたい場所を先取りするかのように、小さなショッピングモールの中をエスコートしていた。
なんだ、これじゃあ本物のデートみたいじゃないか。だけど僕はそこに焦りなどは生じなかった。……いや、少しだけ違う。ただただ複雑な感情だけが、胸の中に小さく芽生えていく。
逸る気持ちをなんとか抑えるので精一杯だったんだ。
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