アイドルがお風呂で背筋を伸ばしていたら
「茜、自信ないのか?」
「べ、別に、そういう話でもないんだけどさ……」
茜は下唇まで湯船に浸かり、ほぼ全身を白い入浴剤の混ざったお風呂の中へと隠してしまう。それは、僕の知ってる茜と知らない茜が、完全に半分ずつ入れ混ざっているかのようで、どこかすっきりしないモヤっとしたものが僕の脳裏を襲ってくる。
茜のアイドル活動復帰が決まってから約二週間、茜は女子寮の地下に籠ってダンスの練習を繰り返す日々が確実に増えていた。芸能事務所の女子寮というだけあって、地下にはダンスレッスンなどもできるスタジオが存在している。地下スタジオは二つの部屋に分かれていて、音響機材が完備されたコントロールルームと、マイクが置かれその場で収録もできるブースとがある。大きな鏡が配置されているのはブースの方で、ここで茜は練習していたんだ。
声を掛けることもできないまま、僕はじっと茜の練習風景を眺めていた。イヤホンをつけて鏡の前で舞い上がり、そしてぴたっと止まる。何度も何度も同じ場所を繰り返して、素人目の僕には全く同じように踊ってる風にしか見えなかったけど、茜は何度かしかめっ面をした後、最後にはくすっと笑顔になる。どうやらこれだと思う瞬間が茜なりにあるらしく、それを見つけた時の表情は僕も救われたような気分になった。
「あんなに練習して、それでも観客を笑顔にできないことなんてあるのか?」
「そんなのやってみなくちゃわからないよ。あたしはいつだって万全というわけじゃないから」
やはり弱々しいその声は、自信がないようにしか聞こえなかった。これがいつもの茜なのかと問われると、どこか何かが違うと言い切ることしか出来ない。だけど茜がアイドル活動を始めたのは茜がこの女子寮へ引っ越したのとほぼ同時期。僕は茜がどんな風にアイドルを続けていたのか、正確に知っているわけではなかった。
「演技だったらさ、何度か撮り直すことができるけど、アイドルはその場その場の一瞬の切り取りだから。少しでも油断してると、元気のない自分が観客に伝染してしまうの」
「それって、ドラマの撮影より大変ってことなのか?」
「そんなの、人それぞれじゃないかな。演技には演技の難しさがあるし」
茜はそう言うと、両手指を交互に組んでその場でぐっと腕を伸ばした。腕から肩、背中までもがぐんと一直線に伸びて、湯船の中でストレッチをしている。白く細い腕は、まだ小さかった頃の茜と何一つ変わってないように思えた。いつの間にか僕らは高校生になっていて、だけど茜を守ってあげたいと思ってしまう気持ちは、ずっと今でも変わっていない。
もっともそれはもう叶わない夢の話であるけれど。
「やっぱりあたし、自信ないのかなぁ〜……」
自信があるのかないのかはともかく、さっきから弱音を吐いているのは事実だ。茜は曖昧な言葉を口にするばかりで、どこかのネジが取れてしまったかのよう。
「なぁ、茜?」
「ん?」
そんな茜に、僕がかけられる言葉があるとするならば。
「茜がそんな風に怯える必要なんて、やっぱりどこにもないんじゃないか?」
だって、茜は茜だ。どうしたってその部分は誰にも変えられない。
茜を応援してくれるファンのために、茜は笑い続けるしかないんじゃないかって。
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