活動休止中のアイドルが焦っていたら

「茜。あなたは女優として、もしくはアイドルとして、両方とも頑張ってくれてる。どこかの女優休業中のアイドルと違って、困難に対してもしっかり前を向こうとしてるし、その点は私もちゃんと評価しているわ。だけど、今はまだ休むべきタイミングじゃないかしら? 元々誠実さがウリの蓼科茜なのだから、そこは正直に向き合ってもいいと思うのよ」


 社長は茜に包み込むような声で、そう問いかけていた。時が止まってしまいそうなほどゆったりしていて、空気の色も暑さと寒さのちょうど中間色のような、そんな気配が漂っている。


「それは社長、今のあたしでは春日瑠海にどう足掻いても勝てないって、そういう意味でしょうか?」


 ただし茜の方はというと、案の定とも言うべきか強く反発してしまう。憧れの先輩であり、最大のライバルでもある春日瑠海の話さえ引き合いに出されたせいか、尚更強く跳ね返してしまった。ただし僕も茜の反発には同意見で、今茜が休んだところで何になるのだろうと、そう思っていたんだ。


「違うわよ。真奈海には真奈海のいいところがあるし、茜にも茜のいいところがある。そんなのに優劣をつけたがるのは腐ったマスコミの手法よ。もちろん全てのマスコミがそうでないと、私は信じたいけどね」

「だったら……」

「ねぇ茜?」


 茜の言葉を静止するように、社長の言葉が割って入る。


「茜、どこか焦ってない?」


 茜らしい気の強さがある睨んだ顔にも、社長はもろともしなかったようだ。


「焦って……なんか、別に……」

「そうかしら? 本当にそうだと言い切れる?」

「…………」

「これは別に茜だけじゃなくて、奏ちゃんにも言えることなんだけどね。奏ちゃんは高校一年生、茜は高校二年生。よほどのことじゃない限り、本来なら失敗を許されるべき年齢なのよ。そんな子供たちをこうして大人のビジネスに巻き込んでしまっている私が言えたことじゃないけど、それでも私たち大人には、まだ未成熟のあなたたちを守ってあげる義務はあると思ってる。だからあなたたちが何かの拍子で立ち止まって潰れそうな時は、私は温かく待ってあげたいと思ってるの」

「だったら……」

「だから茜、今はまだ休むべきじゃないのかな?」

「だったらあたしは尚更休んでなんていられない!」


 今度は茜が社長の言葉を強く否定する。一度はしゅんとなったその顔を、社長の言葉で見事に立て直していた。


「失敗が許されるんなら、あたしは今しかできないことをしたいの!」

「茜……?」


 それは強い意志の現れでもあった。失敗を恐れることのない茜らしい言葉でもあったけど、同時に諸刃の剣でもある。もし茜が失敗して社長の言う通り潰れてしまうことがあるとしたら、そこに何が訪れると言うのだろう。ただそれらさえひっくるめて、大人の社長を信頼している証なのかもしれない。あの時、茜を救ったのは確かに僕だった。でももう僕は既にこの世には存在しない。あの時僕が掴んだ茜の左手を、今度は社長や胡桃さん、今茜の周りにいる誰かが掴んでくれるはず。

 今しかできないことというのが何かはわからなかったけど、僕はこんな茜に何度も救われてきた。僕の大好きな茜は、いつも無鉄砲で、少しだけ我儘で。


「社長の仰る通り、あたしは焦っているかもしれません。でも今やらなきゃいけないことがあたしにはあるんです! いくら子供だからって、あたしは絶対に後悔なんてしたくない! いつ訪れるかわからない終わりの瞬間に、あたしの悔し涙をあいつに見られるのは絶対に嫌だから!!」


 その瞬間、僕はふらっと立ちくらみがしたような気がした。


「だって……もうあいつは、この世にはいないんですよ……?」


 少しだけ半泣き状態の茜は、絞り出すようにその言葉を口にする。それでも必死に涙を堪えようとする健気な姿は、今の茜の意思全てを表すのに十分な力を兼ね備えていた。


「うんわかったよ! 茜ちゃんが立ち止まりそうになっても、絶対に胡桃姉さんが背中の後押ししてあげるからね〜!!」

「胡桃さん……」


 その気持ちはしっかりと胡桃さんへも伝染していたようだ。一瞬だけ僕と胡桃さんの視線が重なったようにも感じたけど、それは僕の気のせいだったかもしれない。


「社長。あたしからもお願いします! 次の『White Magicians』のライブから、茜ちゃんの復帰を許可してください!! お願いします!!!」


 胡桃さんはその場でぴょんと立ち上がると、隣に座っていた社長へ深々とお辞儀をする。今の茜の周囲には、こんなにも茜を応援してくれる人たちが沢山いる。それだけでも十分嬉しくて、少しだけ切ない気持ちにもなるけれど。


「わかったわ。その代わり茜、無理だけは絶対にさせないからね」

「……うん」


 社長の優しい右手は、そっと茜の頭を一回撫でた。どうにか涙を堪えることに成功した茜の顔は、ぐしゃぐしゃであることに変わりはなかったんだ。

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