幼馴染がお風呂の壁に向かって話していたら
茜の場合、その研究熱心さが功を奏し、一流女優として着実に成功しつつあった。その手の評論家が大手を広げて評価する程度には、茜はただの女子高生女優としてではなく、その演技力を武器に一人の女優として地位を確立しつつある。素人目の僕から見ても、ベテラン女優と共演する茜の姿は何一つ遜色を感じないほどだ。
元々茜は常に学年トップの成績であったが、やや不器用な立ち振る舞いが多いせいか、決して友人が多い方ではなかった。茜はそのことに気を病んでる様子もなかったけど、それでも女優として成功するようになってからは、『やっぱし茜ちゃんってすごかったんだね』ってようやくクラスメイトの輪に加わることができたようだ。ただし、そんな状況でも見事に不器用ぶりを発揮してくれて、自分からはなかなか溶け込むことができてなかったらしい。もっともその点はクラスメイトのフォローもあり、ようやく少しずつ友人が増えてきたようで、それについては僕も幼馴染としてほっとしていたくらいだ。
茜がアイドルを目指し始めたのはそんな状況下だった。茜が女優を目指すきっかけをくれた春日瑠海が、女優を休業してアイドルを目指すと宣言したのがその始まり。茜は到底納得できなかったらしく、自らもアイドルを目指すと決意する。僕らの住んでた街を出て行き、この女子寮にやってきたのもそれがきっかけだった。『あたしが女優とアイドルを両立させることで、女優春日瑠海を絶対取り戻すんだ』って、僕にもそう誓ったはずだったんだ。
なのに茜は、今アイドルを休んでいるという。僕の目の前からいなくなった時のあの決意は、いったい何だったのか。やや騙されたような気分で、僕自身全く納得できる話でもない。
「茜は、女優の春日瑠海を取り戻したくて、アイドル始めたんじゃなかったのか?」
「真奈海先輩ならあたしがどうとか関係なく、多分いずれは女優に戻れる。だったらそれでいいじゃない。あたしがそこまで頑張らなくても」
「だったら茜は、茜を応援してくれるファンのこととかどうでもいいのか?」
「そのファンを悲しませたくないから! 今のあたしに、ファンを笑顔にする力なんてない! だったらあたしは、アイドルを辞めるしかないじゃない!!」
「そんなことあるかよ? 今まで一生懸命続けてきて、ファンを笑顔にできないなんて嘘に決まってるだろ!」
「嘘よ!! あたしの笑顔も、ファンの応援も、今ではみんな嘘になっちゃうの!! アイドルはあたしの嘘が全て伝染してしまう職業だから、今はやりたくないの! 絶対に無理なの!!」
ああ言えばこう言う。茜の言葉は全て否定形で、僕の話を全て却下した。
茜の嘘だと? そんなもの、絶対に嘘だ。茜はいつも不器用だけど、不器用なりにいつも一生懸命で、それをファンは応援してくれてたんじゃないのか。茜はそんな真実まで否定しようというのか。こんなの、絶対にあべこべだ。茜が元気がないのなら、だったら今度は茜がファンから元気を分けてもらえばいいんじゃないのか? どんな時だって茜を応援してくれるファンは絶対にいるはず。そんなファンの声さえも、茜は否定するつもりなのか?
「なぁ、茜?」
「な、何よ……」
茜は僕と視線を合わせようとしない。さっきからずっと白い素肌を纏った背中だけを僕に見せていて、身体の下半分は湯船に浸かったまま。顔も僕ではなく壁に向かって語るばかりで、声音はずっと拗ねた感情を丸出しにしていた。
「茜がアイドルを休止したのって、結局僕のせいなんだよな?」
「……そうよ。全部、あんたのせい」
少しだけ間があったけど、その点を否定する気はなかったようだ。
「だったら……」
「なんであんたが死んじゃうのよ!! あの時あたしを助けてくれたあんたが死んじゃうとか、こんなの本末転倒じゃない!!」
「…………悪い」
僕は思わず謝ってしまう。今更どうしようもないことで、可能なら謝りたくはなかったのだけど。
「……ほんと、バッカみたい」
「え……?」
そんな風に溢してしまった言葉を茜はすんなり受け止めたのか、茜も捨て去るようにそう口にしていた。そこには何もない無機質な声音で、すぐに拡散して消えてしまったけど。
「ねぇ。あんたはしばらくこうして、あたしのことを覗いてくれるのよね?」
「それってまるで僕が単なる覗き魔みたいな……」
「実際そうじゃない。女風呂に覗きに来る幽霊とか、人としてサイテーよ」
「…………」
何も返す言葉もない。あまりにその通りな気がしてきたから。
「でもあんたはずっとあたしを見守っててくれてる。違う?」
「あ、ああ。いつまでこうしてるか、その点については自信ないけどな」
そもそも僕は成仏しなくていいのか。ただしその方法がわからない以上、僕はずっと茜を見守っていたい。たとえ覗き魔と罵られようとも。
「……わかったわよ。アイドル活動を再開するわ」
「え……?」
だけど唐突に溢した茜のその宣言は、僕には少しだけ理解できなかった。
「その代わり、今あたしが潰れてしまっても、あんたはちゃんと責任とってよね!」
なぜならその強い宣言とは裏腹に、茜は未だ僕にその顔を見せようとはしなかったから。それどころか所々声が震えていて、どこか涙ぐんでいるようにも聞こえたんだ。
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