幽霊を信じることができたなら
「奏さん……って言ったっけ?」
「はい。なんでしょう?」
やはり奏さんは、僕の問いかけに何の躊躇なくそう答える。
「なんで奏さんは、僕の声に反応できるんだ? 茜は僕のことを全く見えてないようだけど、それは奏さんだけなのか?」
「茜さんが全く見えてないというわけでもないように思いますけどね」
どうにもその点が不自然だったんだ。僕は間違えなく先月死んでいて、当然誰にも見られることもないまま、三十キロほど彷徨って、ようやくこの女子寮まで辿り着いた。
ここチロルハイムにやってきても、当たり前ではあるけど茜に僕の姿は見られていない。ただし茜は僕の気配だけを感じ取っているようで、昨晩のお風呂場では随分と怯えていたように思う。僕は怖い幽霊とは違うんですよ!などと冤罪を訴えることもできず、元々お化けが苦手だった茜は、こうして幽霊の姿を想像するだけでぱたんと倒れてしまうほど。
すると奏さんは小さくくすっと笑い、僕の顔をはっきり見てこう質問してきた。
「そもそも幽霊とはどういう存在なのでしょう?」
「え……?」
だけどその問いかけはあまりにも唐突すぎて、即答できる質問の類ではない。学校の教科書にもそんな話が書かれているはずもないし、オカルト的な本にだってその答えが明確に書いてあったりするだろうか。少なくとも僕の短い人生の中では、そんなものを読んだことも考えたこともない。
「もちろん、明確な答えなどあるはずもないのですが……」
奏さんはそう前置きだけすると、こんな風に自分の解釈について解説したんだ。
「一つの考え方として、幽霊とは人の記憶の断片であるとも考えられるんです」
「記憶の、断片……?」
もっともそれを『はいそうですね』などと答えられるほど単純ではないけれど。
「例えば君の場合、亡くなったことで散らばってしまった君の魂の群れが、茜さんの記憶によって強く結びついてしまった。それが今の君の姿なのだと、私はそんな風に考えているんです」
「僕の魂と、茜の記憶…………?」
「あ、もちろん、考え方の一つという意味ですよ? 全ての幽霊が君のように誰かの記憶によって形作られているわけでもないとは思います」
「……それ以前に何を言ってるのか全然わからん」
僕は馬鹿なんだろうか。確かに成績優秀な茜にはいつもテストの点数で負けていたし、その度に茜に馬鹿にされていた気もするが。
「第一そうだとしたら、尚更辻褄が合ってなくないか?」
「辻褄ですか?」
「ああそうだ。もし茜の記憶によって僕が成り立っているのだとしたら、なんで茜に見えなくて、奏さんには僕の姿が見えるんだ?」
「そんなのは簡単です。茜さんの記憶が、私の脳へと伝染したからですよ」
「…………」
……いや、ちっとも簡単じゃない。人の記憶が他人に伝染するようなことがあったら、そんなの人のプライバシーなんてあったもんじゃないよな。
「それだけ茜さんの君への想いが特別だったとも言えます」
「え……?」
「茜さんの強い想いが君を幽霊としての形を作り、君の強い想いが私に君の姿を映し出している。元々私の実家はお寺だったから、私はそういうものに対して敏感なだけですよ」
「実家がお寺……? やはりそういう育った境遇みたいなものも関係してくるのか」
「別に境遇などではなく、話はもっと単純で信じるか信じないかの話だと思います」
要するに僕を、信じるか信じないか。その判断が僕の姿が見えるか否かを分けているのだと奏さんは言う。だとすると幽霊嫌いの茜に、僕の姿なんて見えるわけない。仮に奏さんの話がその通りだとして、今の僕を作り出したのが茜で、だけどその茜に僕の姿が見えないとは、なんとも皮肉としか言いようがないじゃないか。
「今の君は、本当に偶然の産物だと思います。茜さんは先月末くらいから精神的に病んでしまい、アイドル活動を自粛しています。茜さん本人からはなぜそんなことになったのか、事務所の社長にも伝えられていないようです。でも君がこうしてここに現れたということは、きっとその理由は君だってことですよね?」
「……ああ。多分僕だ。僕が死んだのが、その先月末だったから」
「だとすると、君のするべきことって何だと思いますか?」
「僕の、するべきこと?」
「容易に、君の姿を茜さんが全く見えないと決めつけない方がいいと言ってます」
それに僕が反論する前に、奏さんは人差し指を一本、その小さな口元に立てて、僕の口をすっと塞いでくる。茜が目を覚まし、黒く大きな円らな瞳をぱちくりとさせていたんだ。
「ああ、ごめん。あたし、疲れちゃったのかな? 奏ちゃんの荷物の片付けを手伝うつもりが、かえって邪魔しちゃってごめんね」
「別に大丈夫です。ちょっと雑談していただけですから」
「え、誰かいたの?」
「大丈夫です。誰もいません」
奏さんは茜を安心させることを優先させたようだ。また僕の話になり幽霊嫌いの茜が再びここで倒れられたら、それこそ茜の心臓の方が止まってしまうんじゃないかって、そう思えなくもなく。
「あ、もうこんな時間なんだね。あたし先にお風呂に入ってこようかな」
「はい。お陰様で荷物もほとんど片付いていますし、あとは私一人でできますから、茜さんはゆっくりお風呂入ってきてください」
「うん。じゃああたし、行ってくるね」
そう言うと間髪を入れずに、茜は奏さんの部屋を出ていった。恐らく風呂場へ向かったのだろう。あの頃と変わらない茜の後ろ姿を見届けても、僕はそのまま奏さんの部屋で足を止めていた。
「今日は女子風呂を覗きに行かなくていいんですか?」
「って、あのなぁ……」
もっとも僕の迷いなど、にっこり笑う奏さんにはお見通しだったようだけど。
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