もう一度、君に逢いたくて
Lesson1: チロルハイムという居場所
もし朝食がお好み焼きだったら
カレンダー的には七月の、もうすぐ中旬だったはずだ。先月末に自由を奪われた僕は、昨晩どうにかこの女子寮へと辿り着いていた。夏の強い日差しは眩しくて、暑さだってほどほどのはずなのに、奇妙にもそれを不快とは思わない。かといえ心地よいとも感じない。自分というものを失われてしまったこの身体は、なにひとつ感じ取ることもできず、それはどうにも不可解という他なかった。
茜の気配だけを頼りに、ここチロルハイムと呼ばれる女子寮にやってきた。とはいえ、建物の外見は喫茶店だ。どうやら寮への入口は喫茶店になっているらしく、喫茶店は朝晩になると寮の食堂として利用されるらしい。まだ喫茶店の昼間の姿は拝見していないが、この豆の仄かな香り、きっと素敵なコーヒーで多くの客を魅了しているのだろう。もちろん僕にはその味を堪能することはできないけど、その光景だけは容易に想像できた。いつも喫茶店は満席で、客はいつも笑っていて……。
だけど最近、そんな寮で楽しく暮らしているはずの茜の気配が小さくなっていたんだ。そのせいでこの女子寮を探し当てるまでに、半月以上かかってしまった。
昨晩ようやく彼女の気配を強く感じた場所が、たまたま寮のお風呂場だったという話。だからあの少女の言うように、茜の覗きをしたかったわけではないことを、強く宣言しておきたい。
「おい真奈海! いくら
「いいじゃないユーイチ。わたしお好み焼き大好きだもん」
「しかし朝からよくこんな時間かけてお好み焼きなんて作れたもんだな?」
「奏ちゃんの引っ越しが夏休みでわたしも助かったよ。夏休み万歳ってやつだね!」
僕がチロルハイムと呼ばれる女子寮にやってきて、最初の朝。それは……何とも表現し難い、学園ハーレムラノベのような光景だった。管理人と思しき『ユーイチ』と呼ばれる男子高生一人に対して、職業アイドルと思しき女子高生美女が四人! しかもそのうちの一人は茜も絶大な憧れを抱いていた元国民的女優の春日瑠海さんじゃないか!! 瑠海さんが真奈海と呼ばれているのは、恐らく瑠海が芸名だからだろう。そんな女子寮という場所のせいだろうか、朝日を浴びた喫茶店の光景がとても華々しく、何もかもが輝いて見える。
とはいえ、何だろ。ユーイチとか呼ばれるあの管理人のこの姿は。
「すみません。引っ越しがこんな遅い日程になってしまって。本当ならもう少し早く引っ越してくる予定だったのですが、急に家業の手伝いを押し付けられてしまって」
「気にしなくていいよ。この時期の方があたしたち夏休みで暇だし。奏さんの引っ越しの荷物、今日届くんだよね?」
「はい。でも
「あ、ちなみにあたしの名前は未来じゃなくて霧ヶ峰美歌。そっちは瑠海じゃなくて春日真奈海ね。茜ちゃんはそのまんま蓼科茜ちゃんだけど、ちなみにそいつは管理人の大山優一くん。この寮ではみんなお互い様の生活してるから、事務所の先輩とか後輩とか気を遣わなくていいよ」
「美歌の言う通りだ。真奈海のようにちょっと我儘な先輩もいるけど、基本は気にしなくていいからな」
「ちょっとユーイチ! わたしが我儘ってどういう意味よ!?」
芸能界では春日瑠海こと真奈海さんが、優一の頭をぽかぽか叩く。側から見てるといちゃついてるバカップルにしか見えないのは気のせいか。これがテレビの中で憧れた春日瑠海の本性だと知ると、ややドン引きしてしまうほどでもあった。
「おい美歌。頼むから黙って見てないで、そろそろ真奈海の暴走を止めてくれ」
「は? 知らないわよ。朝からいちゃついてくれちゃって、馬鹿みたい」
「……って美歌さん? 今朝はいつにも増して僕に冷たくないですか?」
「別に。あたしはただ、昨日まで201号室にいたはずの真奈海が、101号室に勝手に引っ越してたからって、何とも思いませんけどね」
「ひょっとして美歌…………妬いてるの?」
「ふざけないでよ真奈海。どうしてそこであたしがこんなやつ相手に嫉妬しなきゃならないのよ!」
「あのな。僕だって、気づいたら真奈海が101号室に引っ越してきたという状態で……」
「当然じゃない。管理人室のすぐ隣の101号室は、管理人の家族が住む部屋だって昔から決まってるんだから。引っ越してきたばかりの奏ちゃんの隣の部屋が実は男子部屋でしたって話だと、さすがに奏ちゃんにも申し訳ないでしょ?」
「待て待て。前提の話からして明らかに狂ってるよな?」
「ちょっと真奈海! 誰と誰が家族だっていうのよ!?」
「わたしとユーイチは家族同然だもん。社長の許可だってちゃんと取ったし」
真奈海さんは両腕でぎゅっとすぐ隣に座っていた優一の右手をホールドした。その右手はすっぽりと真奈海さんのふくよかな胸の谷間まで運ばれていき、優一の顔が明らかに歪んでいく。
……駄目だ。こんな歪んだ女子寮では。これでは茜のペースまですっかり乱されてしまう。今朝だって茜はこんな会話にちっとも入ってこなくて、黙々とお好み焼きを口に運んでるだけ……。
「あの、茜さん。大丈夫ですか? 顔色が優れないようですけど」
と、そんなことを考える僕の傍、つい先ほど例の花言葉を僕に教えてくれた口調で、茜に声をかけたのは、奏さんだった。まるでその口振りは僕に語りかけるようでもあって……。
そういえば奏さん、今もこうして喫茶店のカウンターで覗き見してる僕の姿を、ちゃんと確認しているはずなんだよね。
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