第13話 行ってきます
「ユウキとレニィさんまだ戻ってきてないんですか!?」
「はい。お二人はまだお戻りになられていません」
領主邸に戻ったシスターとメリアは、早速壁の上での出来事を伝えようとしたものの、2人はおらず残っていたのはセラだけだった。
「うーん困りましたね。どうしましょうか」
「何かあったのですか?」
「セラさんには先にお話ししますと、実はさっきですね…」
シスターは壁の上で感じた異変と教会についてセラに説明する。
終始、無表情のまま話を聞いていたセラは、シスターが話終えると「少々お待ちください」と席を外した。そしてしばらくすると、セラの腕の倍はある大きく丸められた紙を持って戻ってきた。
机の上いっぱいにそれを広げると、どうやらベルダンシアと周辺が描かれた地図であることが分かった。
「教会が見えたというのはどのあたりですか?」
「確かこのあたりです」
シスターは地図を覗き、ベルダンシアの東側に描かれている森に指を指した。
「本当にこの辺りですか?」
「はい。壁の上から見えたのはこの辺かなと。ね?メリアさん」
「うん。この辺りだよ」
「…」
地図を見つめたままセラが黙り込む。
感情の起伏が分かりづらい彼女の表情が、僅かに困惑の色を帯びている。
「セラさん?どうかしました?」
メリアの問い掛けにセラは、どうにも逡巡とした様子で口を開いた。
「この地図は、魔源素を流せばベルダンシア全域とその周辺を事細かに、リアルタイムで写し出すことが出来ます。例えば、本来は"何もない森"に教会が建てられれば、教会やその周辺の状況も即座に写し出されるのです」
セラの説明を受け、シスターはもう一度地図を覗き込んだ。しかしどれだけ森の方を見ても、教会も、それらしき建物も何も写っていない。
シスターが顔を上げると、セラがそれに応えるように言葉を続けた。
「お気づきになられたとは思いますが、教会がこの地図のどこにも写っていないのです。こんなこと今までにも前列がありません」
「そしたらあの教会は見間違い?いやでも…」
見間違いな筈がないと、本当は分かっている。教会から風と共に流れ出ていた黒い霧。見た瞬間に走った悪寒を今でも思い出せる。
しかし、ならば何故この地図には教会が写っていないのか。その説明がどうしてもつかない。
「さらに言うとこの位置ならば、シスター様とメリア様が気づくよりも先に守衛の方々が見つけ、報告しているでしょう。しかし、そのような報告は今まで1度も受けておりません。お二人が嘘を吐いているとは考えがたいですが、正直なところ信じがたい話ではございます」
次々に並べられる事実が枷となっていく。謎は深まるだけでなく形を変えて増えていき、どれだけ思考を凝らしてみても、道が塞がれていくような感覚に陥る。
部屋中を静寂と疑念が支配するなか、「そしたらさ」とメリアが声を上げた。シスターとセラの視線がメリアに一気に集まる。
「教会に行ってみてもいいんじゃないかな?このままここで話していても何も解決策は出てこないし、それに、私達が見た黒い霧がベルダンシアにくる前に動かなきゃ。多分だけど、時間はあんまりないと思う」
メリアから発せられた提案にセラは沈思黙考しながらも、やがて頷くと同意の言葉を口にした。
「そうですね。ユウキ様とレニィ様が戻り次第、すぐに教会の調査に…」
「セラさん?」
不意にセラの言葉が途切れた。
眉をひそめながら扉を直視するセラに倣って扉の方に視線を向けていると、徐々に廊下を駆ける足音が聴こえてきた。徐々に大きくなる足音が聴こえてきたのはほんの少しの間で、シスター達のいる部屋の前に差し掛かると足音は止み、間もなくしてノック音が響き渡った。
「どうぞ」
「失礼致します」
セラの返事を受け扉が開かれると、そこには若い一人の衛兵が立っていた。
「何かあったのですか?」
先程と変わらぬ面持ちでセラが衛兵に聞く。
衛兵は額に滲んだ汗を拭い、荒い呼吸を整えると不安げな面持ちで話し始めた。
「大量の魔獣が、ベルダンシアへ押し寄せています」
衛兵からの思いもしない報告に、セラの目が大きく見開いた。そんなセラの様子を気に止めることもなく衛兵は報告を続ける。
「守衛からの報告によると、確認されている大量の魔獣は全て犬型の魔獣で、正門のある南区域と東区域を中心に向かってきており、到着までは15分も無いとのこと。リベル兵士長の指揮により、兵は正門と東の区域に厚く配置、ギルドには向かえる傭兵がいたらただちに向かわせるように要請しております」
「15分か」
セラの表情が見る見るうちに曇っていく。とは言っても当然の事だろう。事態があまりにも急変し過ぎている。この短時間で、今にも戦いの火蓋が切って落とされようとしているのだ。
シスターも衛兵からの報告を聞いてから心臓の音がうるさくて堪らないけれど、セラの心臓は自分以上により酷く高鳴っていることだろう。
シスターは小さく息を吐き出すと、グッと息を深く吸い込んだ。
「うーん、王様から何を貰いましょう」
再び静まり返ってしまった室内に、シスターの声が通り抜ける。シスターのあまりにも場違いな発言にセラが呆気にとられているが、そんなのは関係ない。
耳元で大きく鳴り続ける心臓の鼓動に負けぬように、いつもより声を大きくして。
「教会もリフォームしたいし、この修道服も長いこと着ていますし、新しく仕立て直して欲しいなぁ。ねっメリアさん!メリアさんは何が欲しいですか?」
シスターの言葉に対して、今メリアの頭のなかには疑問符が浮かんでいることだろう。それでもシスターは、意図を伝えるために真っ直ぐにメリアの目を見つめる。
目線を変えることなく見つめるシスターに、メリアは若干戸惑いながらもすぐに意図に気づくことができた。シスターに向けて小さく微笑むと、メリアは頷き出した。
「そうだねぇ~。私はやっぱり美味しいものが食べたいなぁ。好きなときにお城のご飯とか食べさせてくれたら嬉しいな~!」
「それもいいですね!どうしよう迷います!」
「お二人とも、こんな時に何をご冗談を仰っているのですか」
口を開け呆然としていたセラが我に返ったのか、眉をハの字に変えて俯いた。困惑と不安を織り混ぜて続ける。
「今から…戦いが始まるのですよ?そういうことは軽々しく口にしないでください。せめて勝ってから仰ってください」
「それなら大丈夫ですね!」
シスターの言葉にセラはゆっくりと顔を上げる。
今日はセラの顔から色んな感情が分かるなぁ。これは楽しいかもしれない。
シスターは満面の笑みで胸を叩くと、いつもの調子で自信に満ちた言葉を次々と並べ出した。
「ベルダンシアに誰が来たと思ってるんですか?村人Aのユウキと、こちらの凄腕剣士のメリアさん、そしてこの、超絶天才美少女シスターの私がいるんですから!負けるわけがないんですよ!」
「それに魔獣が押し寄せているのならちょうどいいよねぇ。魔獣のついでに教会まで行ってくるよ。明日からゆっくり出来るなぁ~」
「ですね!だから何も心配することはありませんよ!セラさん!」
シスターはセラの手を握り、にっこりと笑い掛ける。
セラは驚きながらも、眉間からはどんどん力が抜け、次第に余裕を取り戻していくのが見て分かった。極めつけはシスターに向けて初めて、優しい微笑みを見せたことだった。
瞼を閉じ1度深呼吸をしてから目を開くと、そこにはいつもの感情の読み取りづらい、無表情のままのセラがいた。
「報告ありがとうございます。まずは南区域と東区域の住民を領主邸に向けて避難させてください。これは最優先です。ある程度避難し終えたら、念のため西区域と北区域の住民の避難もよろしくお願いします。なるべく不安を煽らないように避難させてください」
地図を使って避難経路の確認をすると、続いて先の戦いに向けた指示を口にしていく。
「まず正門側は攻めなくていいです。防衛、撃退を心がけてください。前衛には騎士を、後衛には魔術師を配置。医療班は魔術師のすぐ後ろでサポートに徹してください。レニィ様が到着するまではリベル兵士長に指揮権を委ねます。そして東区域側。こちらは簡単です。調査と討伐になります。勿論防衛班を配置させた上で、別れての行動となります」
セラは言葉を区切ると、シスターとメリアの方を向き直し一息吸い込む。
「東区域側はシスター様、メリア様にお任せします。信じていますよ」
セラの指示にシスターとメリアは、互いに顔を見合わせるとニッと笑い合い、出口に向かって歩き出した。
「あ~あ。それにしてもユウキはかわいそうですね。王都で話したように、結局褒美を頂けるのは私とメリアさんだけなんですから」
「まあ留守なのが悪いから仕方ないね~。それよりしーちゃん!明日はイーストメイカー行かない?上から見るだけじゃ勿体ないよ!」
「いいですねー!そうしましょうか!」
扉をくぐり振り返ると、2人はセラに向けて手を振ってみせた。
「「行ってきます!」」
それはまるでこれからピクニックにでも行くような、そんな無邪気さを感じさせながら2人は領主邸を後にした。
「はいはい皆こっちだよ~」
次から次へとやってくる魔獣を全て薙ぎ倒し、兵を引き連れ森の中を進んでいく。
メリアを先頭にシスターと衛兵達は、教会を目指して草木を掻き分けながら歩みを進めていた。
今回の件について深く関わっているであろう突然現れた教会と、そこから漏れ出る黒い霧。その真意を突き止めるために。
「よいしょ~~」
メリアが犬型の魔獣を笑顔で叩き切り、軽々しくふっ飛ばしていく。他の兵もメリアのようにはいかずとも、上手く連携を重ね、常に多対一を意識しながら倒していく。
順調に魔獣を倒し教会を目指す。そう。順調なのだ。なのに、引っ掛かる。
ここまで倒してきた魔獣の数は多かったけれど、言う程だろうか?それほど力を増している訳でもない。むしろ自分達を迎え入れているような。それはまるでーーー
「しーちゃん!!」
メリアの一声により意識が引き戻された。走りながら感じていた違和感に足をとられ、襲い掛かってくる魔獣に反応が遅れる。
噛まれたらひとたまりもないであろう鋭く尖った牙は、今にもシスターに届こうとしている。
だめだ。何をしても間に合わない。
目を閉じようとしたその時、シスターの顔の前を物凄い速さで何かが通りすぎていった。それは魔獣を貫き、そのまま抱えるようにして後ろに生えていた木に突き刺さると、ようやくその動きを止めた。
危なかったぁ…。
ピクリとも動かなくなった魔獣と身の安全を確認し、息を漏らしながら胸を撫で下ろしていると、後ろから頭を軽く小突かれる。
「こーらしーちゃん!危ないでしょ!」
「ご、ごめんなさい!」
「もうー。怪我はない?」
「怪我はありません。大丈夫です」
「良かったぁ。もう余所見しちゃダメだからね?」
シスターに注意を促しながらも、安堵の表情を浮かべながら剣の刺さった木に向かって歩いていく。木の前に立ったメリアは、柄を握ると一気に引き抜き、その場で付着した血を振り払うと鞘に納めた。
気持ちのいい金属音が鳴り響くと同時に、シスターの肌がピリピリと何かに反応しだした。シスターは壁の上にいた時と同じように、異変を感じる方へ視線を移す。
「メリアさん。向こうのって」
「これさっきのやつだね。もうここまで来てるのか」
シスターとメリアが向ける視線の先には、黒い霧が辺りを覆い尽くしていた。
森の中と言えども、日の光は木々の間をすり抜け、視界に問題ない明るさを常に保ち続けている。
だがあの先は黒い霧の影響か、昼時にも関わらずとても暗く、奥が見えないくらいには視界が悪い。壁の上で見たときよりも一層陰鬱とした雰囲気を漂わせる。
「皆聞いて!」
メリアは振り向き、声を大きくして衛兵達に語り掛ける。
「この先は本当に危ないから、前に進むことよりも、死なないようにするんだよ!体調悪くなったりとか、何かあったらすぐに離脱すること!最大限私が守るからね!大丈夫だよ!」
指揮を上げるには問題ない、なんなら効果が有りすぎるくらいだろうの注意が勧告される。笑顔で大丈夫だと言いきるメリアに、衛兵達は声と拳を上げて応じていく。
「うおおおおお!!!」
「お二人のためなら死ねます!!!」
「自分を盾にしてください!!!」
「お前らァ!!お二人のためなら命を惜しむなァ!!!」
「金髪剣士と白髪シスター万歳!!!」
大丈夫ですかこれ。返って死にかねないような気もしますが。
共に戦地へ向かう兵を、修道女として祈りを捧げることのないようにと密かに願う。
「皆!行くよ!」
メリアの掛け声に合わせて、シスター達は霧の中へ飛び込んだ。
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