第14話 霧の向こう側
「どういうことですかこれは…」
黒い霧に飛び込んだシスターは、眼前に映る光景に己の眼を疑った。
飛び込んだ先に広がっていたのは、燦々と降り注ぐ日の光と晴天が見下ろす1つの村だった。黒い霧も、あんなに生い茂っていた沢山の木々も、どこにも見当たらない。
そこに広がっていたのは大きく開けた道を挟むようにして、等間隔に建てられた民家。しかしそこに人々が生活している様子はなく、扉は破壊されていたり、屋根には大きな穴が空いていたりと酷く荒れていた。
ここには長いこと人の住んでいない、所謂廃村であることに間違いはなかった。
「これはちょっと予想外かな~。セラさんに見せてもらった地図にはこんな村は無かったし」
首をかしげながらも普段通りに笑顔で話すメリアだが、シスターにはどこか少し緊張しているようにも見えた。
「教会の次は村ですか…。まだ日も跨いでませんよ?もしかしてこれ、夢だったりします?」
「そうだといいんだけど、悲しいかな現実なんだよね~」
メリアは近くの民家に近づき扉をノックするように木製の壁を叩くと、かなり腐敗していたのか直ぐ様音を立てて崩れていった。
「それにさ、ほら」
メリアが道の先を指す。指差した方向を向くと、壁の上でうっすらと見えた教会が道の先でそびえ立っていた。この道はおそらく、教会へと辿り着くために整備された一本道なのだろう。
「一先ずこの状況、セラさんに伝えた方がいいんじゃないですか?」
「そうだねぇ。そしたら5人くらいに行ってもらおうかな」
シスターは首を縦に振ると、後ろ手に待機している兵の方へ振り返った。だがその視線の先にシスターは微かな違和感に気づいた。
「あれ?」
いつの間に自分達はこんなに進んでいたのだろうか?振り返った先に映る兵。その後ろには見覚えのない道があった。しかしここは今、自分達が霧を抜けて出てきたばっかりで全く進んでいない。
それならばこれは。
「ッ!」
シスターは瞬時に霧に向かって走りだした。兵の間を割って入るように進み、霧の前まで辿り着くとその場でしゃごみこむ。
霧が進むに連れてそこから少しずつ、新たな土地が、建物が、植物が現れる。それはベルダンシア、引いてはこの国セリノアで目にすることのないものばかりだった。
この霧は自分達から離れているのではない。最初から進んでいたではないか。
「そういうことですかッ…!」
魔獣の大量発生。突如として現れた教会と、そこから漏れ出でて森を飲みこむ黒い霧。霧を抜けた先で突如消えた森と、目の前に広がる知らない村。今この瞬間も徐々に飲み込もうと進み続ける霧。
たった1つ辿り着いた可能性は、考え得る中で最も最悪を予期していた。
「しーちゃん?急にどうしたの?」
後ろから心配そうにメリアが駆け寄り、シスターに問い掛ける。シスターは顔を伏せたまま、最悪とも言い切れる仮説について淡々と話し出した。
「この黒い霧がなんなのか分かったかもしれません」
「えっ本当に?」
「はい。まず結論からすると、このままだとベルダンシアはかなり危ないです。時と共に滅びます。しかも、時間もあまりありません」
「滅びる?それってどういうこと?」
「私達はずっと教会がこの黒い霧を生み出していると考えていました。どう見たって教会から漏れ出ていましたからね。けれどそれが間違いだったんです」
「間違い?教会じゃないなら…。それってまさか」
「そのまさかです。教会もこの村も、全てこの霧が作り出している可能性が高いです。黒い霧が村を作り出しているのなら、これが進めばどうなるのか」
「霧がベルダンシアを飲み込んだら、ベルダンシアはこの村へと形を変えて実質滅びるってこと?」
「そういうことです」
「それは…かなりまずいね」
メリアは兵達の方へ向き直し見渡すと、5人の兵を選び、手短に事の次第を伝えていく。
少しすると話し終えたのか、5人の兵達は駆け足で再び黒い霧を抜けていった。
「とりあえずセラさんに伝えに行ってもらったから、私達は前に進もう。黒い霧をどうにか止める方法を探さなくちゃ」
「そうですね。行きましょう」
教会に向かって歩み出そうとするも、その足はすぐに止まり、瞬時に一行を臨戦態勢へと変えた。
民家の陰から次々と姿を現す魔獣に、シスターは舌打ちしそうになる。森のなかにいた頃よりも、明らかに数が違う。あまりにも多いのだ。
「やっばいな~これ」
鞘から剣を引き抜きながらメリアが口にする。
「皆。分かってると思うけどさっきまでと違って数がかなり多い。だから本当に、身の安全を第一にね」
メリアの言葉に、兵達も続々と剣を抜き構え始める。シスターもいつでも治癒の魔法を使えるように身構える。
「死んじゃダメだよ!大丈夫。誰も死なせないから!」
メリアが走り出したのを合図に、戦いの火蓋は切って落とされた。
*
「前に進みすぎちゃダメだよ!ゆっくりでいいから!囲まれると危ないから常に3人1組で、後ろは取られないように!怪我をしたらすぐに下がること!わかった!?」
メリアの指揮に兵達が声を上げて応える。戦いが始まりどれくらい経っただろうか。
一行はジリジリと教会に向かって少しずつ進み出していた。優勢とまではいかないながらも、今のところ致命傷を負った兵もおらず、魔獣の討伐も滞りない。
ただ1つ問題があるとするならば、増え続ける魔獣に、こちら側が限界を迎えるのも時間の問題だということ。
先程から微々たる差ではあるけれど、兵一人一人の動きが鈍くなってきている。
それをメリアの火力とシスターの治癒魔法で上手くカバーすることで、やっと2割進むことが出来た。けれど、この方法もずっとはできない。やがて訪れる限界と共に崩壊するだろう。
「少しでも負傷した方は私のもとへ!」
下がる兵に空かさず治癒魔法を掛ける。
緑の光の膜で傷口を覆うと、見る見る内に傷口は止血され、痛みを緩和させていく。
「ぐあっ!」
声のした方へ向くと兵が一人、魔獣によって勢いよく吹っ飛ばされていた。
倒れてうずくまる兵にシスターは瞬時に治癒魔法を掛ける。その間、その兵の空いた穴を埋めるようにメリアが直ぐ様駆け寄り、魔獣を斬り裂き、またすぐに違う兵の元へ移動し魔獣に斬りかかる。
絶え間なく動き続けてくれているメリアのお陰で、この状況も成り立っている。それでもこのままじゃ。
少しずつ進んではいるが、大きく前進するだけのきっかけは未だ作れてはいない。
思考を凝らす。周りを良く観察する。戦況を変えるだけの何かを見つけ出すために。
「しーちゃん!こっちの人いける!?」
「すぐ向かいます!」
治癒魔法をある程度掛け終えるとシスターはメリアの声がした方へ走り出した。戦いの邪魔にならないよう、しかしながら最短のルートで駆けて向かう
「メリアさん!」
「正面のお家の中!」
メリアの声に従って今にも崩れそうな民家へ駆け込むと、壁にもたれて苦しそうに息を上げている兵がいた。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫…です…。少し噛まれただけなので…」
「どこですか!見せてください!」
兵をよく見ると、右腕をダランと下ろしていた。シスターは右腕の鎧を外し袖を捲ると、一目でただの傷ではないことが確認できた。
傷口が紫色に変色している…!
一目で毒であることを理解したシスターは、右手で傷口に治癒魔法を当てながら左手で解毒魔法を展開する。左手に魔力を込めると、徐々に白い光の膜が覆い始めた。
「うあ゛あ゛!!」
「我慢してください!!」
兵にそう言い聞かせ、傷口を真っ直ぐ見る。汗が滲み、額から鼻先へと一気に流れていく。
紫色の絵の具を水に垂らしたかの様に、白い光の膜は徐々に紫色へと染まっていった。
「うぅ…!」
やがて紫色だった傷口は徐々に元の色味を帯びていき、それと比例するように兵の様子も穏やかになっていく。
「これで大丈夫です!良く頑張りました!」
止血と解毒がされていることを確認すると、シスターは民家を飛び出て再び戦場へ向かって駆け出す。
「皆さん!毒を持っている個体が確認されました!気をつけてください!異変を感じたらすぐに私のもとへ来てください!」
兵に注意を促しつつ、怪我人の元へすぐに近づき治癒魔法を掛ける。
まずい…。
少しずつ怪我人が増えてきている。しかも毒を持つ魔獣も出現し始めている。このままだとジリ貧だ。それに魔力ももう自分が持てる量の半分に差し掛かっている。何かないのか。この状況を変えるだけの何か。
「あっ」
もしかしたらこの状況を打破できるかもしれない。
シスターの脳裏によぎったのは、博打に近い1つの可能性と、思い出したくもない過去の過ちだった。成功する確率は50%。外した場合もどうなるかは分からない。こちらにも被害が及ぶかもしれない。魔力量を考えても、1度切りの勝負となる。どうする。
「勿論、やるしかないですよ…!」
自らに問い掛けるも既に答えは出ていた。
どちらにしてもこのままだと、自分達は負ける。ならば確率の高い方に賭けるしかないだろう。
こんなときなのに自然と口角が上がっていることにシスターは気づいた。
「メリアさん!!」
シスターが声高にメリアを呼ぶとすぐにメリアは側に並び立ち、シスターを横目に見る。
「どうしたの!しーちゃん!」
「私が合図するまで少し時間を稼いで欲しいです。メリアさんだけで」
「ちょっとしーちゃん?か~なりキツいこと言うね?」
「やっぱり無理ですか?」
「んーん?任せて~?」
剣を構え直したメリアは姿勢を低くすると次の瞬間、地面を割り、思いきり飛び上がると空高く舞い上がった。そのまま魔獣の群れ向かって飛び込むと、まるで風船が弾けるように魔獣が四方へ散っていく。
「皆さん!私より後ろに下がって離れてください!」
閃光のように戦場を移動して魔獣を倒していくメリアを見やると、直ぐ様シスターは周りの兵に被害を負わないための指示を出す。
兵がシスターよりも後ろに下がり、前にはメリアだけがいることを確認すると、目を閉じ、右手を前にかざした。
魔法。それは奇跡の力。体内に蓄積した魔源素を己の望んだ力に変えることの出来る唯一の手段。
魔源素を何に変えたいのか、どう変えたいのかイメージすること、すなわち『
かざした右手の先に魔方陣が浮かび上がる。
よし、これでいけるはず…!
「メリアさん!下がって!!」
「わかった!」
メリアは再び地面を蹴ると、体を反るようにしてこちらに戻ってくる。
「頼みます!あの頃の私ッ!!!」
甦る記憶。思い出と呼ぶにはあまりにも苦々しい過去の過ち。昔に読んだ魔法使いの物語に影響を受けたシスターが、マザーに初めて教わった火の魔法。きっと火を灯すだけだと思っていたのだろう。シスター自身もそう思っていた。
いざ魔方陣から放たれた爆炎は教会を飲み込み、跡形もなく消し去った。あの時のマザーの表情は、死んでも忘れないだろう。
思い出したくもない事だけれど、今ここであの日を再現することが出来れば、それは間違いなく大きな1歩となる。
目を見開き、無数に広がる魔獣の群れ目掛けて魔法を放つ。展開された魔方陣から、爆炎がうねりを上げて姿を見せた。
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