第15話 おっそいです

「んなああああああ!!」


 魔方陣から放たれた爆炎は、民家も魔獣も、シスターの目の前に映る全てを一瞬にして飲み込んだ。

 轟音は空気を震わせ、肌を殴り付けるように伝わってくる。威力による反動で吹き飛びそうになりながらも、どうにか踏ん張って堪える。


 目の前の焔が激しい熱を帯びているのを、文字通りその身で感じる。かざした右腕の袖先が、引火によって徐々に燃え散っていく。顕になった陶器のように白いシスターの腕も、今にも燃え出しそうな程真っ赤に染まっていた。

 それに気付くことも出来ないくらい、シスターは全神経をこの爆炎に注いでいた。魔力も、集中力も、一瞬の気の緩みも油断も為らない。汗ばんだ額に張り付く髪も燃え散る袖も、ましてや痛みですら感じないでいた。


「くぅっ…」


 しばらくして体内の魔力が尽きかけているのか、少しずつ爆炎の威力は弱まっていった。視界いっぱいに広がっていた炎の壁が段々と萎むように小さくなっていく。


「これで…どうにか…」


 息を切らしながら膝から崩れ落ちる。ほんの少し残った魔力を絞り出し、右手に治癒魔法を掛けていく。

 手応えはある。恐らく賭けには勝った筈だ。

 遅れてやってきた痛みが右腕に走る。大量の針を突き刺されたような痛みは、治癒魔法をかけているのにも関わらず腕中を駆け回った。


 安心感と痛みに左右されていた次の瞬間、揺らめく炎を掻き分け1匹の魔獣がシスター目掛けて襲いかかった。

 皮膚は爛れ、所々焼き焦げている魔獣は、一蹴りで絶命するだろう。大きく開けた口には、今にも抜けそうな心許ない牙をぶら下げている。しかし、シスターを噛み殺すにはそれだけで充分だった。

 回避を試みるも、体が動かない。その間にも剥き出した牙はシスターとの距離を縮めていく。


 あぁ…。死にましたねぇ…。


 無意識に笑顔が生まれる。顎先を掴んでいた汗が、目の前を走る剣閃と共に地面に斑模様を作った。魔獣はか細い鳴き声を上げ地面を転がると、息絶えたのかピクリとも動かなくなった。

 シスターが顔を上げると、目の前には一人の青年が立っていた。

 魔獣を仕留めた青年は剣を振り払い、腰に下げた鞘に納めると後ろを振り返った。


「ようシスター。何か言うことある?」


「…おっそいです」


 笑って応えるシスターに笑顔で返すユウキの足元には、もう1つの斑模様が出来ていた。




 シスターの無事を確認したユウキは、安心感でその場に倒れこみそうになるのを我慢する。理由は簡単だ、それでは格好がつかない。


「つかなんでそんなボロボロなの?大丈夫?」


「全然大丈夫じゃないので魔力ください。それか治癒魔法かけてください」


「治癒魔法は使えないし、魔力は渡し方が分からないんだけど」


「ハァ…手握って下さい」


「手?分かった」


 ユウキは言われたとおりに自分の手を握る。その光景にシスターは一瞬目を丸くし、すぐに我に返った。


「ちょっ自分の手握ってどうするんですか!?私のです私の!」


「あっそういうことか!ごめんごめん!」


 気を取り直してユウキはシスターの左手を握る。しっかりと握られた手を見るや、シスターはニヤリと笑いだすと、途端に握った手が光り始めた。


「えっなにこれ!めっちゃ光ってるすげぇ!」


「ハッハッハー!どうです!なんだか疲れてきませんか!?」


「ん?いや特には」


「え?嘘?本当に?今ユウキから物凄い量の魔力を吸い取ったんですけど。苦しむ顔が見たかったのに」


「あれ?俺ら仲間だよね?」


 この修道女、実は俺のことが嫌いなのだろうか?

 進んで苦しませようとするシスターに、ユウキは自分達の関係を疑う。


「しーちゃん大丈夫!?」


 シスターの後ろからメリアが走ってこちらに向かってくるのが見えた。

 シスターに駆け寄りながら「ヒール!」と叫ぶと、即座に治癒魔法が展開されシスターを緑の光の膜が包みこむ。


「ありがとうございますメリアさん。私は大丈夫ですよ」


「全然大丈夫じゃない!何をするのかと思ったら特大の火の魔術使うし、そしたらボロボロだし、また魔獣に襲われそうになるし、凄い心配したんだからね!?」


「あれシスターがやってたの?てっきりメリアがやったのかと思ってたんだけど」


「ふふんそうですよユウキ。あれは私が出した火の魔法なんです」


「なに自慢気にしてるのしーちゃん?私今怒ってるんだけど?」


「すみません」


「全く…危ないんだから」


 怒るメリアと、怒られたことで小さくなっているシスターを物珍しく眺めていると、ユウキは不意にここにくるまでの出来事を思い出した。


「そういえば2人とも、あの黒い霧ってなんなの?良くないものなんだろうなとは思ってるんだけど」


 言うかどうかを一瞬躊躇いながらも、シスターは物憂げな表情を浮かべ口を開いた。


「あれがなんなのかはまだ分かっていませんが、かなり良くないものです。もしかしたらベルダンシアが滅びます」


「はぁ!?なんだそりゃどういうことだよ?」


 思わず声が大きくなる。

 そんなこと急に言われても困る。自分がいない間にあまりにも展開が進みすぎていて、話に追いつけない。一体何があったというのだ。


「ユウキくんはこの村にどうやって来た?」


 メリアの問い掛けに、ユウキはここに辿り着くまでの自分の行動を思い返す。


「どうやってって…森の中走って霧を抜けて来たけど」


「そうだよね?でも今私達がいるこの村は、森のなかにもベルダンシアにも存在しないんだ」


「存在しない?」


「えぇ」


 メリアからの治療を終え、座り込んでいたシスターがユウキを見上げる。


「この村はベルダンシアには存在しない村で、この霧が作り出しているものと考えています」


「なるほど?」


「この霧は今もベルダンシアに向かって進んでいるんですよ。森をこの村に変えながら」


「…そうか。つまりあれか、この霧がベルダンシアに着いたら廃村になるってことだから詰みなのか」


「そういうことです。なので」


 シスターは勢いよく立ち上がると、ユウキの背後に指を差す。


「向かいましょう教会へ。今がチャンスです。さっきから行こう行こうって全然行けてないんです。行こう行こう詐欺してるんです」


「そ、そうなんか…?そしたらじゃあ行きますか」


 シスターは服についた砂をはたいて落とすと、堂々と焼け野原となった道を歩き始める。背にいる兵を引き連れて、ユウキはメリアと共にシスターの後を追うように教会へと足を進めた。

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