第21話 前門の虎、後門の狼

 ユウキに何もないことを確認したステラは、宙に浮き続けるシスターに近づき、手のひらサイズの魔法陣を展開させ手枷に手を伸ばした。

 ステラが枷に触れた途端、枷は元から鍵も錠もついていなかったと言わんばかりに簡単に外れ、シスターを容易く解放した。

 シスターを抱えユウキに近づくステラに、メリアの緊張が溶ける。


「ユウキくん、この人は?」


「あぁーえっと…」


「初めまして、メリアさん。俺の名前はステラ・ヴァリエス。君達の味方だ」


 ステラは手短に挨拶を済ませると、抱えていたシスターをメリアに渡し、そのまま手を顔の前に合わせた。


「メリアさん!会ったばかりで本当に申し訳無いんだけど、少しお願いしてもいい?俺はあの男をどうにかするから、メリアさんはここでユウキとシスターを守っていてくれないか?」


 一連の行動からステラから敵意がないことを確かめたメリアは、即座に頷き了解の意を示す。

 ステラは微笑み、手のひらに魔法陣を展開し横に振ると、魔法陣が砕け、散り散りになった魔力の欠片がユウキ達の周りに透明な壁を造り上げた。


「ありがとう!一応防御壁は展開したけど、何かあったときはお願い」


 ステラはそれだけ言い残すと正面を向き直し、立ち込める土煙の奥から、のそのそと這い出る黒ローブの男に視線を向ける。


「いったいなぁ。こんな速さで吹っ飛ばされるとは思わなかった。流石は星天の魔術師、ステラ・ヴァリエスと言ったところか」


 これは仕方ない、という風に笑い手品師は肩に付いた砂埃を払いながら、けれど気にもならないような素振りで淡々と話し出す。


「俺のことを知っているのか?」


「当たり前だよ。若くして数多の魔法を使いこなし、15歳の時には『光の魔法』を生み出しその第一人者として名を馳せた神童、ステラ・ヴァリエス」


「おぉ。10年も前のことを覚えてくれているなんて、なんだか光栄だよ」


「それはどうも。それで、そんな星天の魔術師様が何の用かな?貴方が今向かうべきなのはベルダンシアでは?」


「いいや、ベルダンシアにはもう行ったから必要ないよ」


 ステラは懐から巾着を1つ取り出し、中から結晶を1つ取り出して見せた。手の平に収まる大きさの結晶は、紫色の輝きを遠慮なく放っていた。それはまるで、紫有石が小さくなったかのようなものだった。手品師の上がった口角が、一瞬ピクリと反応する。


「この結晶は、ベルダンシア周辺に生えている木、それも他の木に比べて高さのある木に刺してあった。これを全て見つけるのは中々に骨が折れたよ」


 やれやれ、と言うように肩をすくめる。ステラは結晶を巾着にしまい、手品師に向かって投げる。巾着は弧を描きながら、手品師の手元に吸い込まれるかのように着地した。


「それ君のだろう?返すよ、手品師さん」


「…参ったな」


 俯いた男の表情がローブによって見え隠れする。ほんの少しも見逃すまいと注視していたユウキはこの時、1度も考えを読めなかったこの男から、ほんの少しだけ感情を読み取ることができた。それは焦りや戸惑いなどではなく、単純な楽しさだけ。情報を読み取れた筈なのに、何故か手品師に対して不可解な気持ちの悪さを抱いた。


「はぁ。いくらステラ・ヴァリエスでも、流石にバレないと思っていたんだけどなぁ。この様子だと正門の方も狩り尽くしたか」


「いやー大変だったよ。あの数だと、俺がいなかったらベルダンシアは滅んでいただろうね」


「やれやれ、僕の身にもなってほしいよ」


「残念だね。相手が悪い」


 軽口を叩き合う2人は端から見れば友人のようにしか見えないが、ユウキの目には互いの腹を探り合っている様に見えていた。

 手品師は巾着を懐にしまい「うーん」と唸ると、人差し指をピンと伸ばしステラに向けた。


「何故気づいた?あなたには魔力を読み取る力も何も無いでしょう」


「んーーー、勘かなぁ」


 腕を組み一頻り考えた後に出したステラの答えに、ユウキとメリアの口がポカンと開く。手品師は一瞬目を見開き、途端に大口を開けて笑い出した。


「なんだそれは…僕はそんなのに計画を台無しにされたのか…。あぁ面白い…」


 腹を抱え笑っていた手品師が何もない空間を掴むように手を握ると、またしてもその手には杖が握られていた。手品師はそのまま今も尚、奇怪な動きをする風呂敷へと足を向ける。


「怪しい動きは止してくれないか?こちらとしても穏便に済ませたいんだ」


 指の1本も動かさぬまま、ステラの周りに無数の魔法陣が展開される。その常人離れした光景に、ユウキは場違いにも感動していた。


「すっげぇ…なんだよこれ」


「本当にこの人何者なの?臨廻を1度にこんなにするなんて、私からしてもかなり凄いよ」


 天使であるメリアから見ても凄いなんて、このステラ・ヴァリエスという男は一体何者なのか?

 こんな時にシスターが起きていれば、何かしらの説明が聞けたかもしれなかったのに。世間知らずの農民と天使だけでは、「凄い人」という感想しか生まれないのだ。

 手品師はステラの制止に聞く耳も持たないまま、風呂敷の前で立ち止まり、ユウキ達に向けて手を振る。


「今日はこの辺で帰ることにするよ」


 手品師はそう言うと風呂敷に触れ、杖の先を床に打ち付けた。すると、手品師と風呂敷を包める程の、大きな魔法陣が足元に浮かび上がった。

 その時、ステラの展開していた無数とも呼べる魔法陣から、あらゆる魔法が一斉に放たれた。


炎の球。

礫。

水の弾丸。

氷の槍。

風の刃。

雷の矢。


 捕縛のためか、脅威を退けるためか、そのどれもが容赦なく、逃げ場を殺すように放射状に手品師の元へと向かっていった。矢を射るよりも早く、爆発するように次々射出されていく魔法が、ほぼ同時に男の元へ着弾する。死ぬことよりも生存することの方が難しい。なのに。


「いやーこれは凄いねぇ。やっぱり避けられないよ」


 世界はその事実を拒むように無かったことにした。もう一度やり直せと言うように、今起きた全ての現象を巻き戻し、新たな現実に書き換えた。

 魔法を受けた筈の手品師は無傷のまま杖を振り、元いた位置から再び風呂敷の元へと歩きだしていた。ステラの魔法は放たれていないどころか、展開していた魔法陣は全て閉じていた。


 何が起きているのか、ユウキには理解が出来なかった。メリアが斬りかかった時と同じように、あの男の死を確かにこの目で見たのにも関わらず、奴は何事もなかったかのように生きている。

 夢か。はたまた幻覚か。自分の意識がどこか遠くにあるような錯覚に陥りそうになる。


 手品師は先程行った一連の動きを再現するように、風呂敷の前に立つともう一度足元に魔法陣を展開した。魔法陣の光が手品師を白く照らし、真っ黒なローブが風に煽られパタパタと揺れ出す。


「悪いが、逃がすわけにはいかない」


 ステラがそう言った直後、白い影は既にそこにはおらず手品師の目の前に立っていた。

 光をその身に宿し、この世の何よりも速く動き出す。構えた手刀が手品師に狙いを定める。光を纏った必殺の一撃。剣や槍にも引けを取らない、ステラだけが扱える究極の一振りが、手品師を貫こうとしていた。


 その時、風呂敷が活動を停止した。

 激しく暴れるように動き続けていた風呂敷は、突如として動きを止め、無気力にへたった。その様子を横目に確認した手品師は、目前に差し掛かった手刀を気にも止めず目を細めた。


「ステラ!!!」


 勝ちを確信していた中、思いがけずユウキの本能が働く。白い魔獣との戦いの最中、幾度となく感じた危機感。それを何の前触れもなくユウキの本能が感じ取った。

 ユウキの声にステラは即座に回避行動に移る。次の瞬間、手品師とその周りを覆うように、不規則に回転する風の結界が現れた。

 僅かに回避が間に合わなかったのか、ステラのコートの端が細かく切り刻まれている。どうやら攻撃者を切り刻むための風の刃に、ユウキの本能は反応したようだった。


「ナーイスタイミングだね。ありがとうワンちゃん」


「黙れ。八つ裂きにするぞ」


 ユウキの背筋に悪寒が走る。少しの間、身体が呼吸することを拒否していた。息を呑み、ゆっくりと立ち上がる風呂敷に視線が釘付けとなる。


「嘘でしょ…?」


 シスターを抱えるメリアがポツリと呟いた。確かにメリアが倒したのをこの目で見た。不意を突いたエルド・スピラルを至近距離で喰らい、そのまま絶命した筈だった。にも関わらず、ユウキの心臓は高鳴り続けていた。

 立ち上がり被さっていた風呂敷を乱雑に剥ぎ捨てると、長身の男が姿を見せた。首元に斬り傷を残し、白い毛並みをどことなく感じさせる白髪に赤い双眸を覗かせる。


「ほら、そろそろ飛ぶから別れの挨拶でもしたら?」


 手品師の言葉に男はユウキに対し、気圧されるくらいの殺意を込めた視線を向け口を開いた。


「次はお前も、その仲間も必ず噛み殺す。それまでに死んでくれるなよ、人間」


 早鐘のように鳴り続ける心臓が、いつか止まってしまうんじゃないかと思う程に、男の刺すような視線は、声は、言葉は、ユウキに緊張感を絶え間なく走らせた。


「それでは諸君、また会おう!ラヘタ・センド!」


 手品師は高らかにそう叫ぶと、魔法陣は白く発光し、空に向けどこまでも続く光の塔を作り出した。高密度の光は教会を裕に抜け、その周辺一帯を白く照らしていく。

 衝撃波がユウキ達を守っていた防護壁にヒビを入れ、音を立てて全体に広がっていった。


「まずいな」


 ステラはいち早くそれに気づくと、ユウキ達の前に立ち、直ぐ様目の前に魔法陣を5つ展開する。


「プロテクト・デウス」


 ステラの声に呼応するように魔法陣はそれぞれ光を灯し、順に重なっていく。そして1つになると、衝撃を完全に遮断する壁を作り出した。

 けれど防げずに壁をすり抜け、それどころか段々と強くなっていく光のあまりの眩しさに、眼を閉じそうになる。それでもユウキは見逃さぬよう、精一杯の足掻きで眼を開く。薄く開いたユウキの視線の先に写ったのは、光に包まれ徐々に消えていきながら、杖を床に打ち付ける手品師の姿だった。


 光は強く発光したのを最後にやがて収まっていき、目を開くとそこには村も教会も跡形もなく消えていた。初めからずっとそうだったように、ユウキ達はベルダンシア東に位置する森の中に取り残されていた。

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