第20話 いつか見た背中
不適な笑みを見せる手品師の言葉を、頭の中で反芻する。
もしあの男の言うように魔王の血肉を溶かしているのだとしたら、魔力の蓄積も、魔力を渡すことによる魔獣化の強制も、全てが府に落ちる。
「魔王の力は凄いね。たった少しでも魔力を渡してしまえば魔獣に変わる。この石のおかげで1週間でかなりの生物を魔獣化させることが出来たし、今頃ベルダンシアを落とせてるんじゃないかなぁ」
「悪いなペテン師、それはねぇよ」
背後からの声にメリアは振り向くと、ユウキが椅子に身体を預けたまま笑いを漏らしていた。
「俺の師匠がそっちに向かったんだ。まず負けない」
「キミの師匠。確かレニィ・ヴェリオロス君だったかな?確かにセリノアでも上位の実力を持つ彼がいれば、良い勝負くらいにはなりそうだね。それは彼がいたらの場合だけど」
「…何が言いたいんだお前?」
「そのままの意味さ。彼がいたらこちらとしても面倒なんだ。だから彼が来る前に手は打たせてもらったよ」
手品師はそう言うとローブを掴み思い切り脱ぎ捨てた。すると手品師の装いは、この数日でかなり見慣れた衛兵の防具へと様変わりしていた。
戸惑いを隠せないユウキに畳み掛けるように、手品師は顔を手で覆うと、蕾が開花する時のように手を開いて見せた。けれどそこに手品師の顔はなく、変わりに全く知らない青年の顔つきとなっていた。
「困惑しているね?でもキミではなく、そこの彼女なら分かるんじゃないかな?ねぇメリアさん」
名指しされたメリアは、呆然と手品師を見つめていた。確かにその顔には見覚えがあった。それは先刻、領主邸にてセラとシスターと話していた時に、息を上げて入室してきた衛兵そのものだった。
「結構演技上手でしょ?ボクはあの時正門には行っていないんだ。だから領収邸でボクが受けた命は正門側には届いていない。これで頭のない軍の完成だ。統率者のいない軍隊なんて、戦場では烏合の衆だよ」
「そ、それでも俺らがこんだけやれたんだ。だからきっと向こうだって…」
「4倍」
一言で空気が変わったのを、2人は瞬時に感じ取る。手品師の発した言葉は、ユウキが言葉を続けることを許さなかった。
「キミ達でさえ手こずった数の、4倍の数が正門側を攻めている」
「なっ…」
「キミとメリアさんがいてやっとどうにか出来た魔獣の群れを、指揮も何もない兵達だけで解決できると思うのかい?」
絶句する程、手品師の言葉には説得力があった。ユウキが到着するまでのことは知らないが、シスターや他の兵を見る限り、相当な限界体勢を強いていたんだろう。
その4倍もの数が押し寄せていたのなら、もしかしたらベルダンシアはもう。
「言ってしまえばメリアさんとこの少女が教会を見た時点で、キミ達の詰みなんだよ。この教会とそこから出る霧を見せてしまえば、原因を探りにキミ達は必ずここに来るからね。だからボクはずっと隠しておいた教会を2人だけが見える時に、2人だけが見えるように見せた。まんまと来てくれたおかげで、簡単に分断出来て楽に終わることが出来るよ」
「…初めからこうなることを予期してたってのか?」
「それは違う。こうなるようにボクが誘導したんだ。キミ達がこの街に来て脅威となることはすぐに分かった。特に、メリアさんとこの少女は神の息がかかっているからね。ボクじゃないと対処できない。まぁ今じゃその必要もなくなったわけだけど」
手品師は皮肉混じりに呟き、床に落としたローブを拾い軽く叩くと勢いよく纏った。
手品師の格好はいつの間にか、鎧から初め見たときのような黒い装いへと変化しており、フードの奥から覗かせた顔つきは、嘲笑を含んだ元の顔つきへと戻っていた。
「あぁそうだ!そういえばボクの目的が何かと言ったね?1つはベルダンシアの侵略。2つ目はキミだ。少年」
「俺…?」
手品師からの突然の指名にユウキは目を丸くする。驚きを隠せないその様子に手品師は笑いながらも、片目を閉じ、片眼鏡を通してユウキと目を合わせた。
「この眼鏡は魔力を見ることが出来るんだけど、キミは一体何者なんだい?神の息もかかっていない。特別なものは何も見えない。その筈なのにキミは白い魔獣を瀕死まで追い込んだろう?何とも興味深い。そこでなんだけどさ」
手品師は再び指を鳴らすと、横になっていたシスターが急に、拘束された腕を掴まれるようにして宙吊りとなった。
相も変わらず目を覚まさないシスターに、手品師は懐からナイフを1本取り出すと、シスターの白い首元にあてた。
「キミ、ボクのところに来なよ。そしたらこの子は無事に返してあげる」
「そんなこと、させるわけないでしょう」
横から割って入ったメリアは、腰を落とし手品師に向けて剣を構える。そんなメリアに手品師は溜め息を吐くと、また宙から杖を取り出した。
「ユウキくんもしーちゃんも、お前なんかにどうこうさせてたまるか。お前は今ここで私が斬る」
「はぁ…ボクはキミとは話していない。ボクが話しているのは彼だ」
手品師が不機嫌そうに杖を振ると次の瞬間、手品師とメリアとの間に、後ろにいた筈のユウキが横になって現れた。
不意に目の前に現れたユウキに、メリアは事態を飲み込むのが遅れる。手品師は宙に浮くシスターと共に、ユウキに向かって歩きだした。
「さぁ。ボクのところにおいで」
「俺は…」
この男はかなり危険だ。ついていけば何をされるか分からないだろう。だが自分がこの男の要求に従えばシスターは無事でいられる。なら迷うことはない。迷うことはないとそう分かっているのに、言い淀んでしまう。
「ダメだよユウキくん!コイツは私が倒すから!絶対にダメだ!」
「んもーうるさいなぁ。雰囲気台無しなんだけど」
手品師はシスターの首元で寝かせていたナイフを離し、切っ先を腹部に突き立てた。
メリアは自分の頭に一気に血が上るのが分かった。内に秘めた殺意が身体中に放たれて、パレードのように騒いで回っている。噛み締めた奥歯がギリギリと音を鳴らす。
しかし、この殺意を指揮しているのは紛れもなくこの男だった。
「大丈夫だ、致命傷にも満たない。キミがこれ以上動かなければね。頼むよ?女の子を傷つける趣味はボクにはないんだ」
「お前…」
絞り出した声が、怒りに阻まれて続くことなく消えていく。
メリアに釘を刺し、手品師はユウキの方を向き直す。敵意を消すように、子供のような無邪気な笑顔をユウキに向ける。けれどユウキには、悪意と狂気で塗り固められた仮面のようにしか見えなかった。
「言い方を変えようか?彼女らを助けたかったらボクのところに来い。初めからキミに拒否権は無いんだよ」
「ユウキくん!」
「メリア!!」
メリアの声を掻き消すように、ユウキが声を上げる。
口をつぐむメリアに、ユウキは普段のような穏やかな声色で言葉を続けた。
「シスターのこと、頼むな。あと、シャルロッテ様にも謝っておいてくれ。期待に沿えなくてごめんって」
「ユウキくん!」
メリアの呼び声を無視し、ユウキはこちらを見下ろす手品師を睨み付けた。
「おいペテン師。お前についてってやる。だから、早くシスターを解放しろよ」
「賢い選択だね」
手品師の手が横たわるユウキに迫る。
ユウキは不安に負けぬよう、目を閉じ歯をくいしばる。背後でメリアが何度も名前を呼んでいるのが聴こえる。
怖い。それでも2人を救えるなら、自分を犠牲にしてもいい。これが最善だ。
「歓迎するよ。ユウキくん」
手品師の伸ばした手がユウキに触れようとした刹那、不意に手品師が消えた。正確には後ろの壁まで音を立てて勢いよく吹っ飛んだ。
不意に鼓膜を叩く地響きに、驚きのあまりユウキは恐怖も忘れ目を開く。その時ユウキの目に映ったのは、いつか見た背中だった。
「ギリギリセーフかな」
白い軍服に身を包んだ彼は、肩にかけた白のコートを揺らし、ユウキの方へ振り向く。やはり何度見たって、悔しさも湧かない。清々しいくらいにイケメンだ。
「大丈夫か?ユウキ!」
「ステラ…」
ステラ・ヴァリエスはイーストメイカーでの約束を果たすように、再びユウキの前に姿を現した。
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