第19話 手品師はタネを明かす
「はぁ…はぁ…」
刃を失った剣がその役目を終えたのか、塵となって風に吹かれていく。
視界を遮っていた煙幕が次第に晴れる。
教会は初め見た時よりも更に姿を変え、今や目もあてられない程酷い有り様となった。
建物は半壊。並べられていた椅子も今や瓦礫の山と化し、綺麗に着飾っていた色とりどりのステンドグラスも砕け割れ、地面に無造作に散らばっている。先の一撃がどれくらいの威力だったのかが見て取れる。
風の結界も最後の一撃によるものなのかいつの間にか解けており、ユウキは心から安堵する。
終わった。これで大丈夫な筈だ。
安心からか、全身の力が抜け地面に倒れ込む。
これ以上は戦えない。身体の限界はとうに越えており、動かすだけでかなりの激痛が伴っている。あとはシスターが来るのを待とう。もう少しで来るだろうか。
「終わったと、思っているのか…?」
反射的に上体を起こし正面をじっと見つめ、声のした方を向く。立ち込めた煙の奥、瓦礫を踏み鳴らしてこちらに近寄る巨体がうっすらと目に写る。シルエットのようだったものの徐々にはっきりとしていき、やがて煙の中から魔獣そのものが姿を現した。
荒い呼吸にその巨大な体躯が激しく揺れ、神々しさを漂わせていた白い毛並みは所々が赤く染まっている。特に視線を釘付けにさせたのは、首元に大きく刻まれた斬り傷。さっきの一撃によるものなのか、かなり出血している。
血を床に垂れ流し、足を引きずりながらこちらに向かってくる魔獣の眼は、この上ない程に血走っていた。
「ははっすげーなお前…。俺もう動けねぇよ…」
思わず笑ってしまう。己の力の限界を持ってしても、この魔獣はまだ動けるのか。
既に身体はピクリとも動かない。無理に動こうとすれば激しい痛みが身体中を走る。上体を起こしている今でこそ、かなりの力を要している。
「俺が…人間に…負けるわけがないだろう!」
半ば自分に言い聞かせるような言葉を吐き捨て、ゆっくりと身体を引きずらせながら、だが確実に魔獣が向かってくる。
悔しい。たった3日だけなんて言い訳はしない。成長はした。出来ることはした。全力を尽くした。それでもまだ届かない。
「勝てねぇのか、俺は」
「そうだ、お前はここで死ぬ」
ユウキの目の前に、魔獣が壁のようにそびえ立つ。魔獣の口元に魔法陣が展開され、そのせいなのか2人の間に風が吹き始める。
殺意の込もった一撃をすぐそこで突き付けられているのに、穏やかな風がユウキの周りを漂う。
「何か言い残すことはあるか?人間」
「言い残す…こと…?」
「そうだ。お前の仲間を殺す時にでも聞かせてやろうと思ってな」
「なんだそれ…。そんなに俺達が嫌い…?」
「お前達ではない。人間全てが嫌いだ!だから殺す!」
「そうか…」
嘘のない、殺意と嫌悪を孕んだ魔獣の言葉にユウキは項を垂れる。
最初から話し合うなんて出来なかったのか。所々人間を見下すような物言いが多かったけれど、それも納得だ。全く、自分の馬鹿さ加減には呆れて笑ってしまう。最初から力でどうにかしないといけないのなら、どうしたって結末は変わらなかったじゃないか。
「ははっ…」
「何を笑っている。笑うな人間、不快だ。お前はこれから死ぬんだ。もっと怯えろ。泣き喚け。恐怖しろ人間」
「いや、こっちの話…。おかしくてさ…ははっ」
「笑うなと言っている」
「う…ぁぁああああ!!」
教会内をユウキの叫び声が響き渡る。
魔法を止めた魔獣がユウキを踏みつけ、ユウキが死なない程度に力を加える。動くことすらも苦痛なユウキには、決して冗談ではなく死ぬ程痛い。一瞬でも気を抜けば意識が飛ぶのが分かる。だがまだだ。まだ耐えろ。
「まぁっ…だだ!!まだ俺は…死なねぇぞ…!なぁ…。ははっはははっ…!」
「笑うな」
「がっ…」
更に力を加え、押さえつけるようにユウキを踏みつける。これ以上力を加えれば、この人間が潰れてしまう程に。
「はぁ…はぁ…。ははっ…はははっ…!」
「笑うな!!」
「ぐぅっ…ああああああああああああ!!」
爪を食い込ませ、皮膚を抉り引っかける。抵抗することもままならないユウキの身体は、まるで粘土のようにいとも簡単に爪を通した。
肉と肉の間を、魔獣の爪がゆっくりと入り込む。殺さぬように、けれども死を懇願するような痛みを与えられるよう、絶妙な力加減で苦しませる。
魔獣の息遣いが段々と荒くなる。
何故だか分からないが、この人間を見ていると無性に腹が立ってくる。弱いのに威勢だけは良い。何度も立ち上がり、仕舞いにはこの状況下において笑いだす。
苛つくのだ、だから殺す。この人間も、この人間以外の人間も。人間は1人残らず全て。
「ほら、最後に何か言え。お前の仲間に教えてやるぞ?死ぬ直前にでもなァ!」
「そんなの…必要…ねぇ…よ…馬鹿犬…が…。仲間なら…ここに…いる…」
「一体何を言って…」
魔獣がそう口にしようとした時脳裏によぎったのは、この人間が教会にやってきた時のこと。そしてこの人間の隣に、もう1人いたことを。
自分に当てられもしない魔法を2度も放った、学習もしない愚かな人間の雌。
その時、怒りで満ちていた魔獣は何故かとても冷静になった。
奴は一体どこに?もし今の戦い全てが、この時のための布石だとしたら?
「お前ッ!まさか!!」
「メリアッ!!」
「はいは~い。ごめんね?ワンちゃん」
ユウキの掠れた声を合図に、メリアは突然姿を見せた。ずっとそこにいたかのように音もなく現れ、魔獣の横腹に手をあてる。
気づいた時にはもう遅かった。回避も、魔法も、攻撃も、全てが間に合わない。
メリアの掌から、魔獣を丸々包み込めるくらい大きな魔法陣が展開される。メリアは首をかしげ申し訳なさそうにしながらも、嫌みったらしく満面の笑みを浮かべた。
「さっきのは嘘。エルド・スピラル」
竜の怒りが、魔獣を喰らい尽くすように跡形もなく飲み込んだ。
*
目の前で猛々しく燃え盛る豪炎に、無慈悲な視線を送る。笑みは消え、ただ目の前の中身を失った醜い害獣を灰にすることだけを考え、ひたすらに魔力を送り続ける。
皮膚は爛れ落ち、肉は焼け焦げ、所々骨が見え隠れしている。魔獣だった物は少しずつ形が崩れており、最早原型を止めていない。
「うっ…」
「ッ!ヒール!」
足元から聞こえた呻き声に、メリアは我に帰ると直ぐ様魔法を止め、ユウキ目掛けて治癒魔法を展開する。シスターの時と同様に、緑の光の膜が横向きに倒れるユウキを包み込んだ。
「ユウキくん大丈夫!?」
「生き…て…る…!」
「よーしよしよし良かったぁ。全く無茶し過ぎだよ。しーちゃんといいユウキくんといい」
「ははっ…これ…ばっかりは…一緒に…されても…何も…言えねぇや…」
「ほらほら、喋らなくていいから」
笑って見せてはいるが、彼の身体は自分の想像以上に負担を強いていることだろう。
心配を顔に出さぬように、ユウキの治療に専念する。
初の実戦経験がこれならば良くやった方だ。期待通りに、いや、期待以上に彼は良く戦ってくれた。主が彼の力を慣らしたのもあるだろうが、大部分が彼の精神力のおかげと言っても過言ではないだろう。
治癒魔法の効果が効き始めてきたのか、顔色は次第に良くなり、傷口の出血も収まりだしてきた。
「本当に良くやってくれたよ。それにしても私が言わなくてもよく分かったね?」
「あぁ、魔獣のこと?メリアが最初に鞘投げたじゃん。あの時に風の結界が防ぐのは魔法だけってことと、人間のことを舐めてるってことしか分からなかったな」
「え?本当に?利き脚が右なのも、弱点が首元なのも、知らずに戦ってたの?」
「なにそれ初耳」
「まじかぁ」
あの時全て分かった風な顔をしていたけれど実際は半分しか分かっておらず、それなのに瀕死にまでにするだなんて。彼の動物的勘というか、センスというか。今でこそ危なっかしいが、時間をかけて物に出来ればもっと強くなるだろう。
「あ、あとあれだ。勝たなくても良いよってやつ。結果的に勝てなかったけど、メリアがいてくれたおかげで負けにはならなかったよ」
「それには関しては私ユウキくんに言いたいことあるよ!叫んでたのにまだだ!とか言って!私じゃなかったら助けに行ってたし、なんなら行きそうになったし!そもそも無茶しすぎ!死んだらどうするの!」
「ごめんって!アイツなんだかんだ頭も良いし勘も良かったからさ、ギリギリまで引き付けないとって思って」
「もう~次そうやって死んじゃったらシャルロッテ様に言いつけちゃうから。それでユウキくんをシャルロッテ様みたくするからね」
「その絶妙に怖い脅しやめてくれない?」
「なら無茶しないの!分かった?」
「分かったよ。気をつける」
「よし!偉いぞユウキくん!」
なんだか母親のようなことを言うメリアに、ユウキの顔が綻ぶ。
さっきまでの戦いが嘘だったかのように、空から照らされる暖かな日差しに、強張っていた全身の力が抜けていくのを感じる。
ずっと気持ちのいい日当たりだったのだろうが、気にするだけの余裕も生まれなかった。今はそんな時間があることにすら感動を覚える。
「とりあえずは大丈夫かな。ごめんユウキくん、治癒魔法止めるよ」
「ん?分かった」
ユウキを包み込んでいた緑の光の膜が、形を崩して光の粒となって消えていく。
メリアはユウキの右横にある紫有石の前に立ち、持っていた剣の刃を撫でた。すると剣は目を覚ましたかのように光を放ち、目を瞑る程の輝きはやがて優しい光となり、ドレスアップするように剣を着飾った。
それはまるで、ユウキの折れた剣を補ったあの光のようだった。
「それで切るのか?」
「うん。多分これでいけると思うんだけどな~」
メリアは剣を天高く掲げ、紫有石向けて振り下ろした。類をみない美しい姿勢から放たれた一振りは、紫有石を問題なく切り落とした。
筈だった。
「ちょっとやめてくれよ~?それで切られたら大抵のものは壊れちゃうんだからさっ」
瞬きの間に1人の男がそこに立っていた。底の見えない深い闇のような、漆黒のローブを身に纏い、右目に片眼鏡を着けた男は、薄らと笑いながらメリアの腕を掴んでいた。
「メリア!!」
反応が遅れるも、ユウキの声にメリアは瞬時に剣を左手に持ち変え斬りつける。しかし、男は華麗に宙を舞いそれを避けると、かつて魔獣だったものの横に着地した。
男との距離が空いたことを確認したメリアは、すぐにユウキを抱き抱え後方へ飛び移る。
「少し雑でごめんユウキくん、痛かったよね」
「大丈夫。それより俺も…」
「無理しないの。休んでて」
治癒魔術は傷を塞ぐことは出来ても痛みや体力までは回復しない。今でさえ己の身体に鞭を打っているユウキに、これ以上無理させる訳にはいかない。
抱えたユウキをなるべくゆっくり下ろし、まだ使えそうな椅子の上に座らせる。そしてメリアは振り返り男を睨み付けた。
「誰だ君は」
メリアの問い掛けに男は答えることもなく背を向け蹲ると、どこから取り出したのか大きな風呂敷を魔獣の亡骸へ被せた。
男は立ち上がりこちらに振り向くと、ニコニコと笑顔を浮かべまた何処からともなく、男の背丈と同じくらいの杖を取り出した。
「手品はお好き?」
「何を言っている。質問に答えろ」
「ボクは好きだ。だって人の驚いている顔が好きだからね。ほら、1、2の3」
独りでに話続ける男は合図に合わせて魔獣に向けて杖を振ると、突如として風呂敷の中がもぞもぞと、挽き肉を捏ねたような音を鳴らして動き始めた。
膨らみ、潰れ、突出し、凹む。明らかに生き物の動きではない。あの風呂敷の中では、想像にもつかない事が起きている。
メリアは予備動作もなく一瞬で男の元へ詰め寄り、未だ光を帯びている剣で首を斬り落とさんとする。
眼にも止まらぬ神速の一撃が男の首に迫る。男が気づくよりも速く刃は肉を裂き、骨を断ち、胴体との繋がりを断ち切られた首は空を舞った。
「やめてよ危ないじゃ~ん!ボクの大事な首なんだから」
男の声が耳に届いたその瞬間、気づけばメリアは元いた場所に立っており、縮めた筈の男との距離は離れたままだった。それだけになく、確実にはねた男の首は何事もなかったかのように繋がっており、男は首をさすりながら杖を回して遊んでいる。
確かに首ははねた。感触もあった。なのに全てが無かったことになっている。
「何をした?確実に君の首ははねた筈だけど」
「ボクは手品師だよ?種も仕掛けも教えるわけにはいかない」
手品師を自称する男は飄々とした様子で答えると、メリアは右手をかざし魔法陣を展開する。きっとこの手品師は、こちらの質問に答えることはない。
「そうか。それでもいいよ。君も、その風呂敷も、まとめて灰にするだけだから」
「わぁ!それは怖い!そんなときはそうだね。彼女に守ってもらおうか」
手品師は指を鳴らし立っていた場所から右に1歩ずれると、その後ろには修道服を身に纏った白髪の少女が1人、両腕を拘束されたまま横になっていた。少女には何も反応はなくどうやら意識がないようだった。
見慣れた少女の予想だにしない登場に魔法は解け、メリアは呆気に取られた。次いで沸き上がろうとする怒りの感情を抑えるため、息を細く吐き出し即座に冷静さを取り戻す。
「その子に何をした。それに、兵もそれなりにいたでしょう。その人達はどうした」
「あー、兵は邪魔だから殺したよ」
手品師は筋1つ動かさず、何ら不思議なことはないという風に告げた。その後も手品師は、依然として軽妙洒脱な態度で話を続けた。
「この子は大丈夫だよ。今は眠ってるだけだからね」
「…君は一体、何が目的だ?私達を止めに来たのか?それとも、仇討ちにでも来たのか?」
「んー、半分正解だけど半分外れ。確かに僕の仕事はベルダンシアの侵略だけど、正直なところ、そこの紫有石を壊したところでもう止まらないよ。その石が大事だから剣を止めただけ」
「…何?」
「そもそもこの紫有石自体にそんな力はない。この石が持ってるのは空気中の魔源素を取り込み蓄積する能力と、この石の魔力を与えたものを強制的に魔獣化させる能力だけだよ」
メリアは喉を鳴らし、固唾を飲み込んだ。だがすぐに頭を振りそんなことはないと言い聞かせる。
そんな馬鹿げた石、メリアが生きてきた中で見たことも聞いたこともない。魔源素を取り込み蓄積するなんて生き物のようじゃないか。それに魔力を与えたら強制的に魔獣化?それではまるでーーー
「魔王みたいって思っただろう?その通りだよ。この石には魔王の血肉を溶かしてある。生きているんだよ、この石は」
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