第18話 呼吸

『いってぇ』


 四肢を動かす度に鈍痛が響く身体を地面に放って、誰に言うまでもなく空に向かってぽつりと呟いた。何かが受け止めてくれることもなく、発した言葉は果ての無い青に混ざっていった。

 加減という言葉を一切合切聞いたことがないと言うばかりに、師の木剣は幾度となくユウキを打ち続け、身体中は勲章と言っても刺し違えない程に打撲と痣だらけだ。傷だらけのユウキを労うように、なだらかな風がユウキの肌を優しく撫でる。汗だくの身体にはとても気持ちがいい。服が肌に張り付く気持ち悪さとぶつけてしまえば、どうにかプラスになりそうな気もする。


 そんなユウキの元に、日に延びた長い人影がゆっくりと近づいていく。ユウキは横になったまま影の主に視線を移す。寝転がるユウキの背丈をゆうに越える影の先には、金色の髪を1つ結びにした小柄な少年が佇んでいた。


『これで16回目です。少し休憩でも挟みましょうか、なんだかずっと雑念が見えます。それがユウキさんの動きを鈍らせて、反応を1歩遅らせてる。あまりに良くない』


 師であるレニィ・ヴェリオロスのごもっともな言い分には、なんともぐうの音もでない。修行を始めて2日が経ったものの、1本取るどころか惜しい場面すらも訪れない。反省を重ねる度に増える知識の活用と、最善を選択するだけの判断力がまだ足りない。目前の出来事にしか対応できない。すぐにどうにか出来ることではないと頭では分かっているけど、上手くやれない自分に苛立ちを覚える。

 胸に詰まった異物感を取り除くように、肺に溜め込んだ息を残らず吐き出す。レニィの方へ視線を向けると、癖なのか木剣を振り払うと腰に納めるような仕草を見せた。

 しばしの沈黙が流れる。その間にも緩やかに風は吹き、レニィの髪をふわふわと揺らし遊んでいた。


『上手くいかねぇなぁ』


『何が?』


『教えられたこととかさ。俺、多分最善を選ぶのが死ぬほど下手だ。先のこととか考えながら戦えない。目の前のことで手一杯だ』


『それを意識しながら僕と打ち合ってたの?』


『うん。でも無理だった。俺には難しい』


『それは僕でも難しいよ』


『え?』


 思わず気の抜けた声が漏れる。そんなユウキを気に止めずに、レニィはまるで風と戯れているかのように微笑んだ。


『最善を選択するのは回数を重ねれば分かるようになっていく。でも先のことを常に考えて打ち合うっていうのは僕でも難しい。全く考えてない訳ではないけど、そればかりに気を取られてちゃ身体が上手く動かないからね。ある程度は脳に余白を作らなければいけない』


『そしたらどーすんだよ?そんなんじゃいつまで経っても成長出来ないじゃん』


『そんなことはありません。僕がユウキさんに教えたことは、感じずとも本能が噛み砕いて飲み込んでる。だからユウキさんはごちゃごちゃ考えずに、冷静であることを心がければいい』


 どこからか風によって流れてきた木の葉をレニィは取ってみせた。人差し指と中指で挟んだ木の葉を、仰向けになっているユウキによく見えるように、地面と平行にして見せる。


『木の葉が集中力。人差し指と中指が冷静さ。握った手のひらが本能だとします。人差し指と中指できちんと掴まなければ、木の葉はすぐに飛んでいってしまう。逆に木の葉をしっかりと掴んでおけば、手のひらまでを一直線に結ぶことが出来る。冷静であることは、集中力と本能を限界まで引き出し、繋ぎ止める役割があります。噛み砕いた知識は本能が、最善の選択は集中力が無意識に行っている』


 レニィが指の力を緩めると、止まっていた木の葉は息を吹き返したかのように、嬉々として宙に舞っていった。ユウキは視野の端に消えていく木の葉を、顔を動かさずに視線だけを寄越して見送る。

 レニィの話を聞いて、ユウキはどこか府に落ちた気がした。集中している時の自分には、どこか客観的に物事を俯瞰することが出来ていた。グレアと模擬戦をした時がそうだ。頭は妙に澄みわたっており、グレアの動きに対してどうしたらいいのか、考えずとも身体が勝手に動いていた。レニィが話しているのはきっとあの感覚のことなのだろう。


『そこでユウキさんにはとっても良いことを教えよっかな!』


 レニィは笑みを浮かべそう言うと、ユウキの上に跨がるように立ち、前屈みになった。

 思わず心臓が高鳴る。いくら同性とはいえ、跨がられてはどぎまぎとしてしまうものだ。顔の幼さから少女のようにも見えなくないし、なんだかいい匂いもする。このままではまずい、恋に落ちてしまう。落ち着けユウキ、奴は男だ。頼む、落ち着いてくれ。

 ユウキの気持ちも露知らず、レニィは笑顔で人差し指をユウキの左胸に突き当てた。


『呼吸』


 激しく拡大と収縮を繰り返す心臓を指差して、レニィは一言そう呟いた。


『戦いにおいて最も大事なのは、生き抜いた戦場の数でも、扱える技の多さでもなく、呼吸。自分を焦らせるのも落ち着かせるのも、生かすも殺すも、呼吸の仕方が全てです。いいですかユウキさん。脳に余白を持って冷静に立ち回る為に、呼吸を上手くするのです』



                  *



 いつか聞いた師の言葉に習い冷静さと余白を作るため、咳き込みながらも無理やり深く呼吸をする。

 胸一杯に息を大きく吸い込み、細く吐き出す。何度か繰り返していると、嗚咽はやがて呼吸に溶けていき幾分か楽になった。


 大丈夫。かなりクリアだ。


「いくぞ…クソ犬」


 剣を構え直し体を前に傾ける。下げた右足を踏み込むと床が砕け、今までに類を見ない爆発的な速さを発揮した。


 魔獣の反応が僅かに遅れる。

 この人間の何処にこんな力があるのか?さっきの魔法も確実に仕留めるためのものだった。

いくら反応が良くてもそれには限界がある。そこを突いたものだったにも関わらず、この人間はどうして立ち向かってくる?

 ほんの少し前まで虫の息だった人間が、何故こんなにも力強く動けるのだ。


「らぁあああ!!!」


 魔獣の懐に狙いを定め、風を断ち切るような速さで剣を振るう。


「くっ…!」


 間一髪、横に飛ぶことで致命傷を避けることは出来たものの、切っ先が僅かに喉元を裂く。

目の前を花弁のように鮮血が飛び散る。


「逃がすかぁ!!」


 振り下ろした直後に手首を捻り、剣を薙ぐ。だがしかし、それは魔獣に届くことはなく粉々に砕け散った。

 魔獣は剣を口で受け止めると噛み砕き、粉々になった刀身が音を立てて床に散らばった。

 一瞬の出来事に理解の追い付かないユウキがただ1つ認識できたのは、魔獣の勝ち誇ったような笑みだった。


「ヴァアッ!!」


 咆哮と共に剣だった物の欠片が吐き出される。咄嗟に腕を交差させ顔を覆う。次の瞬間には腕と胴の至るところに熱が迸り、後方へと飛ばされ、クッションにもならない椅子の上に無様に転がり落ちる。

 破片が深く刺さった辺りがじわじわと赤く滲んでいく。喉奥から込み上げてきた物が、己の意思と関係なく口から吐き出され、地面を紅色に染める。


 終わったな。


 魔獣は確信していた。咆哮と共に吐き出された破片は、大きく砕いた物から細かく砕いた物まで1つ1つに回転を掛けている。貫通力を底上げした刃の鉄砲玉をその身に受け、剣も折った。奴はもう戦えない。

 なのに。


「何故立ち上がる?お前はもう戦えないだろう。剣は折った。魔法が使えないのも分かっている。お前には何も出来ない」


 血反吐を撒き散らし肉を裂かせながらも、瓦礫の山を崩しながらユウキは立ち上がる。

 口元を袖で拭い、口の中に漂う鉄臭さを少しでもどうにかしようと、口内の血を痰と一緒に吐き捨てる。


「なんだよ…?お前は爪を折られたら戦わねぇのか?牙をもがれたら立ち上がらねぇのか?悪ぃけど、俺は剣が折れたくらいじゃ…終わらねぇぞ!!!」


 傷が痛み、走り出した足が途端に縺れ身体がよろける。


 いってぇけど…手を伸ばせ!!止まんな!!!


 蹲るように止まった場所から大きく飛び跳ね、距離を一気に縮めたユウキの剣が魔獣を捉える。

 しかし、ユウキの動きを先読みしていた魔獣は床を踏み鳴らすと、風の刃が再びユウキを狙った。その時、ユウキの目が見開くのを魔獣は見逃さなかった。

 予想だにしない一撃。これで奴の動きは1度止まる筈だ。そこを叩く。


 爪が、口元に展開された魔法陣が、ユウキを狙う。

 もし爪を弾かれても魔法の直撃は逃れらない。それにこの傷では弾くだけで精一杯だろう。


 言葉通り、隙を生じさせない二段構えの攻撃でユウキを向かい撃つ。

 風の刃が散りゆく。魔獣は勝ちを確信した。もうこれ以上ユウキには攻撃する手段がない。それに対してこちらには展開した魔法と爪撃がある。どうすることも出来ない。詰みだ。

 だがそれでもユウキの動きは止まらなかった。魔獣を逃さぬようにしっかりと両の目で捉え、前に進んでくる。


 何故だ。何故止まらない。あれは…なんだ?


 魔獣の視線を奪ったのは、ユウキの左手にしっかり握られた鞘だった。メリアが魔獣に向けて投げ飛ばしたものの、軽々と魔獣によってはたき落とされた鞘。


 あの女剣士が投げた鞘を利用したというのか?まさかあの時蹲るように着地していたのは、俺から見えないように鞘を持つ為?俺がまた床を鳴らすことを予期していたのか?


 思考を張り巡らしている間にも、ユウキの折れた剣が魔獣に迫っていく。

 脇下に畳んでいた腕を満遍なく前に伸ばし、魔獣に向けて剣を突き出す。


「無駄だァ!!死ね人間!!」


 爪撃と風の剛球がユウキに迫る。

 どちらを対処しても、どちらかにやられる。もうここから逃れられない。頼む。何でも良い。アイツを倒せる剣を。アイツを貫ける刃を。アイツに勝てる力を。


 その時、目が眩む程の光彩が剣から放たれた。光は徐々に剣先に集まり、折れた場所を補うように光の刃を生み出した。

 魔獣の表情が歪む。

 それをしっかりと視界に捉えたユウキの剣が、恐らく最後のチャンスをもぎ取ろうと狙いを定める。

 それはまるで聖剣のように光輝き、今正に魔を貫かんとする。


「あああああああ!!!」


「ヴァアアアアア!!!」


 剣撃と爪撃。2つの力が交差した時、眩い光がユウキと魔獣を包み込んだ。爆風とそれに伴う衝撃波が屋根を吹き飛ばし、並べられた椅子は塵芥に形を変え、ステンドグラスが砕破していく。

 光輝の一閃によって紫有石に大きくヒビが入る。大気を震わせる程の轟音が鳴り響き、教会から漏れ出た光は村中をくまなく照らした。

 やがて光は、戦いの終わりを告げるかのように徐々に輝きを失っていき、光の刃は粒子となって霞むように世界へ溶け出していった。

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