第17話 ただ負けられないだけ
メリアが魔獣に向けて放った火の魔法は、先程と同じくして風の壁に阻まれ、広範囲に土煙をあげた。
「学びもしないか人間はァ!!」
魔獣の上機嫌な声が教会内に強く響き渡った。
ユウキの身体の底から力が溢れんばかりに湧いてくる。研ぎ澄まされた神経が、視界に映らない魔獣の姿を事細かに脳内に写し出した。閉ざされた視界を補うように、魔獣の声を、呼吸を、匂いを、今感知できるあらゆる要素を繋ぎ合わせ、魔獣の偶像を造り出す。
これなら視界が悪くてもいける。
踏み出した一歩が床をへし折り、更に加速していく。イーストメイカーで子供を助けた時のように、疾風の如き速さで教会内を走る。
土煙を飛び抜け風の結界に侵入し、晴れた視界の先に現れた魔獣へ向け剣を振り上げる。
「らぁああ!!」
「甘いぞ人間!!」
半歩後ろに下がり攻撃を避けた魔獣は、すかさず前足をユウキ目掛けて勢いよく下ろす。対するユウキは勢いを殺さぬように、その場で回転し、魔獣の反撃を迎え撃った。
剣と爪は火花を散らして衝突すると、直後に衝撃が周囲に伝わっていった。魔獣の背の紫有石の上に立つ、神秘的な美しさを漂わせる女神の硝子細工が、軽やかな音を立てて割れていった。
細かく割れた硝子が、花火の残り火のように煌めいて落ちる中、そんなものに目もくれずユウキは目の前の魔獣一点に集中していた。
下から振り上げた剣が、容赦なく掛かる魔獣の重さにギリギリと音を立てて下がっていく。
これ以上剣が上がらない。ピクリとも動きやしない。まるで果ての無い、重厚な壁と対峙しているようだった。それでも魔獣は手を緩めない。当然ながらユウキの膂力が魔獣に勝る訳もなく、一瞬でも気を緩めてしまえばぺしゃんこに潰れてしまうだろう。
少し前の自分なら、このピンチを前に手も足も出なかったと思う。でも今は違う。これは数多あるチャンスの1つに過ぎない。
「威勢だけは良かったな。だが終わりだ」
魔獣がユウキに止めを刺そうと力を加えたその時、下から押し上げていた力が突如として消え失せ、魔獣はバランスを崩した。
ユウキは限界まで押し上げていた力を一瞬抜くことで、行き場を失った力が、ユウキの何倍もある巨体を倒すことが出来ると信じていた。確証はあった。自分よりも格上で、かつ自分のことを舐めきっている相手にほど、よく効くことは既に分かっている。
「うらぁ!!」
姿勢を崩し倒れる魔獣に合わせて斬りかかる。ユウキの振るった剣は、何者にも止められることなく魔獣の横腹を斬り裂いた。
「ッ!!」
魔獣は舌打ちをしながら後ろ足で地面を蹴ると、直ぐ様崩れた体勢を元に戻し、間髪いれず斬りつけるユウキに向け反撃の構えを取る。
ユウキと魔獣は互いの攻撃を避け、いなし、弾き返し、また攻撃をする、負けず劣らずの打ち合いを繰り広げた。
上から叩き付けるようにして振り下ろした魔獣の攻撃を、思いきり斬り上げて弾き返したユウキは、追撃を加えるため腰を深く落とし、思いきり飛び上がろうとする。
しかし、魔獣の口元にいつの間にかに展開されていた魔法陣を目にしたユウキは、瞬時に身体を捻らせながら後方へ下がる。すると次の瞬間にはユウキのいた場所は、鼓膜を切り裂くような破裂音と共に大きな穴が空いていた。
「あっぶねぇ!」
「惜しいな」
少しでも反応が遅れていたら、今頃自分の体にはあの床のように大きな穴が開いていただろう。 そう考えただけでもゾッとする。
「今のを避けるか。しかし、これはどうだ?」
魔獣の足元に魔法陣が展開される。
だがそれは発光したかと思えばすぐに消えていった。
「…なんだ?」
何かが変わった様子はない。剣を構えたまま、視線だけを移し周囲を確認するも、変化は特に見られない。上下左右を注意深く窺う中、魔獣がダンッ!と床を鳴らす。
ユウキの本能が警戒体勢を強いる。全身が粟立つのを感じる。目には見えないが、何かが物凄い速さで近づいているのが分かる。
わかんねぇけど、ここッ!!
半分勘で剣を振ると、音もなく、しかし確かな感触を覚えながら切り裂く。当たったのは刃と言っても遜色無い程の鋭い風。まともにくらえばひとたまりもないだろう。
けれど、この程度ならば力押しでどうにかできる。
「なに?」
走り出すユウキに、魔獣は目を細めながらもう一度床を踏み鳴らす。
ユウキは己の勘に従って剣を振るうと、またしても目の前で、風によって象られた刃が散っていくのを剣を伝って感じる。1つ、また1つと風の刃を散らし、魔獣に届くまであと少しといったその時、魔獣の口角が僅かに上がっていることに気づいた。
ダダンッ!と魔獣が両足を使って床を鳴らす。
「2連続!?」
波のように伝う2つの刃がユウキ目掛けて襲いかかる。
斬るのはダメだ。刃の長さが分からないので横には避けれない。下がるのは言わずもがな。ならばーーー
ユウキはその場で天井スレスレまで高く跳躍すると、体を半回転させ思い切り蹴飛ばし、バネのように跳ね返った。これならばもっとも安全に、更に威力を増加させた一撃を与えられる。
「うおおおおおお!!」
魔獣に狙いを定め、弾丸のような速さで落ちていく。剣を振り上げたその時、またしても魔獣はこちらを見るとニヤリと嗤った。
「惜しいな?人間」
魔獣の口元に展開された魔法陣から、風の剛球が放たれる。
それは周囲に張られた結界を圧縮させたかのように、不規則に回転しながらも、磨き上げられた水晶のように凹凸の1つもない綺麗な球だった。放たれた剛球は、ユウキに吸い込まれるように真っ直ぐ飛んでいった。
「このッ!」
風の刃と同じように剣を当て散らそうとするも抵抗は虚しく、剣は空を斬り、風の剛球はユウキに直撃した。
身体中を風の刃が切り刻み、畳み掛けるように受けた圧力によって空を高く舞い上がる。天井を2度突き破り、体勢を立て直すことも出来ぬまま地面に落下する。
「がっ…ハァッ…」
身体を少し動かす度に、浅く、けれども鋭く刻まれた傷口が痛む。目の前が何度も赤く明滅する。景色が幾度となく揺れ吐き気が込み上げるも、身体から吐き出された息をどうにか吸い込もうと過剰に喉が締まり、えずくだけに終わる。残された不快感と苦しみが交互に顔を出す。
脳から送られる信号の許容量が越え、考えることもままならない。何を優先すればいいのか。何を後回しにするべきなのか。その2択すらも思いつけなかった。
「なんだ、こんなものか人間」
言い返すことも出来ないユウキは、這いつくばったまま睨み付けることしか出来なかった。
魔獣は伏せたままのユウキを見下ろすと、喉を震わせ、今はもう嗤い声にしか聞こえない低い声で告げた。
「見逃してやろうか?」
「ぁ…?」
魔獣の思いもよらない言葉に、ユウキの口から掠れた声が漏れる。
「お前、怖くて仕方ないのだろう?」
心臓が大きく高鳴った気がした。
魔獣の言葉は実際、的を得ている。いくら剣を教わったからといっても、戦いが恐くないかと言われればそんなことはない。
痛いのは嫌だ。死ぬのは嫌だ。こんなにも簡単な恐怖が、身体中を鎖のように重くきつく縛り付けている。
それでも。
「ほら逃げろ。負け犬は追わない主義だ」
「ぁ…ぇょ…」
「あ?」
「黙…れ…よ…」
早鐘を打つ心臓が、恐怖を感じる自分が、目の前の魔獣が、幾度となく訴えかけてくる弱音と悲鳴が、とにかく全てが鬱陶しい。
「逃げて…たま…るか…」
王様からの命も、ベルダンシアも関係ない。ただ目の前の魔獣が仲間に牙を剥けただけ。
ただそれだけだ。だが理由にしてみれば十分すぎる。
「おま…えに…負けられ…ねぇん…だよ…」
剣を杖代わりにして立ち上がる。身体の節々が痛む。少しの動作で息が上がる。それでも目をぎゅっと瞑り、"芯"が折れてないことを確認する。
終わっていない、終わらせてはならないと、ユウキはまだ自分が戦えることを再確認し、抜けてしまった力を再度身体中に巡らせる。
絶対に負けられない。負けてたまるか。
下らない、それでも譲れない意地と覚悟だけがユウキをまた立ちあがらせた。
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