第25話 身勝手に与えられる

 明け方、碌に寝付けなかったツカサの家にトキシマが訪ねてきた。

「ヒイラギさんがいるときは、一度もうちに来たことありませんでしたのに」

 寝ぼけ眼を携えながら、ツカサはそう言って苦笑いをする。

「俺も今更になってヒイラギの心労を理解しているところだよ」

「あら、それはヒイラギさんのように私を気にかけてくださっているということでしょうか」

「そんな訳ないだろう」

 トキシマの言葉には険がなく、ツカサを傷つけようとして言ったわけではなかった。含みも他意もない。つまりただの本音である。

 わかりきっていることなので、ツカサも一々傷ついたりはしない。否定させるための問いかけだったのだ。むしろ今のツカサにとって、自分を気にかける人など受け入れがたい。失うことも、失わせることももう十分だった。

「それで用件は?」

「今から村長が皆を集めて話をする。浜だ、顔を洗ったらすぐに来い」

「それはどうも」

 言ってすぐにトキシマは身を翻してツカサの家を去った。

 ツカサは言われた通り顔を洗い、ついでに水を浴び、身なりを整えて家を出た。朝の空気は冷たく、生乾きの髪から熱を奪い取った。

 家にヒックはいなかった。ツカサが確認した限り、帰ってきた形跡もない。

 もう家には戻ってくることは出来ないかもしれない。その可能性がツカサの中にはあった。ゆえに、部屋をいつもより綺麗にして出た。いつもは仕舞っている父親の形見も手にとって。

 丘から見える浜には村人の多くが集まっていた。目立つのは男衆、先の戦いに参加した者達だ。

「あ・・・あの子」

 ツカサは浜に男の中に、あの夜、見張り台から海へ落ちた少年の姿を見つけた。近くの村人に支えられてはいるが、それでもちゃんと立っているその姿にツカサは少しだけ救われた気がした、あの日失わずに済んだ命が一つでもあったことが嬉しかった。それで満足できていればーーそんな思いも同時にツカサの胸を刺す。

「――おい、あれ」

「ようやくだな」

「・・・まさか・・・だろ」

 ツカサに気付いた者から次々にざわめき始める。

 浜に下りれば嫌が応にも皆の視線に晒された。ツカサはそれを正面から受け止める。村人達の雰囲気は良くない。皆が皆先行きが不安なのだ。度重なって村に良くない事が起こり、そして渦中には必ずツカサがいる。また何かが起こるのではないかと、それはもはや不安などという思いではなく、一種の妄信に近いものがあった。

 周囲の視線がそのままツカサの肌を突き刺す。ツカサはそれを気にしない。気にしないよう努めた。

 浜の隅に親子の姿を見かけた。シイナとその父親。ツカサと目が合った瞬間にシイナは父親の後ろに姿を隠した。

「――っ」

 揺れまいと思っていたツカサの心が一時波立った。

 無意識にもシイナの方へ向いてしまう目線を無理やり引き剥がし、ツカサは地面を見つめる。数日前のツカサならば、もしかしたらシイナへ声をかけることができたかもしれない。かけた所で傷つくだけだが、それでも向き合えた。しかし、今のツカサには無理だった。

 ヒックと共に海神を殺そうと決意したあの日のツカサはもうどこにもいなかった。ヒックと出会う前の、海神に身を捧げるだけの少女に戻っていた。

 心も体も、ツカサにとっては既にどうでもよくなっていた。どうせもうすぐ終わるだろうと、村からの処罰が下されるだろうとーー諦めている。

ツカサが浜に到着してから大して間を置かず、村長が皆の前に姿を現した。

「皆早くから集まってくれていたようで礼を言う。わしから話すべきことはいくつもあるが、まずは先立って行われた争いにおいて、命を落としたヒイラギに対して皆で黙祷を捧げたい」

 言葉と共に、村長は頭を垂れて目を閉じた。村人は村長に習い目を閉じる。ツカサも同様に閉じる。誰よりも深く、誰よりも長く。

「ありがとう。ヒイラギを失ったことは慙愧に耐えん。同じ事を繰り返さぬためにも、わしらは一つの区切りを付けて来た」

 わしらが誰を指すのかは村人全員が理解していた。村長と四人の相談役である。その内の一人、トキシマが皆の前に出てきた。

「皆ヒイラギのために祈りをありがとう。多くの者が知るとおり、俺とヒイラギは親友だった。あいつを失ったことが今でも信じられん。しかしそれでも乗り越えていかねばならん。俺達は昨日の深夜に切谷村へと行って来た」

 トキシマの言葉に皆がざわめく。争いを行ったばかりの相手の地に、村の重役が足を運んだ。事の重大さを誰しもが理解した。

「落ち着いてくれ。見ての通り、誰一人欠けることなく無事に帰ってきている。皆に聞いて欲しいのは、俺達がそこで何を話してきたかということだ。結論から言えば、争いはもうない。あちらから攻めてくることはない。まずはそれだけを覚えておいてくれ。俺達は昨晩、切谷村の村長に会ってきた。そしてそこで約定を交わした。切谷村の連中が二度とこの村に攻めてこないこと、そして潮村の皆がこれ以上切谷村へ報復を行わないこと。この二つを約束してきた。今回の侘びとして切谷村からは少なくない食料と物資を受け取っている。ざっくり見積もっても二冬は楽に越せるだけの蓄えがこの村にできた。当然、その程度がヒイラギの命に釣り合うとは思っていないが、それでも得たものはあった。と、まあここまで話せば皆の中に当然一つの疑問が沸くと思う」

 何故こうも簡単に話が進むのか。村人の多くがそう思った。

「そこからはわしが話そう」

 村長が口を開く。

「そも今回の争いは切谷村の総意とは言いがたいものであったらしい。切谷村の村長はほんの数日前まで体を悪くしていてな、村の舵取りを一時ある者に任せていたらしい。その者こそが今回の襲撃を企てた者である。そいつは一時の権力では満足できんかったようでの、この村の在るものを手にし、二つの村の実権を得ようと画策したらしい。というより、元より画策していた計画を切谷村の長が病に伏したこの機に実行に移したというところであろう。その者が狙っていたのは他でもない、神の居城である」

 村人からどよめきが起きた。

 神の居城は村にとって秘中の秘である。他の村と親交を持つことはあっても、神の居城の存在を伝えることはただの一度としてなかった。それほどまでに潮村にとっては神聖なものなのである。皆がその秘密を守り、親から子へと伝え続けてきた。それを村のよそ者が知っていたこと事態が大きな事件なのだ。ともすれば人が死んだことよりも。

「悲しいことにのう、村から裏切り者が出た。切谷村に、神の居城について漏らしたものがおったのだ。しかし落ち着け、そのものはもうおらぬ。問題は、その話を聞いて切谷村がどう動いたかということじゃ。話を聞くに、切谷村の村長は今回の争いが起こるまで、神の居城については知らなんだらしい。先に話た村長の代理、元は村長の補佐であった者がその話を握りつぶしておったようだの。握りつぶしてどうしたか。今回のように村長から権力を奪う日を虎視眈々と待って追ったのだ。下劣にして狡猾、しかし思慮は足りなかったようだな。結果は皆が知っての通りだ。辛い犠牲もあったが、潮村は完膚なきまでに勝利した。皆のおかげだ。ありがとう」

 村長は深く頭を下げる。村人は皆、村長の頭を上から見ることに耐えかねて腰を落とした。頭を上げ、村長は話を続ける。

「ともあれ、先の戦いでその首謀者は命を落とした。切谷村の村長も話ができる程度には回復できたようで、実権を取り戻したわけじゃな。元より争う気のなかった切谷村の村長は、すぐに和平に合意してくれた。少なからぬ侘びを合わせての。もっとも、自身の村人が潮村に攻め込んだのを聞いたときにはまたぞろ死にそうな顔をしておったがな。かかか」

 村長の笑いに村人は皆釣られて笑顔になる。争いは終わり、この後も責めてくる事はないという。これ以上のない収穫である。

 ひとしきり笑った後、村長は笑顔をぴたりとやめた。

 一瞬、ツカサは村長の目に、何か良くない光が灯っているように見えた。しかし次の一瞬にはまたいつもの優しい眼差しに戻っていた。それでも、声は険しいものであった。

「ここでわしは皆に伝えねばならん。この村の裏切り者が誰だったのか。争いに参加した男衆と、村の合議に置いて話し合った者達は耳にしておるだろうが、今一度改めて言おう。この村を裏切った者の名はカシナ、少し前までわしの傍に仕えていた男だ」

 既に知っていた男衆は怒りの顔を浮かべ、初めて耳にした村人は困惑の声を上げた。それほどまでに、カシナは潮村において意味がある人物だったのである。

「そして、今回の争いの首謀者たる切谷村の代理長についても語ろう。その者はクキナという」

 村長の言葉に、集まりの端にいた村の老人達が青ざめた。口々に何かを言い、手を合わせる者もいた。

「カシナとクキナは兄弟であった。それも双子の」

 とうとう村人皆の顔が青ざめた。それはツカサも同様であった。

ツカサは昔母親から聞いた話を思い出していた。忌み子である双子の話を。

本来一つの命で生まれるはずだった子供が、何かの間違いで双子として生まれる。生来の魂は二つに裂かれ、それぞれが半分ずつそれぞれの体に入る。一人分に満たぬ魂は世を舞う別の何かから補われる。双子はそうやって生まれるため、生き続ければ必ず世に厄災をもたらす。

ツカサが母から聞いていた話はそういった内容であった。

「今まで、村で双子が生まれることは二度あり、どちらも早々に天に帰してきた。まだわしが童の頃じゃ。当時の村長が執り行い、わしも村長になりその役目を引き継いだのじゃが、終ぞ役目を果たす日は来なんだ。来なかったと思っておった」

 目眩を覚えたように村長は額に手を当てた。トキシマが慌てて村長の体を支えるが、村長はすぐにしゃんと背を伸ばした。

「あれがどれほど前のことであったかわしも定かではないが、それが起きたのは二十度以上前の冬であった。その日、村長になったばかりのわしの家に旅のものが訪ねてきた。その男はぼろと言うてもまだ足りぬ身なりで、腕に赤子を抱えておった。男はわしに、自分ではこの子供を育てることが出来ぬからと言い、村で育ててくれないかと懇願してきた。男の勢いにわしは肯き、その子を引き取った。男は直ぐに村を去り、そして二度と会うことはなかった。皆も気付いているとは思うが、そのときの赤子がカシナである。名はその男が付けていた。冬を越し、春を向かえ、夏が過ぎて秋が広がりまた冬へ。それを幾度か繰り返した後の春、わしは村長の務めで切谷村へと足を運ぶことがあった。当時の切谷村の村長は今の村長とは違う方であった。勤めを果たし、しばしの雑談を交わしていたとき、童がわしと切谷村の村長の間を駆けて横切った。わしにはそれがカシナに見えた。連れてきてはおらぬのに、そこにおるはずがないのに、カシナにしか見えなかった。声をかけようと口を開きかけたとき、切谷村の村長が、止めんかクキナ、と声を張った。そのときわしはまさかと思うた。まさかと思い、切谷村の村長へ訊ねた。あの子供は貴方の子供か、と。切谷村の村長は首を横に振り、いきさつを話してくれた。いわく、幾度か前の冬の日に、ぼろと言ってもまだ足りぬ身なりの女が赤子を切谷村に連れてきたとのこと。クキナと名づけた赤子を村に託し、そのまま消えたという。わしはその話を聞いて確信した。カシナとクキナが双子であることを。そこで、わしが勤めを果たせておれば…。しかし、カシナは既にわしらの、潮村の生活に溶け込んでおった。今更いない者にはできなんだ。それができておれば、此度のことを避けられたかもしれん。そう思うとわしは皆に詫びる言葉もない」

 目頭を押さえ、村長は頭を垂れた。とても悔しそうに、不甲斐なさげに。一人の老人が過去を悔いていた。

 村長の心を慮り、皆が心を痛めた。その中には、カシナと親しくしていた者もいた。

「わしの見立てでは、欲目を覗いてもカシナはこの村の一員として生きていたと思う。今でも、あやつが裏切ったことがわしには驚きでしかない。忌み子の祝宴か、それとも村で何かあったのか、今では知る由もないが…。ともあれ、あやつは裏切ったそれは確実じゃ」

 そのとき、ツカサは村長と目が合った。ツカサの身が竦む。老いてなお力を灯したその瞳が、ツカサを真っ直ぐに見据えていた。

「わしが皆に告げたい真実は残り一つじゃ。それは、このカシナとクキナの忌み子達を誰が誅したか。誰が企みに気付き討ち取ったのかということじゃ」

「――っ!」

 まさか、とツカサは息を呑んだ。まさかそっちなのか。自分に与えられる役割は。

「驚かず訊いて欲もらいたい。今回の一件、カシナの裏切りを暴き、クキナを討ったのは誰あろうーーツカサである」

 前に立つ五人以外、村人は皆驚かずにはいられなかった。

 驚きと、好奇と、畏怖と、衝撃と、恐怖と、賞賛と、礼賛と、嘲りとーー様々な感情が一挙に村人の中に生まれ、それが一息にツカサに向けられていた。もちろん、当の本人はそれ以上の驚愕を持って、その言葉を聞いていた。

 そうでないことはツカサが一番知っているのだ。

「ツカサはまたもや村を救ったのじゃ」

 そうじゃない、ツカサは声を大にして言いたかった。村を救ってなどいない。やったことはただ自分の身を守り、ただ自身の激情に身を委ねただけなのである。あまつさえその巻き添えでヒイラギが死んでいる。

 しかし、ツカサの口から声は出ない。どうしてと慌て、精一杯息を吸おうとするが上手くいかず咽る。

 その間にも村長の話は進んでいた。

 曰く、ツカサはカシナの裏切りにいち早く気付いて行動を起こした英傑である。

 曰く、カシナを誅した事を切谷村のクキナに知られぬようその躯を隠し、敵方に異常の発覚を遅らせた才女である。

 曰く、森に現れ、シイナを襲った切谷村の斥候の一人を討ち取った風雲児である。

 曰く、切谷村との戦争の最中において首謀者を特定し、報いをもたらした傑物である。

 ツカサは話が進むに連れ、誰のことを言っているのかわからなくなった。村長が語る『ツカサ』という人間はまるで聖人君子のようで、古の女傑のようで、御伽噺の世界にしかいないような人物であった。

 そうこうしている間に村人のツカサを見る目が徐々に変わり始める。怪訝な目で話を聞き続ける者も当然いたが、村人の大半はツカサを賞賛の目で見始めていた。

 やめて欲しい。ツカサは声にならない声で訴える。そんな目で私を見ないで欲しい。そんな人間ではないのだ。褒められるような身ではない。私怨に駆られたただの間抜けだ。

 ツカサの心の声は届かず、ついにその時はきた。

「皆ももうツカサがいかに素晴らしい成果をこの村に与えたかを知ったであろう。故にわしは一つの役割をツカサに与えようと思うておる。皆にも意思を問いたい。ツカサを神守に任命すること、皆は受け入れてくれるだろうか」

 今度こそ本当に、ツカサの思考は停止した。

 どよめきが村人の中を駆け巡る。驚きの賞賛が渦となって人と人の間を行き来する。その波は少しずつ大きなうねりとなり、しばらくの後、村人皆を飲み込んだ。

 大雨のように空気を打つ音が村人の拍手で生まれた。

 その日、ツカサは神守になった。

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