第16話 熱を帯びた風を嗅ぎ
確かめなければいけないことがある。
丘を降り、民家をいくつか通り過ぎて目的の場所へと着いた。家の前にヒイラギは立っていた。ヒイラギはヒックを目に止めるなり、
「おう、遅かったな」
と言って、ヒックを自分の家に招き入れた。
ヒックはヒックでヒイラギの態度にさして疑問も持たず、応じる様に頷くとヒイラギの家へと入る。
ヒイラギの家はツカサの家よりも相当に大きかった。しかし、その家に染み着いている匂いはヒイラギのものだけだった。
「独り身なの?」
「ああ、妻を娶ったことはないな。猫のくせにおかしな事を聞くもんだな」
「つがいじゃない大人の方がこの村では少数はだろうからね。気にはなるさ」
「何にでも気づくもんだな。それで?」
「それで、とは?」
「猫君はもう一つの気づき事を確かめに来たんだろう」
「まあ、わかるよね」
ヒックの言葉にヒイラギは苦笑する。
「わかるさ。あのとき滅茶苦茶顔に出てたからさ。猫もそんな顔するのかって、笑いを堪えるのに必死だったんだ」
「それは何というか、悪いことをしたね」
「というか、あの場合は気づかないツカサもどうかと思うけどな」
「ちょっと今日はツカサにも色々あってね。そこまで頭が回らなかったんだよ」
「色々って・・・シイナのことか?」
「そのとおり」
ヒックはヒイラギにシイナの家へ行ってからのことを伝えた。ツカサの言葉、シイナの言葉、シイナの父親の言葉、そしてツカサが感じたであろうことを。
ヒイラギは強く歯を噛みしめた。
「そんなことになってるんじゃないかとは思ってたんだ。いや、もっと酷いのを想像してた。そう考えればまだ些かましな着地点ではあるが。そうか、踏んだりけったりだなこれは」
「まあ、そういうわけで、さっきのツカサは気づかなかった。気づかなかったから質問もしなかった。普通なら訊くはずのことをーー内通者は誰だったのかってことを」
「なんとなく察しがついているような言い方だけどな」
「この村に来てそう長くはない僕だけど、わかることもあるさ。第一おかしいだろ、内通者がいたのだとして、どうしてその処遇について話をしないのか。切谷村の動向も大切だけれど、村に裏切り者がいたって事の方も大切なはずさ。なのに、ヒイラギはそのことについて何も話さなかった。ただ、内通者がいるとだけしか言わなかった」
気まずそうに目を伏せて、ヒイラギは頭を掻く。
「実際、話すつもりではいたんだけどな。ツカサにそれを訊かれたら無視するわけにはいかないしな。内通者のことを話題に挙げた時点でその覚悟はしたんだが、幸いにもツカサはその正体について疑問を持たなかった」
「やっぱり、そうなんだね」
ヒックは自分の考えに確信がいったと肯く。
「カシナが切谷村の内通者ってわけだ」
「その通りだ。あの大馬鹿野郎、かなり前からこの村を裏切る下準備を進めていやがった」
「しかしどうしてまた自分が属する集団に弓を引くような真似をしたんだろうか」
ヒックは殺したカシナの姿を思い出す。相当に下卑た奴ではあったが、ただの考えなしではなかったはずだ。
「村長の傍に仕えていたことを考えると、あいつはこの村でそれなりの地位にいたんだよね」
「ああ、お前の言うとおりカシナはこの村の有力者だったよ。俺なんかとは比べ物にならないくらいにな。でも嫌だったんだろ、それなりの地位じゃ満足できなかったんだろう。どうあがいたってこの村では村長が絶対だ。村の政を決め、采配を振るう権利を持つ。何より、神の居城の在り処は村長しか知らない」
ヒックは耳を立てる。ヒックがこの村に留まる理由はそれなのだ。神の居城を調べることーーそれがヒックの目的だった。思わぬところで情報が入った、とヒックはヒイラギに気づかれぬようにほくそ笑む。しかしすぐに嫌な予感に思い至った。
「まさかカシナは神の居城の場所を知っていた?」
だとしたら最悪だ。ヒックは浮き上がった気持ちが沈むのを感じた。もしカシナが知っていたのだとしたら、数少ない情報源の一つを自分自身で潰してしまったことになるからだ。
「いや、それはないだろう。村長の傍にいたから何かしらの情報を手に入れたのかもしれないが、でも場所を確実に特定できたのだとしたら、わざわざ切谷村と組んで何かをしようとは考えないだろう」
「確かに、あたら分け前が減るようなことはしないか」
「俺の予想ではこうだ。カシナは神の居城に関する何かしらの情報を手に入れた。でもそれは確実なものじゃない、だから、その情報を餌に切谷村に取り入った。切谷村の奴らがこの村を占領したとしても、その全員がこの土地に逗留するわけじゃない。別に切谷村は土地不足や食糧難で攻めてくるわけじゃないからな。ただ神の居城を手中に収めたいだけだ。だとしたら、神の居城は別としても取り上げた土地を自分達で全て管理するわけじゃないだろう。できるはずもない。村を知ってる奴に預けるのが常套手段だ」
「そこでカシナの出番、というわけかい」
「そう。あいつが描いた青写真はそれだろう。支配地の王。狂っちゃいるが、王には変わりない」
ヒックには理解し難かった。集団全体を服従者に貶めた上で、その中での最上位を取ることに何の意味があるのか理解ができなかったのだ。
囲われた世界、捕らわれた集団、そこに何の価値があるのか。そう思い至って自分がカシナに感じた嫌悪感の正体に遅ればせながら気づいた。カシナはヒックが忌み嫌って放棄した世界と似たものを再現しようとしていたのだと。
「これじゃ僕は笑えないな」
「どうした、ヒック」
「いや、故郷を思い出しただけだよ。カシナの描いた青写真そのものだった僕の故郷をね」
ヒイラギはぽかんとした。
「まさか猫の思い出話が聞けるとは」
「いや、思い出話なんかしないさ。これでおしまい。それよりも、問題なのはそのカシナが死んだことで何がどうなったか、なのだけれど」
「ああ、そうだな。結果から言えばカシナの家に記録が残されてた。あいつがやりとりした文だ。そこに全てが書いてあった」
反吐を吐くようにヒイラギは言った。カシナの名前を口にするのすら嫌そうだった。
「その『全て』の内容が知りたいね」
「ほんとに全部だ。あいつはかなり前から準備を進めてた。切谷村にこの村の状況を逐一報告していたし、村の構造なんてものも伝えてたようだ。どれだけの男衆がいて、どの程度が戦力に値するのか。カシナの家に残っていたのはその内容を質問してきた切谷村からの文だけだったから、それにカシナがどう回答したかはわからんが、まあ大方把握されているものと考えた方がいいのだろうな」
「それはあまり好ましくない展開だね」
ヒイラギの話からヒックが認識した限りでは、切谷村とこの村との人数比はそう大きいものではないらしい。相手側から攻めてくるのなら地の利がある分、こちらの方が有利だとヒックは推測していたが、その優位さがカシナの伝えた情報によりいくらか低くなっているのだとすると、後はもう想像に耐えがたい。
泥沼の消耗戦になる可能性がある。
当然のことながらヒックは戦争に加わる気など到底ないが、それでも拮抗した争いとなれば戦火が自分の近くまで延びて来ないとも限らない。
「切谷村のことに関しては何もわからなかったのかな。例えば、あいつらがどこから攻めてくるのかとかーーどこを狙ってくるのか、とか」
「・・・。」
一瞬、ヒイラギの目がヒックを値踏みするように細められた。
ヒックは焦りすぎたかとヒゲを揺らす。今ヒックは言外に聞いたのだ。『神の居城はどこにあるのか』と。切谷村の狙いがそれであり、カシナが伝えた可能性がある。
その意図に気づいたのか、それともただ考え事をしていただけなのか、ヒイラギは一拍置いて口を開いた。
「最終的にどういう形を切谷村のやつらが求めているかはとんとわからんが、それでもどこから来るのかはわかっている。奴らが来るのは海からだ」
「それもカシナの家に?」
「ああ、文が残っていた。攻めるなら海からだと考えているようだ。確かに理にはかなってる。切谷村からこの村に攻め入るとして、取れる選択肢は二つしかない。森か海かだ。森は深いし木々が立ち並ぶせいで一度に大勢は通りにくい。それに森を抜けてもツカサの家のある丘に出る。村の中心に行くまでに開けた野原を突っ切らなきゃならんから、攻めるのにはあまり上手くない。奇襲も出来ないしな。一転、海からなら入江に寄るまではこちらから感知できない。それに浜に上がれば直ぐに村の中心だ。まあ俺なら絶対にそんな手は取らないけどな」
「駄目なのかい。理にかなっていると言ったじゃないか」
「理にはかなっちゃいるが道理をわかっちゃいないからだ。この村は漁村だぞ。水面の上にあれば一日の長がある。谷間の村の奴らよりもな」
やけにヒイラギは自信たっぷりの様子だった。
「ふうん、そういうものか。ヒイラギがそう言い切るならそうなんだろうけれど。でも、カシナも馬鹿だね。そんなやりとりの記録を自宅に残して置くだなんて」
「それは・・・まあそうだな。とは言っても、存命の間はあいつの家には誰も足を運んでいなかったし、今も一応は行方不明という扱いだから好き勝手できるが、ちゃんと死んだことが確認されていたら文なんて中を改めずに処分していただろうから、一概に阿呆とも言い切れないところだな。あいつを擁護するようなことは言いたくないけれども」
「へー。それじゃ、ツカサがカシナを殺したからこそ、そしてその死体を隠したからこそ、ツカサのおかげで今回の件で先手が打てるようなものだね」
ヒックの言葉に、ヒイラギは渋い顔をした。
「それがなあ、単純にそうとも言い切れない状態でな」
「歯切れが悪いね」
「ヒックは思わないか?どうして今なのか。カシナが村長の側近になってからだいぶ経過している。けれど、今まで切谷村の奴らが攻めてきたことはなかった。どうしてか」
「・・・攻めれない理由があったってことだよね。ヒイラギの口振りから察するに」
自分の口からは言いたくないのか、ヒイラギはその先を紡ごうとしない。
ヒックは考える。切谷村とこの村を取り巻く状況を考える。今である理由はなんなのか。今まででない理由は。カシナが伝えた情報にそれが含まれていたのか。何故カシナは今まで待っていたのか。カシナはーー。
「そうか、そういうことなんだ」
「わかったか?ヒックがどれだけ的外れな事を言ったのか」
「わかった。ツカサのおかげじゃないーーツカサのせいなんだ」
ため息を吐くようにヒイラギは頷いた。
ヒックは続ける。
「カシナの連絡が途絶えたからだね」
「そうだ。不穏なやりとりをしていた連絡係が連絡を途絶えさせたのだから、切谷村の奴らとしては気が気じゃないだろうな。焦って行動を進めようとしたのもうなづける」
ヒイラギは知らない。ヒックの誘導によってカシナを殺したのがヒックだということを知らない。どころかツカサが殺したものだと勘違いをしている。だから、この場合正しくはツカサのせいではなく、ヒックのせいで戦争が始まろうとしているのだった。当然ヒックはそれを自覚しているが、わざわざヒイラギに説明しようとはしない。
「焦っての行動ーーそれが今回の杜撰な偵察に繋がるわけだね」
少数の偵察にしても限度がある。遭遇者への対応も下の下だった。あまり深く考えて行動できていないのは明白である。
「もっとも、カシナが生きて連絡係を続けていた場合でも、近いうちに切谷村は攻めてきていただろうがな」
「どういうことだい?」
「カシナは準備を着々と進めていた。これ以上ないくらいに周到にな。ずいぶん前に、後は実行に移すだけというところまで来ていたが、それでも障害はあった。埒外の所にな」
「ちょっと待ってよ、まさか」
「まさか、じゃないぞ。まさにだ。俺はたまに思うんだ。世界はあの子を中心として動いているんじゃないかって」
ヒックは苦笑するしかなかった。
カシナの計画では海からこの村を落とすことになっている。それに対して、少し前まで大きな壁があったのだ。壁と言うよりは門番と称した方がより似つかわしいものがいた。
「海神がいたから」
「そう、そうだよヒック。海神がいたから切谷村の連中は海から来ることができなかった。誰だって神の怒りに触れたくはないだろう。ましてや神の居城を奪おうと考えている奴らだ。いわば既に半ば神に対する不敬を働いているようなもの。その自覚は十分にあるだろうからな」
「海神はある意味でこの村を守っていたんだね」
「そのせいでツカサが犠牲になり掛けたことを考えれば、俺は素直に感謝しようとも思わないけれど、まあそういうことになる」
生きるために行った海神殺し、しかしそれもまた次の厄介事の契機になった。
「海神が死ななければ切谷村の連中も攻めあぐねたままだったろうからな」
「カシナが生きていても死んでいても、結局は切谷村が攻めてくるのは避けられなかったわけだね」
であれば、カシナを殺したことは間違いではなかった、とヒックは納得する。間違いであったところでどうということはないのだが、ツカサに話が伝わったときの言い訳は必要だった。
そしてその上で考える。これからどう立ち回るのかを。
一つ、ヒックとって面倒なことは、戦争が片づくまではヒイラギを殺すことができなくなったということだった。ヒイラギは今ツカサを保護する立場にある。丘の上の家から村の中心に近いヒイラギの家にツカサを移すことは、ヒックとしてもツカサの安全を考えれば賛成だった。しかしそのせいでヒイラギが不審な死に方をした場合、真っ先にツカサが疑われることになる。それはよくない。だから、戦争が修まるまでは迂闊にヒイラギは殺せない。ヒックの正体を知る人物を野放しにしなければならない。
だかこそヒックは考える。戦争をいち早く終わらせる方法を。
「ああ、そうか」
ヒックは納得するように独りごちた。
「どうした、ヒック」
「海上戦を優位に進める策を思いついたよ」
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