第15話 風雲急が頬を掠め
「争いになる」
ツカサの家で待ちかまえていたヒイラギは、ヒックとツカサの姿を見るなりそう言った。
「いや、厳密にはなろうとしてる。おそらく回避はできないだろうから、直ぐにでも村会が開かれる。とりあえずそのことを伝えに・・・って、ツカサどうした?」
ツカサの硬い表情にようやく気づいたのか、ヒイラギは話を中断してツカサの顔をのぞき込む。
「体調でも悪いのか」
「いいえ、違うわ。大丈夫よ」
「そうは見えないが」
「きっと昨日の疲れが残ってるのよ。いいから、ヒイラギさんは早く続きを話して。できれば順序立ててもらえると嬉しいけれど」
言われて、ヒイラギは自分が矢継ぎ早に話していたことを自覚した。
「ん、ああ、そうだな。すまない、初めから説明しよう」
「長くなるようなら中で話したらどうかしら」
「そうしよう。だいぶ込み入った話になるから」
ツカサの後に続きヒイラギは家に入る。入り際にちらりと後ろを見て、最高尾にいたヒックに目配せした。その目は、お前もちゃんと聞けよ、と言っているようだった。
「にゃー」
と、ヒックは下手くそな猫の真似で返事をする。
中に入るとヒイラギは床に腰を下ろし、
「さて」
と言った。その一言で、声色で、事態が重い状況であることがヒックとツカサにも伝わった。ヒイラギは一人と一匹が自分に注視していることを確認し、話始めた。
「一つずつ状況を整理していこう。さっきまで村長が村の男衆を集めて議論していたことについて、一つずつだ」
「男衆を皆集めて話合っていたの?」
「全員じゃない。ただ、まあほとんどだ」
ヒックは先程外を歩いているときに、人とすれ違うことがとても少ないと感じていた。その答えがこれであった。
「シイナの父親は来てなかった。たぶん娘さんが心配だったんだろう。おっと、すまない。ツカサを責めてるわけじゃない」
シイナという言葉にツカサの顔が強ばったのを見て、ヒイラギは慌ててそう言った。その危惧はある意味正しいが、しかし正鶴を射ていないことはヒックが知っていた。
シイナの家で何が起きたかをヒイラギは知らないから。
「大丈夫。わかってる」
ツカサは平気そうに応えたが、顔は表情が張り付いたように固かった。
ツカサの様子にヒイラギも気づいていたようだったが、あえて言及はしなかった。
「ともあれシイナの話しも避けては通れない。というか、それが本筋だ」
「・・・。」
わかりかねるとばかりにツカサは圧し黙った。
「一つずつ話をしていこう。昨日シイナを襲った奴らについて、ツカサは心当たりがあるか?」
「いいえ。見たことない大人だった」
「だろうな。類推するにそいつらは山向こうの村の奴らだ」
「森の向こうの?」
「そう。森の更に奥、山裾を抜けて内地に進んだところにある村。俺たちは切谷村と呼んでいるが」
ヒイラギの視線は自然と家の外を向いていた。家の裏手に広がる森、見つめ続ければその先が見えるとでも言うように真っ直ぐと。
「滅多に交流はないし、あったとしても数年に一度村の重鎮が顔を突き合わせるだけだ。でもそこに村があるってことはツカサも知っていただろ」
「ええ。父さんが昔話をしてくれたから」
「親父さんの世代なら知ってて当然だな」
「でもそれは確かなの?シイナを襲ったあいつらが切谷村の者だというのは」
「他に考えようがない。この土地は滅多に旅人が訪れることはないし、それに来るとしてもわざわざ山越えて森を突っ切る必要はないだろう。南から来るにしても、北から来るにしても、沿岸を歩いた方がずっと楽だし安全だ」
「確かに。でもどうしてあいつらはこの村に来たの」
ツカサの問いにヒイラギは一瞬顔を強ばらせる。取り繕うようにヒイラギはツカサから目を逸らし、ヒックを見た。それだけでヒックには何となくの察しがついた。ヒイラギにはまだ多少の迷いがあったようだが、覚悟を決めたようにツカサに目を戻す。
「あいつらは確認の為に来たんだ」
「確認?」
「ああ。この村の状況と状態の確認に」
「わかるように言って」
「そうだな。切谷村の奴らは、この村に対して略奪を仕掛けようとしてる」
「まさか」
「いや違う」
ツカサは酷く吐き気をもよおすような最悪を想像した様子だったが、ヒイラギは即座にそれを否定する。
「女子供をどうこうしようということじゃない。奴らは別に強盗の集団ではないからな。切谷村は統制の取れている村だ。この村と同じように、秩序があるし生活基盤だって成り立ってる。飢えてるわけでもない」
「じゃあ何を奪いに来るの?」
「あの村にはないもの、というかこの村にしかないもの。神の居城だ」
ツカサはその言葉に目を見開いた。
「切谷村は神の居城の存在を・・・。」
「ああ、知ってる。そして欲しがってる。何せ神様の住処だ。当然手にしたがる」
「でもどうして急に。だってこれまで長い間お互いの村は干渉してこなかったはずなのに」
「内通者がいたんだ。ツカサとシイナの事があってから、村長は村の内偵調査をした。その結果、一人の村人が切谷村と連絡を取り合っていたことがわかった。そのやりとりの中で神の居城についても触れられていた。そうして切谷村は神の居城を知ったわけだ」
「それを奪うためにあいつらはきたのね」
「そういうことだ。ツカサの出会った奴らは偵察に来たんだろうというのが村長を含めた男衆の結論だ。だから、遅かれ早かれこういう事態には陥っていたんだろうとは思う」
「争いになるの?」
「そりゃそうだろうな。飢饉で食い物がないなら分けてやるし、女が足りてないなら向こうへ嫁に送ることもできる。でも神の居城とあっては別だ。分けられるものでもなければ渡せるものでもない。仮にそれが可能だとしても、村としてやはり渡すことはできない」
ヒックも知っていた。この村の中において神の居城と神守がどれほど神聖で犯しがたく扱われているかを。村の要であり信仰の柱である。それを奪われるということは村そのものを奪われることと同義なのだ。
「切谷村の人達を殺すのね」
「全員殺すわけじゃない。立ち向かってくる奴らを追い払うだけだ。この村に太刀打ちできないと知れば切谷村の連中だって引くさ」
「攻めるわけじゃないの?」
「こちらから切谷村を襲う気は毛頭ない。際限がないからな。こっちがやるのは防衛戦だ。負けなきゃいい。幸い把握している限りでは人数にそう開きがあるわけじゃない。男衆だけで何とかなるだろう」
「私もーー」
「駄目だ」
ツカサの言葉をヒイラギは制する。
「君は参加しなくていい」
「どうして、私だって戦えるのに」
「だからだよ。戦えるから出ちゃ駄目なんだ。戦力の一部だと相手から認識されたら、もう殺すか死ぬかしか道がなくなる。君がそんな場所に立つのは許せない。折角助かった命なんだ、大事にしてくれ」
ツカサは首を縦にも横にも振らなかった。ただ何も言えずに黙っていた。ヒックとしてはツカサに参戦されるのは大いに困るところであった。人間の争いというものをあまり詳細には知らないが、それでも群と群がぶつかり合うことの凄惨さは容易に想像が付く。一歩間違えれば命を落とす場所にツカサがいることはヒックにとっては損でしかない。
ヒイラギは沈黙を甘受と判断した。
「まあここは大人に任せておけ。ツカサは普段通りに生活していればいい。あ、でも、一つだけやって欲しいことがあるにはある」
「私にできることなら」
「しばらくは俺の家で生活してくれ。ここは森に近すぎる。切谷村の奴らがそんなに早く仕掛けてくるとは思えないけれど、それでも用心に越したことはない」
争いに参加できると一瞬期待したツカサはその言葉にふてくされた顔をする。だったらいっそのこと、この場所に留まる方がましだとでも言いたげだった。
「そんな顔をしたって駄目だ。自分じゃ忘れてるかもしれないけれど、海神のことだってまだ全てが収まったわけじゃないんだ。依然として骨と皮は浜辺に鎮座してるくらいだしな。だから、君は大人しくしていてくれ」
海神という言葉にツカサも些か萎縮したようだった。
未だに海神を殺した事による余波はこの村の中で蠢き続けている。好ましくない、よくない雰囲気として漂い続けている。
そのよくない雰囲気と切谷村と争うことの不安感を結びつけられでもしたら、ヒックはそれを懸念している。総じて、よくない物事が続いたとき、無理にでも筋道は立てられてしまうものなのだ。全く関係性のない物事でも、一つの事象の後に次の事象が発生すれば、前後の関係性は無理矢理にでも見いだされる。
しかし、とヒックは思う。本当に両者は無関係なのだろうかと。
「今日はさすがに性急だろうから、うちへ移動してもらうのは明日にしよう。大切な物は一通り持ってきてくれ。見る限りそう荷物は多そうではないけど、一人でできるか?」
「ええ、大丈夫」
ツカサの家には食事道具くらいしか荷物と呼べるものはない。袋に入れれば片手に収まる程度である。
「もちろんその猫も連れてきてくれていいからな。いや、むしろ猫だけは何が何でも我が家に運んでもらいたいな。一度全力で愛でたかったんだ」
思わず歯をむき出して警戒をするヒック。先日のあれが全力でなかったことに驚きである。
「それじゃ、今日はこの辺りでお暇しようか。また明日、待ってるぞ」
「わかったわ。キリクの家の手伝いをしてからになるから、日が暮れてからになると思うけれど」
「ああ、承知した」
ヒイラギはわざとらしいくらいにヒックへと目配せをしてツカサの家を後にした。ツカサを見張っておけという意味だ。ヒックはツカサに気づかれないよう頷きを返す。
ヒイラギが立ち去ってしばらくしてから、ツカサが外を見て言った。
「村同士の争いなんて、初めて耳にしたわ」
「僕は近隣に村があったことそのものが驚きだけどね」
「私も何とかして参加させてもらえないかしら」
ヒックの予想通り、そしておそらくヒイラギも予想している通りに、ツカサはまだ諦めてはいなかった。
ツカサは壁面に立てかけてある弓に手をあてて呟く。
「これなら私だって人並みにはできるのに」
「ヒイラギの話を聞いてなかったのかい。無理に争いに加わる必要なんてどこにもないだろう」
「シイナを傷つけた連中の仲間なら、私には理由として十分よ。それに、神の居城を狙っているならなおのこと。そこにいるお母さん達も守らなきゃならないわ」
「それは村の男衆に任せればいい」
「私がやりたいのよ」
ヒックの言葉にツカサはむきになったように声を張る。
「私が自分の意志で戦いたいと思っているの。危険なのはわかるけれど、それでもいいと考えているのよ」
「心配するヒイラギの身にもなってやりなよ。ツカサをそういった物事から遠ざけたいと考えてる彼の気持ちを汲んでやるべきだよ」
「それは・・・そうだけれど」
「鮫を殺した時とは違うんだ。命を掛ける必要のない場面であたら無駄に散らすことはない」
「そんな事を言って、ヒックは私に死なれたら困るだけでしょう」
「否定はしないよ。でも、嘘は言ってない」
「ええ、そうね」
ツカサはしばらく黙り込んだ。ヒックを説き伏せる方法を考えているのか、それとも単純に機嫌が悪くなっただけなのかはヒックにはわからなかった。
「そうね、わかったわ」
ようやく口を開く段になって、ヒックはツカサが嫌に冷静な口調であることが気になった。ツカサは白々しい態度で「ところで」と強引に話の筋道を曲げた。
「あなたの居た場所ではこういうのをなんて呼んでいるのかしら」
「・・・。」
その強引さにヒックは直ぐに言葉を発せなかった。戻すべきだろうか。ツカサが争いに参加するか否かという議論に。しかし、形の上かもしれないがそれでも一応は納得したのに、それを混ぜっ返すようなことをしてもいいのだろうか。
そうしている内に、
「ねえ、聞いてるの?」
と、ツカサはヒックに回答をせっつく。ヒックは会話を引き戻すことを諦めた。
「・・・僕の故郷では大規模な組織間の争いなんてなかったからね。呼称はされていなかったけれど、しかし僕はその言葉を知っている。こういうのはね、戦争って呼ばれるものさ」
「戦争ね、あまり綺麗な響きじゃない言葉ね」
「人間が発明したものだよ。一番大きな発明で、一番厄介な代物さ」
「見てきたように言うのね。経験したことはないんでしょう?」
「そりゃ僕は猫だから。経験したことなんかないけれど、でも勉強はしてきたからね。文献を読み説いたのさ。いい感じに最悪な人類史を」
「よくわからないこと言うのね」
「猫だからね」
そう言ってヒックは寝そべっていた寝床から体を這い出す。
「それじゃあ僕はちょっと外を回ってくるよ」
「もう日が暮れてるわよ。何をしに行くの?」
「情報収集だよ。もちろん戦争に参加するつもりなんてまったく無いけれど、それでも、何がどうなりそうか位は知っておきたいからね」
するりとツカサの家を出て、丘を一気に掛け降り始めた。ツカサにはあのように余裕ある態度で接したが、実のところヒックにとって今は急を要する時だった。
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